べてるの家

2016/06/27

生きづらさに向き合って

べてぶくろのツイッターをフォローしていたら、そのつながりのつながりでべてるの家がとりあげられたユーチューブの動画にぶち当たりました。なんとべてるの向谷地さんが理事を務める精神科のクリニックが札幌にできていて、そこのデイケアのメニューに当事者研究があるんだそうです。なんでも札幌市内では半数くらいのメンタル関係の病院やクリニックがOD(大量服薬)患者とリストカット患者は断っているんだそうです。理由はそうした患者をフォローするだけのマンパワーがさけないからだとか。

本家浦河のべてるの家も紹介され、元気そうな潔どんをはじめ覚えのあるべてるメンバーをみつけました。

印象的だった言葉は「みつめない、ながめる」。向谷地さんの言葉ですが、どっぷり相手の問題に介入するのではなく当事者の苦労は当事者に返してあげるということかなと思いました。

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2013/09/21

やっぱりべてる

川口の図書館で見つけて借りてきた「べてるの家」の最近の本を読んだら、やはりおもしろかったです。一時はこういうものも読めませんでしたが、ホントだいぶ安定してきたと思います。べてるのすごいところは、当事者研究をやっている人みんなが表舞台に立って病気をおおっぴらにして、それである種「有名人」になってしまうところだと思います。自分がべてるを訪問して実際にお会いしたきた古株の方達と、新しい方達のコラボレーションが特におもしろかったです。新しい人が加わると当事者研究にもさらに厚みが出て味わい深くなるのですね。みんなの発病に至るまでのエピソードはすさまじいですけれど。

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2013/02/03

やればできるさ

「人生ここにあり」という映画のDVDを見ました。これはイタリアの映画で、原題は「やればできるさ」。イタリアは精神病院を全廃した国として知られますが、この映画はそのきっかけとなった出来事を実話をもとに作られています。ユーモアあふれ笑ってしまう場面もありますが、精神疾患への偏見や当事者の自殺、薬の多量処方の弊害など笑えない話題もたくさん含まれていて、深い内容でした。一番の感想は「これはイタリア版のべてるの家だ」というもの。

べてるで言えば向谷地さんのようなリーダーが、川村先生のような理解ある医師と共に、万年入院だった精神病患者を組織し起業を試みるのですが、やはり計画通りにものごとは進みません。しかしそこで価値観の逆転が起こって、事業がうまくまわりだすのです。べてるが昆布の袋詰め作業の下請けから始めたものの、かんしゃくを起こしたメンバーの一言で委託先から仕事を引き上げられ、それをきっかけに昆布の直販事業を立ち上げて飛躍したのとだぶります。商品価値のなかったものが一番の売りになるところもそっくりです。さらに精神科施設ではたいてい制限のある色恋沙汰もタブーでないところもべてると一緒です。

病気による障碍があってもそれぞれの人が出来る役割を分担し、お互いが無くてはならない存在になっていくところや、大事な判断はいつもメンバーの合議で決めるところなども「3度の飯よりミーティング」などのべてるの理念と重なります。

今、イタリアではこういう組織が2500もあって、3万人の精神病患者が働いているのだそうです。

とても勇気をもらえる映画でした。

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2012/10/25

こころとからだ

今朝の状態。起床は4時半でシャワーを浴び、身支度を整えて「今朝は横にならない」と布団類はすべて片付けて朝食作り。そこまでは良いのですが食べ終わる頃、やはり「疲れ」に似た感覚が襲い結局横に。まだ6時頃なので寒くなり、意志に反してもう1人の自分がふとんをずるずる引っ張りだしてうつらうつら。気がつくと8時半で、ばたばた片付けて、本の注文を一件発送して、洗濯はできずにデイケアへ行き、ぎりぎり朝の会に間に合いました。仕事じゃないから慌てなくても良いと言えば良いのですが、朝の会に間に合わないとしくじったような気分になるのでやはりばたばたです。明日は朝デイケアに行く前に買い物を済まさなければなりませんが(チラシ広告の特価品を購入するため)果たして間に合うか?

