夜回り先生

2008/02/29

目の前にある貧困

貧困というと発展途上国のものと考えてしまいがちです。

昨日グラミンフォンの話を書いて、中で「銀行と貧困は10年後博物館にあるかもしれない」と記しました。しかし実際には貧困とはしぶといもので、そう簡単に無くならないということも承知しています。

例えば、鳩ヶ谷の変電所交差点の歩道橋の下には人が住んでいます。

荒川の河川敷にもいくつかの小屋のあるのが見えたものです、が最近その小屋のあった付近の木が切られ護岸工事をしています。あれは護岸を守るための工事ではなくそこを住みかにしていた人たちを追い出すための工事である事は明白です。

ずっとブログを書きながら、いつか書こうと思っていた、涙の出るような話があります。

4畳半の台所と、6畳の部屋がふたつ。 そんな家に14人で生活している家族がいた。 母一人、子ども11人、孫も二人いた。

 ある夏休み、当直だった私は学校の近くにあるデパートに夕食を買いに来ていた。すると突然、制服を着た少女が走り込んできて、数人の店員たちに押さえられた。両腕をつかまれると、持っていた紙袋からごろごろと弁当箱がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」必死に謝る少女を、店員たちは有無も言わさず裏へ連れていこうとする。少女の制服はひどく汚れていたが、それが中学生のものだとわかった。私はすぐに後を追い、店員たちに声をかけた。
「勘弁してあげてください。お弁当の代金は私が払いますから」
腕を解放された少女は、すぐその場にかがみこんだ。そして床に散らばった弁当の中身を、猫のようになめはじめた。あまりの異様な光景に、店員たちはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、私は彼らにお金を渡しつつ引っ込んでもらうように頼んだ。
(中略)

 少女の名前は美晴といい、古い市営住宅に住んでいた。
 決して広くないその住まいには、何組もの布団が敷きっぱなしになっている。その上に、カップラーメンや弁当の残りかすがびっしりと散乱していた。部屋の真ん中ではやつれた感じの女性が寝ている。奥の部屋には、乳飲み子を抱く少女も二人いた。

 美晴が弁当の入った袋を見せると、子どもたちがわっと集まってきた。

 女性は私の姿を見るなり布団から出て、おじぎをした。それから台所の一部を片付けて、二人分座れるスペースをつくってくれた。
「子どもは11人いて、美晴は三女なんです」

 もともと孤児として育ったという母親の過去はすさまじかった。彼女は中学を卒業した後すぐ、職場で知り合った男と同棲したが、子どもができたとたんに捨てられ、それからは主に売春で生活を支えてきたという。
 彼女には避妊の知識がなかったため、子どもは次々と生まれたが、11人の子どもの父親はすべて違った。誰からの助けもなかった。それでも彼女はずっと、たとえ妊娠しているときですらも、街角に立って体を売り続けた。
 2年前に過労と性感染症で倒れ、売春ができなくなった。それからは17歳の長女と16歳の次女が、母親のかわりに売春で家族の生活を支えた。さらにその娘にも、それぞれ父親がわからない赤ちゃんができていた。
 しかし、三女の美晴だけは売春が許されなかった。家族の中で一番勉強のできる美晴は、14人の家族にとっての唯一の希望だったからだ。家族全員が美晴を高校に入れて、立派な人になってほしいと願っていた。
 もちろん美晴も家族たちを愛していた。小さい頃から成績がよく、性格も明るかった美晴は、学級担任や福祉事務所員から何度か里子の話を持ちかけられたが、いつも断っていた。自分だけが貧しい生活から逃れることよりも、家族みんなで幸せに暮らすことを望んだ。素晴らしい家族だった。私は話を聞きながら胸を打たれていた。長い教員生活でいろんな家族と関わってきたが、これほど慈しみあっている家族を見たのは初めてだった。
(後略)

