9月23日のさんちゃF講演会は、かなりムリをおして出かけました。'09イヤロン生には、期間中何人にも手紙を書いて送りましたが、そのうちの1人が中村チェリーちゃんでした。彼女がお母さんのエマと共に話すとあって、ぜひ元気な顔を見たかったのです。エマも初講師。エマの話もぜひ聞きたかった。
いろいろと思うことがあったのですが、特にエマの海外滞在中の話が強く印象に残りました。ヒッポ的には違う文脈で捉えられるエピソードかも知れませんが、こんな話です。英語を深く勉強したエマは、海外生活を始めた頃「ひとつでも間違えたらいけない」と緊張し、頭の中で文章を組み立てながら毎日を過ごしていたそうです。ホームパーティがあった際も、人の話す言葉がすべて「文法的に正しい/間違っている」ことが気になって過剰に疲れてしまったとか。
これは文脈的には違うのですが、今の自分の状態に極めて良く似ています。広告のポスターや駅売りの新聞の見出しを見ただけで、それにまつわる情報がばんばん頭に突き刺さるのです。話し声や車の音なども一時過剰に響いていました。それがだんだんマイルドになってきて、突き刺さるほどではなくなってきました。本筋以外の意味や情報まで拾ってしまうような状態は今の自分と同じです。それはすさまじく疲れただろう、と心から共感できたのです。
エマも文法的には間違っているのに堂々と話している別の国からの人たちを見ながら「そんな風に話せたらラクだろうな」と思いつつ、なかなか実践できなかったのだとか。それがのちのちヒッポに出会って多言語をやることで「多分こういうことを言っている」「全部拾わなくて大丈夫」ということが分かったそうです。それによって英語を話すのもラクになり、言葉で人を選ばなくて済むようになったと言います。多言語をやることは「赤ちゃんと一緒」だから「間違いはない」のであって「プロセス」をたどっていく営みなのです。
自分も今、心の底から「全部拾わなくてよいラクチン」を求めて過ごしているのです。しかしこうして改めて書いてみると、意識して何かやっている限りダメで、ぽーんと放り投げてプロセスを信じて「のほほ〜ん」と身を委ねてしまうのがいいのだろうと思えてきました。それを頭で考えず「放り投げる」ことも「放り投げる」くらいがいいのでは。覚えようとすると音がするっと逃げて行くのに、楽しんで聞いていればなんとなく音がたまってきて、空耳が言えるようになるのと似ているのでは?自分自身をも自然科学する感じでしょうか?
チェリーちゃんは自分自身を言葉にする能力に長けていて、マンスリーを5枚6枚と書いてくる子でした。彼女の話にも「プロセス」が取り上げられていました。
応援されて行ったイヤロン。しかし甘くはなかったそうです。学校一日目から何か一つ聞かれても分からない。一週間くらい経って、テーマを決めてクラスメートに話しかけるようにしたもののだんだんネタ切れ。疲れてきた彼女はムリしないことに決めたそうです。その状態が「話さない子」ととられて意思疎通の難しさとなり、ホスト家族と軋轢を生んでしまうこともあったようですが。
半年位して友達ができてからムリしなくても楽しく生活できるようになってきたそうです。
彼女にとってのイヤロンは1歳から17歳まで歩いた感じとも捉えられるとも。「見てるだけ〜」→「あわわわ」→「あれなに〜/これなに〜」→どんどん話題がふくらむ状態、とプロセスを踏んで広がってきた状態をそのように捉えられるのはすごいなと思います。
帰国後「外国語うまくなったねー、日本語もうまくなったねー」と言われるとか。そしてその感じが自分でも分かるそうです。さらに「言葉で何かを伝えるのは簡単ではなかった。英語はもちろん、日本語でも」。その話に彼女の成長を強く感じました。
さらにエマのマレーシアGFの話も聞くことができました。楽しかったのは言葉の体験だとか。ホストのお母さんが話すのはマレーシア語だけだったものの、一緒に過ごすうちにだんだん言っていることが分かってきたそうです。すごくおいしいご飯を3食作ってくれたので「何を話そう?」と思ったとき、最初は目の前のご飯のことが話題になった、そこからだんだん「今日あったこと」→「昨日のこと/明日のこと」が話したくなってきた、そういう風に時間軸が広がる感じだったとか。これもおもしろいですね。
こうした話の数々が、外部から聞きにきてくださった方にも「楽しさ」として伝わっていたようでした。
最近のコメント