これは「夜回り先生と夜眠れない子どもたち」(サンクチュアリ出版 2004年10月)から抜き出しました。自分はこの話を読んだとき、中国の極貧の村の話を思い出しました。その村でも一人の勉強の出来る女の子がいて、村中がその子を学校に出したいと思ったのです。しかし本人の親はもちろん村の誰も学費を援助できるような人がいませんでした。村長は逡巡した挙句、村を担保にお金を借りてその娘を町の学校へ出したのです。その娘は「勉強して必ず村のためになるような事ができるようになって帰ってきます」と涙ながらに誓って旅立ったのです。NHKのドキュメント番組だったと思います。

まるで同じだ。

中国の極貧の農村の話が、実はひとごとではなく日本の横浜(だとおもいます)に転がっているのでした。

格差格差と騒ぎ立てるちまたの人たちはこういう話を知っているでしょうか?

「夜回り先生」こと水谷修氏の著書にはこういう話がそれこそいくらでも出てきます。犠牲になるのはいつも子どもたちです。

親がアル中でどうしようもなく、アダルトチルドレンとなって苦しんでいる子どもたち・・・。でも実は当の親も子ども時代に親のアル中で傷ついていた、飲まずにはいられなかった・・・。そういう貧困と精神病の連鎖がついこの間まで日常だったところが北海道の浦河です。「べてるの家」の初期のメンバーたちはそういう環境下にいたのです。町の経済も疲弊していましたし、アイヌ民族をオリジンとする人々への差別もありました。べてるはそういうすさまじい現実の中から生まれたのです。

精神科病院に入院するとき「ご家族に同じような病気を持っている人はいますか?」と聞かれました。自分の家系で精神科病院に入院したのは自分が初めてでしょう。あまり違和感をもたなかった質問ですが、あとで強烈に響くようになりました。地域では「精神病患者を出した家」というだけで白い目で見られてしまうところもあります。しかし、自分がいろいろな書物を読んで分かってきたのは、病気が遺伝するのではなく貧困やきわめて困難な環境(部落差別など)が親を苦しめ、その苦しみが子どもに深い傷を与えて、病気が連鎖していくという事実でした。地域のコミュニティがそういう人たちを暖かく迎え入れれば、おそらく世代間連鎖はとまるでしょう。しかし・・・。

答えのない問題です。

はっきりといえるのは「貧困」はよそ事ではないということです。日本国憲法が基本的人権と生存権を保障しているのに・・・です。

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2007/11/05

ピアサポート その2

「ピアサポート」という言葉と自分が出会ったのは、昨年の春、32条問題で署名に協力した「こらーるたいとう」から

障害者に対するピアサポートセンター、ピアサポートの確立を求める緊急署名にご協力をお願いします。

という案内が来たときでした。でも自分はこのとき「ピアサポートって何?」という感じだったので協力できませんでした。自分で事柄を説明できないものには協力も何も全然出来ないのが自分です。このときは精神科病院や病院施設内グループホームの制度化を障害者自立支援法の中に盛り込む動きがあったのです。こう言われても何のことか分からないですよね。言い換えると先進国と比較して桁違いに多い精神科病院の病床数を7万床減らす厚生労働省の施策に対して、現状では地域の受け皿がないので精神科病院のなかにグループホームを作って(実際は同じ病床で看護師などのスタッフが少ないだけ)名目上病床数を減らしたことにするという話です。ですからこれでは精神科病院から一生出られない人はそのまま取り残される、むしろさらに環境が悪化するという事を意味するのです。

実は先日の「そのまんまが大好き」ビデオ上映会ではべてるが実践しているピアサポートの事が取り上げられました。浦河日赤病院に入院していた患者さんをべてるのメンバーがサポートして1日外出したり、当事者のサポートによって患者さんを退院に導いていく様子が紹介されたのです。これをみて自分は初めて「ピアサポート」の意味が分かりました。べてるのピアサポートは当事者が主体で動いているべてるならではの取り組みだと思いました。それとともに「ピアサポート」が医療全般、さらにそれを飛び越えDVやセクハラ被害者に対して、あるいは犯罪被害者に対して、その他いくらでも応用が効く事であることを即座に理解しました。当事者でなければ分からない事っていっぱいあるんです。当事者同士だから気がつくこと、共感できる事、ぶっちゃけで話せることがあります。当事者、経験者にサポートしてもらえたら本当に楽になることが多いだろうなと思います。例えば不妊で悩んでいる女性同士、そこを乗り越えて出産にこぎつけた人からいろんな意味でサポートをしてもらえればずいぶん気持ちが楽になるはず。少々話しにくいことも、経験者同士なら話せる場合もあるでしょう。

ピアサポートという概念はもっともっと広がっていくべきです。べてるは当事者主体で、先日も日赤病院の川村先生やソーシャルワーカーの高田さんなども来ていましたが、何か質問が出たとき答えるのはべてるのメンバー。向谷地さんもそうですが、なるべく後ろにいてメンバーの力を存分に生かそうとします。だからべてるは続いてきた。だから一人ですべてを引き受けてしまった水谷先生は行き詰まっている。そういう風に思えてなりませんでした。

11月9日追記:森田さんのビデオ上映会のタイトルが間違っていましたので修正しました。大変申し訳ありませんでした。

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2007/11/02

ピアサポートの必要性

戸田で12年間べてるのビデオ上映会を企画実施されてきた森田惠子さんから「ひとり新聞」という個人誌を送っていただきました。先日の「そのまんまが大好き」上映会の特集で、べてるからのゲストの川村先生たちが飛行機にのりおくれた経緯なども知りました。問題が起きても「それで順調」。この言葉は「何があっても大丈夫」という勇気をもらえる言葉ですね。この場を借りて森田さんに御礼申し上げます。

森田さんは「べてるの家」出版物の最新刊「認知行動療法べてる式」の撮影をも担当されています。リンクに新しく加わった「春の海 ひねもすのたりのたりかな」は森田さんのホームページです。ご興味のある方はぜひ訪問してみてください。本当はべてるの出版物はべてるで購入すれば彼らの取り分も出来るのですが、ちょっと値段のはるものなので書店勤務の知人に社員割引で取り次いでもらいました。

認知行動療法でも「べてるの家」の取り組みは最先端といってもいいものですが、ピアサポートという面でも優れた成果を出しています。ピアサポートとは問題を抱える人に、その当事者だった人がサポートするものです。これはサポートする側もさらに力がつくというメリットがあります。

余談ですが、夜回り先生こと水谷修先生は問題を抱える子どもたちを全部自分で引き受けて、結果的にたくさんの子どもたちをとりこぼしてしまっています。水谷先生もピアサポートという発想で問題と取り組む事ができたら良かったのかなと思ったりしています。今のままでは水谷先生の「教え子」たちは、水谷先生がいなくなったとたんにまた孤立してしまいます。自分や鹿児島の友人であるあきゅのが何人かの子と実際に関わってサポートしたことがありますが、ホント何人かで限界を感じてしまいました。ほんの少しのサポートで、あとは自分で道を切り開いていける子もいれば、あまりにも深い問題を抱えていて手に負えなかった子もいました。そういう意味で日本中にピアサポートのネットワークを作っていく必要性を感じました。

ピアサポートが必要な分野は他にもあります。DVやセクシャルハラスメントの問題です。精神的セクシャルハラスメントはモラルハラスメントとかぶる部分があるので、モラハラという概念が分かりにくい方もセクハラから入ればもっと分かりやすいのかもしれません。

私が異性と会話するのをいやがる
私が電話で友達と話をしていると不機嫌になる
私が友達に会おうとすると、いろいろ理由をつけてやめさせようとする
いつも私と一緒にいたがる
お化粧や服装について、彼が何て言うかいつも気になる
彼に怒られるのが嫌で彼の言う事を聞いてしまう
私の話を全然聞こうとせず、無視された事がある
お前なんか捨ててやるといわれたことがある
僕には君が必要なんだと、すがりつかれたことがある
叩かれるかもしれないと思ったことがある
待ち合わせの時間にちょっとでも遅れると機嫌が悪い
私の服装や化粧に細かく注文をつける
彼は私に手をあげることもあるが、その後はプレゼントをくれたりデートに誘ったりする
今度こそ分かれようと思うたびに、やさしくしたり、気を使ってくれたりするので、態度を改めてくれるかなと希望を持ってしまって別れられない

これらはすべて精神的暴力です。(「ジェンダー論」の教え方ガイド 沼崎一郎 フェミックス 2006年11月)

この本を読んで自分も衝撃を受けました。この本は女子大でジェンダー論を教えている先生が「We」という雑誌(ミニコミ誌?)に連載したものに加筆して本にしたものです。この「暮らしと教育をつなぐWe」編集部の方とも森田さんはつながっていて、自分はこの本と、先日の戸田の上映会でパンフに挟まっていたチラシを見て出会いました。「今度こそ別れようと思うたびに、やさしくしたり、気を使ってくれたりするので、態度を改めてくれるかなと希望を持って・・・」って自分に対して母がやった「モラルハラスメント」そのものです。さらに衝撃的だったのは自分の身近にこういうことを自分の彼女や奥さんにやっていた同性の知人が何人か思い浮かんだことです。彼らに対する違和感や不快感はこれだったんだ!と目からうろこが落ちるような感じがしました。

著者の沼崎さんは、自分が絶対必要だと思っている性教育の実践者でもあります。講義でこんなプリントを「テストだよ」といってやらせてみたりします。

月経中はセックスをしても絶対に妊娠しない
15歳以下の男の子にはまだ妊娠させる力がない
オギノ式の避妊とは“月経の前後一週間は安全日”というもの
膣外射精(外だし)は、手軽で確実な避妊方法なので、男の子はぜひマスターしておきたい
コンドームは射精の直前につければよい

もちろん全部うそです。でも男性向けの漫画やエロ雑誌にはこの手の話は必ず書いてありますよ。「生(コンドーム無し)でやるのが気持ちいい」とか。昨日電車に乗っていたら、ズボンをさげてトランクスをわざと見せるファッション(とはとても思えないけれど)の男の子2人がそばにいて、満員電車だったので全部話を聞いてしまいましたが、女の子の品さだめの話ばっかり。あのかっこ悪い連中(世代)が大学生になってきたんだなあとおもいました。

ちょっとここで休んで、後ほど記事を書き足します。

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2007/07/10

市原で講演会

風の便りに聞いた話ですが、再来月千葉県市原市で水谷先生の講演会があるそうです。聞きたい気持ちもありますが、むしろ全然知らない人に聞いて欲しいと思います。今月申し込み(主催がどこだかわからないのですが、市原市役所に聞いてみるしかないでしょう)だそうです。夜回り先生を知らない方はぜひ。

最近の水谷先生の体調が心配です。また、最近はドラックの話とリストカットの話とどちらに主軸をおいて話をされているのかも気になります。

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2007/01/28

犯人探しはやめてください

夜回り先生こと水谷修先生が27日広島であった講演会で

政府の教育再生会議がいじめをした児童・生徒への出席停止措置活用を報告案に盛り込んだことについて、「いじめる側を排除するのは悲しい」と語った。

そうです。詳しくはこちら

いじめはいじめる子どもを単に排除すれば解決する問題ではないことは、こころある教育関係者ならおそらく体験的に分かっているでしょう。むしろいじめる子どもが大きな家庭での問題を抱えていたりしてサポートが必要なケースも多いです。犯人探しは決していい結果を生みません。

犯人探しは成果主義の裏返しのように見えます。個人の成果はその個人だけでもたらせるわけではありません。青色発光ダイオードの特許訴訟でこういったことが議論されましたが、自分はやはり個人の力には限度があり、人が力を発揮したりアイデアをひらめかせたりするのは「環境」が物を言うと思います。環境というのはつまり人の輪だけでもないと言うことです。

優れた人材ばかりを採用している会社が必ずしも業績優秀にならないのと同様、いろいろなバランスが整ってこそ新しい発想が生まれるのだとおもいます。それと同様、環境を整えない限り「犯人」を排除しても同じような人がまたすぐに現れいたちごっこになるでしょう。

個々の問題への対応力が求められます。自分の身近で、保育園に勤めてうつ病になった人が何人か居ますが、学校も同様、先生の間で心の病が流行していることはよく言われます。子ども・親・同僚や上司という3種類の人間関係の中でバランスをとっていくのは今や相当難しいことになっていると思います。価値観の多様化が限度を超えています。払えるのに給食費を払わない人があんなにいるとは。給食の「いただきます」と言う挨拶すら言う必要がないと考える人たちも出てくる中で、一定のバランスを維持していくためには逆説的ですが一人ひとりの育ちの背景にまで踏み込んで人一人をまるごと理解しようとする努力が求められるような気がします。そのためには予備校が作る大学院大学なんてものでさらに頭でっかちになることよりも、沢山の人と交わって、沢山の価値観を実際に見聞きすること、そして一人ひとりを尊重することを体験的に学び取ることのほうがずっと役に立つでしょう。一人ひとりをまるごと尊重できれば「いじめっ子」「いじめられっ子」という二元論的発想から物を考えようとすることそのものがナンセンスに思えるはずです。

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2006/10/12

大宮に水谷先生

11月3日~5日にかけて大宮のソニックシティを会場として、「いのちの電話相談員全国研修会」が行われますが、その記念講演として11月3日に夜回り先生こと水谷修先生がきます。水谷先生についての記事は以前にも書いています

朝霞の講演
後味悪い

先生の本を多数出版しているサンクチュアリ出版のホームページです

閉じられた先生の掲示板です。閉鎖されてはいますが、メッセージや先生のことが書かれています。

NHKの番組に出演された時の紹介です。2004年9月4日
2004年11月5日

NHKではこの番組をDVDにして発売しています。

またラジオ深夜便で放送されたものをCDにして頒布しています。

またサイドバーに先生の最新刊を表示してあります。

今回も聴講希望者は相当数になると思われます。今から申し込むことができるかわかりません。埼玉いのちの電話048-645-4322へお問い合わせください。ちなみにいのちの電話の相談番号は048-645-4343です。24時間体制ですが数年前から24時間ほとんど話中の状態が続いています。これは全国のいのちの電話共通の状況です。

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2005/10/12

お粗末な性教育

わさびさんの記事にトラックバックします。すてきな奥さんなれるかな: 子供を産むなら大人になろう。そんな当たり前のことを言わねばならないこの現実。.


先月のべグライテンの例会の内容が児童養護施設の慰問ボランティアの話でした。高島君の話(横浜そごうで意図的に迷子にさせられ親が引き取りに来なかった子の話。その子はとても賢くて、なぜ自分が親から見捨てられたのかを知っているようで、絶対に自分の名前も親の名前も言わないので仕方なく見つかったそごうの住所から「高島君」と呼ばれるようになった・・・)やらなにやら、かわいそうな子ども達の話ばかりでいたたまれなくなったのですが、最後の話が自分をうーんとうならせました。

講演者の友人が北欧のある国でボランティアをしているのだそうですが、彼女から「日本はまだ養護施設なんてものがあるの?」といわれたそうです。というのもその北欧(ノルウエーかフィンランド)の国では性教育が徹底しているので、望まれない妊娠というのがほぼ皆無だそうです。そして以前存在した養護施設もホーム形式(具体的にどんな感じなのかは分かりませんでしたが)で、今はそれすら必要なく里親希望者はほかの国から孤児を引き受けるといいます。

確かに。自分が大昔に読んだ思春期の子供向けの性教育の本(小説仕立て)がまだありますが(「結婚ごっこ」ベルイクヴィスト 晶文社・・・・・・ちなみに訳者あとがきで「この本の出版ひとつとってみても、おそらく、児童文学界は、ご馳走を遠巻きにしたよわいいぬのようにうろうろするだけだろうし、親や先生にも子どもに勧める勇気のある人は少ないのではないか」と書いています。それが1982年のことで、しかも本国より10年遅れての出版だったのです)セックスありきではなくお互いの体を刺激しあったり抱き合ったりということでも十分お互いの愛情は確認できるということや、初めてのセックスはうまくいかなくて当然とか、コンドームは二人で手伝ってつけたっていいこととか、徐々にうまくなればいいなどということが書いてあります。以前ご紹介したスウェーデンの中学生向け社会科教科書には「みんなが性に関するすごい話をしていて、自分だけ取り残されていると感じるのは間違い。半数以上の同級生が同じように考えているのだ」と指摘しています。「多くの人が中学生時代に初恋の経験をします。しかし約3分の2の人が関係を持つのは卒業後です。20歳過ぎまで待つ人も大勢います」とあり、統計上の初体験の年齢をパーセンテージで示しています。これらは事実を知らせた上で「あせる必要はないよ」と呼びかけているように思えます。(「あなた自身の社会」 新評論刊)

日本では学校も親も性の話はしません。あるいは上手ではありません。思春期の子ども達は雑誌やロマンス小説で性のことを想像するしかありません。しかし女性向けの本では彼がものすごく大切に抱いてくれる、そばにいてくれるイメージばかり強調され、男性向けの本ではいかにセックスするかが攻撃的に書いてあるばかりです。映画だって良心的な作品でもベットで愛撫だけで終わらせるシーンなんてないものねー。絶対に最後まで行きますよね。しかもコンドームしている時間なんかないですよね。だから性の世界観がゆがむのはある意味当然でしょう。しかも最近の芸能人のいわゆる「できちゃった婚」が拍車をかけます。しなければ恋人と認められないような感覚を持っている子ども達や若い人(と書くと自分がそうではないみたいだな・・・)がほとんどでしょうね。街中で若い恋人たちに「お互いの体を大事にするんだよ」とコンドームを配りエイズ検査を簡単にやってあげるなんていうのは六本木の赤ひげと呼ばれる赤枝医師くらいでしょうか。鳩ヶ谷雑記: こんな産婦人科医もいます.

水谷先生の本でも援助交際でエイズをうつされて、投げやりになって仕返しとばかりに援助交際を続け骨だけのようにやせ細って亡くなる10代の女の子の話があります。真剣にこの問題を考えないと虐待も減らない、若い子のエイズはじめ感染症は増える一方というどうしようもないことになりますよ。

以前も似たようなこと書きました。やはりわさびさんの記事がきっかけでした。こちらもどうぞ小5の中絶って、どうよ。

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2005/07/23

朝霞の講演ver0.5

22日に朝霞市で行われた水谷先生の講演を聴いてきました。そのレポートを書こうと思いましたが、ちょっとここのところテンションが落ちていて、文章を次々ひねり出すことが出来ないので、友人に送った感想をアレンジして載せます。もう一度書き直す(出来たら)つもりで、今回はver0.5とあえてしました。


今日の先生の講演会は大変いい雰囲気で行われました。主催が更生保護観察協会や保護司会などと言うこともあり、本当に子どもたちの様子を見ている人たちだったこと、「社会を明るくする運動」という戦後始まった活動の55回大会ということで実績もあることなどが、調布と大きく違う点だったと思います。

観衆は大半が大人で男性もかなりいました。平日のこんな時間に良くいるよなと思うくらいでした。

また、会場で先生の本を3種類売っていました。販売は地元の障害者団体が行っており御菓子やちょっとした作品なども売られていました。本の収益はこの人たちのところに行くんだなと思うと安心して買うことが出来ました。

あと、感心したのが最後に手話通訳のボランティアさんに拍手が送られた事です。これも調布ではなかったことでした。

地元中学生の太鼓や吹奏楽の披露もあり、地域色豊かでした。埼玉ってやはり東京とは違うなあと思いました。朝霞なんて池袋から20分ですから新宿から20分の調布と距離的にはあまり変わらないのですが・・・。自分が都心に30分以内ということ以上に埼玉にこだわって住んでいるのも県境一つまたぐだけでこんなに雰囲気が違うからだなと改めて思いました。通行量の多い道路で、幅が十分に無く歩行者が危ないなと思うようなところもありますが、古い街道と思われ、拡張も一長一短かなと思ったり。あまりそういう感じを受ける土地は少ないのでが、ここなら住んでもいいなとすら思ったほどでした。

さて、ところで今日は観衆の年齢層が高いことから先生も講演の内容を少し変えていました。子どもたちへの呼びかけは少なめで、その分日本や首都圏、埼玉県で起こっている事柄を総合的に話す部分が多めだった気がします。朝霞ののどかな土地柄とは裏腹に埼玉はリストカッターが特に多く、また精神科医にまともなのが少ないとの事でした。精神科医の件は確かにそうだと思います。リタリン(当初から記事にしたいと思っていた薬です。
いつか記事にします。)のような依存性の強い、ある意味ドラッグと変わらない薬をいとも簡単に出す。患者の言いなりなんですよね。強いことを言わないんです。あえて患者と異なる意見を提示する必要があるときってあると思うんですが、経営上患者を失いたくないから出来ない。自分の通ったクリニックは奇跡的にそういう線とは違う先生で、しょっぱなからああいう先生に出会えたのはラッキーでした。ふたを開ければそういうところは患者が途切れることは無いんですが。

ドラッグの売人の話よりもリストカッターのことを多めに話されていました。素直でやさしい子を作れば作るほど、今の社会ではその子達は自分を責めることを余儀なくされる。彼らの生きられる社会を作らなければだめだと先生が語ると、なんと拍手が出たりして。


ちょっと中身が不足ですが、このままUPします。

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2005/05/17

意外に身近な夜回り先生

以前、夜回り先生こと水谷先生のことを書きました。鳩ヶ谷雑記: 夜回り先生(続き).講演会に忙しいとは聞いていたのですが、意外に身近なところで先生の講演を聴けるのだなと、先日思いました。

先週金曜日の事です。ずっと調子が悪くて出かけられなかったのですが、この日は病院へ行って頓服薬を追加してもらうこととカウンセリングを受けるという目的があったので、思ったよりスムーズに出かけることが出来ました。病院が主治医の担当日ではなかったのではじめての先生だったのですが、相性が最悪で、薬のことばかりうるさい人でした。確かに薬も欲しいけれど、聞いてもらうので少しは気の休まることもあるのに、そういうデリケートな部分が全く感じられない医者でした。最初にかかる医者がこういう人だとみんな医者へ行くのがいやになってしまうよななどと思いつつ、早く終わったので、行きつけの床屋に行くことにしました。

もう10年近く通っている床屋で、駿河台の明治大学の前にあるのです。働いている人がみなおばさんたちで、共同運営でやっているような感じなのです。安いし早いし、その割りに注文を聞いてくれるので行きつけになっています。そこへ寄るとついでに明大の中へお邪魔することが多いのです。トイレを借りるか、銀行ATMを使うか、学食へ行くか・・・。余談ですが明治の学食は高校生時代から利用しています。自分は明治の学生ではありませんでしたが、昔は駿台生が学生にまぎれて師弟食堂のお世話になっていました。今は17階にあるんですが、院生かなんかのふりで行っちゃいます。京大や立命館など京都の大学は学食でも学生証が必要で、そのときはごまかして食べるんですが、東京の大学はもうほとんどフリーです。

それはさておき、建物の中へ入って掲示を見てびっくり。なんと翌日土曜日に水谷先生の講演会があるというのです。

さすがに講演会をもぐりで聞くのははばかられたので翌日は自宅の近所にいましたが、けっこう身近なところでやっていらっしゃるのだなと思いました。実は昨年、まだブログもはじめていなくて水谷先生のことも知らなかった時、鳩ヶ谷市で講演会が開かれていたんです。部屋の整理中にティッシュと一緒に告知ビラが出てきました。そのとき知っていれば絶対聞きに行ったでしょうに・・・。

さて明大生は何人ぐらい先生の講演を聴きに行ったでしょうか?聴いてどんな感想を持ったでしょうか?でも確実に子どもたちの現状に関心を持ってくれた人が増えていますよね。多分中には教師になったり、子どもたちと関わる仕事に就いたりする人もいるでしょう。水谷先生の志が一人でも多くの人に伝わっていくといいなと思ったのでした。

#この記事は夜回り先生応援ブログ:今、我々にできること[その1]「考えること、考え続けること」.にトラックバックします。

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2005/03/15

生きることを望まれない子どもたち

ショッキングなタイトルでものを書きます。願わくはこういうことがなければ良いのですが・・・。

虐待としつけ|ACで死別シングルママの鬱・PD克服記
を読んで、最近読んだ「希望格差社会」の本の内容が頭に浮かびました。

家族の二極化が進んでいると言う話の中の一節です。この本は現代の経済の形が1998年ごろから変わってきたと述べ、その結果として高い給料で正社員として囲われ企画・経営などに携わる労働者と単純作業に派遣や請負、パート・アルバイトのような取替えの効く人材として携わる労働者の二極化が進んでいると指摘します。その結果家族というものが(極論すると)高収入を得られる者同士が結婚し、あるいは経済基盤の不安定な者同士が結婚するというパターンに分かれつつあると述べています。その結果急速に増えているのが、20代前半までにできちゃっった婚で結婚した夫婦で、この割合が増えるのと児童虐待相談処理件数の増えるのが時期を同じくすると言うのです。

20代前半までの年齢層は、生活基盤が整わないにもかかわらずレジャーへの関心が高いことを述べています。そうなると子どもは生活を脅かす存在であるばかりでなく、子どもそのものが生活を送るときの邪魔者になる傾向があるということです。極端な例だと信じたいところですが、中高生が親に虐待を受けているといって自ら児童養護施設に駆け込むなどと言うことすらおきているそうです。

自分のような人間は、確かに親のせいでAC(アダルトチルドレン)になりましたが、虐待されたわけではないです。親が未熟な為に過剰な負荷をかけられたり、ペットに対するようなゆがんだ愛情を注がれたりして心がゆがんでしまったわけです。

ところが虐待を受ける子どもたちは、しつけと言う名目で虐待されているというより積極的な虐待を対外的にしつけと言う言葉でくるもうとしている親に育てられていると言う感じがします。「夜回り先生」のなかのエピソードに「背中のない子ども」というのがあります。なんとタバコの吸殻を背中に焼印のようにいくつもいくつも押し付けられ、その傷跡のせいでプールに入れない子どもの話です。中学までは、プールのあるときは学校をサボればよかったけれど高校になって、プールに入らないと単位が取れなくて留年してしまうという子にたいして「夜回り(水谷)先生」が策を講じて救ってあげるという話です。こんな積極的な虐待をうけても子どもは親をかばおうとするのですね。CAPプログラムを日本の学校でも本格的に取り入れるべきなのでは、と痛感します。(CAPプログラムについては今月中にコメントすることを目標にしています)

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