帰宅後ふと「べてるの家」の本、「安心して絶望できる人生」を読み返してみました。「そうそう!」と改めて感じることがいくつかありました。大事なのは「対象化」だと思います。べてるでは自分自身を研究対象に見立て「対象化」することで自分なりの症状への対処法を編み出したり、自己評価を高め本来持つべき自尊心を回復したりしています。問題が全く解決していないのにそれで良しと思える、問題にふりまわされない生き方ができるようになるのです。精神疾患は、実は脳の意思とは別の自分自身のからだが発するSOSで、発病することで実はからだにかかる無理な負荷を緩和しているのです。風邪を引いて熱をだすのが、その熱によって体内からウイルスを排除しようとからだが反応しているのと同じようなものなのです。だから精神症状が出た時、それに対する対処法を持っていることは、無理な負荷を避ける意味でも重要なのだと思います。うつはもとより、リストカット、アルコール依存、統合失調症なども多分根っこは同じでしょう。生きることの苦難(安全ではない家庭で育つ等)がそういう症状を引き起こして、結果としてからだを守っているのだと思います。精神疾患を持つ人のリハビリで生活力をつけることが重要視されるのも、その辺と関わりがあるのでしょう。

まあ、ぼちぼちだ。

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2012/08/01

ベベフィールド

きょうは午前中鳩ヶ谷ヒッポの人とヒッポ談義。というかヒッポを真ん中に置きながら、いろいろな話をしました。不思議なのですが、普通に話をしているだけなのに、何だか心が癒されていく感じがして気持ちが軽くなりました。最近「あれもできない、これもできない」と自分のふがいなさをせめてばかりいたようです。実はずいぶん自分がんばっているじゃないか、そんなふうにすとんと思えました。気持ちが前向きになったら午後の施設の仕事も一層楽しかったし、夜には川口駅前の中央図書館へ行って雑誌を読んだりもできました。気持ちが落ちている時は川口駅前に行くだけでも刺激に過敏になって辛かったりするけれど、気持ちが前を向いていると不思議と大丈夫なようです。ヒッポでは「ベベフィールド」と言って赤ちゃんの振る舞いを研究対象と捉えて「観察」することで、その赤ちゃんの無限の可能性を見いだし、かつゆるやかに子育てをしていこうという活動があります。自分の子どもも「研究」するものとして対象化すると、「べてるの家」で自分自身の病気を対象化して「研究」するのと同じような効果があって、子育ても不思議と苦でなくなるのです。それを思い出しました。一緒だ。悩みながら過ごす一日一日が『生きる』ということなんですね。

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2012/07/08

やはり「社会復帰」

目下の心配事というのはこういうことです。身体・知的障碍と精神障碍の違いのひとつで、精神障碍は治る可能性があるので、2年に一度診断書を年金機構に提出しなければならないのです。その時期がもうそろそろなのです。

障碍年金をもらえることになった時、自分は2年限りのつもりでした。うつ病という病は統合失調症などとは違って数年で治るものだとおもっていて、それを前提に動いていました。それがそうならず今度で4枚目の診断書になります。デイケアで相談すると、前回の診断書の控えを確認してくれて「うそは書けないけど、現状から考えれば基本的に前回と同じような診断書になると思いますよ」と言われました。だから大丈夫だとは思うのですが、逆に言うとそれだけ快復に時間がかかっているわけで、これは想定外のことです。結果(書きたくはないのですが)お金の心配を第一にしなければならなくなってきました。今すぐにどうなるということはありませんが、まだ少なくとも数年かかると考えざるを得ないので出費は最低限におさめて行かねばなりません。バスをなるべくやめて自転車での移動を増やしたのも、自転車が好きということもありつつやはり経済的な問題もあったからです。一時期に較べるとだいぶ止血できて、なんとかヒッポは続けられるくらいではありますが、年金が支給停止になるとそうもいかなくなります。

統合失調症でも自分より短期間に完治はしなくても緩解して社会復帰している人はいます。逆に言えばそれは希望かもしれません。つまりうつ病ならいつか必ず治るから。しかしそれにしても長いです。

ヒッポを始めた頃は「べてるの家」の人たちの生き方を知って、「自分も社会復帰しない。社会進出する」と言っていました。しかしそれも簡単なことではありません。前の主治医は「べてるの生き方はすばらしいけれど、あなたの生き方はそうではないと思うよ」と言っていました。今の施設を続けて「社会復帰」をめざすのが自分には一番現実的な選択なのだと思います。地味に「一日一日」の積み重ねです。

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2011/01/28

きょうの「やはりべてる」

体調が遷移する。一つの過敏がやっと少し収まってきたと思えば次が来る。こんな話はしたくないのだが、話がエンドレスになる。診察のときなど「この先の方針をどうしたらいいのか」と聞く。答えは「結果的に」できれば次。だめなら「その時はその時」。こんな状態が続くとほんとうに堪える。経済的な問題とも絡んでくる。もともと精神疾患は貧乏になる病気だ。やっと少し調子が出てきたかと思うと再発して、まるで「あなたの人生はそちらの方ではないよ」と言わるかのような思いをくり返してきた「べてるの家」の人々の苦労が身に染みてきた。

もう「べてる」はいらないのではないか、と昨年思ったときもあり、主治医も「べてるの生き方は、それはそれで素晴らしいけれど、なんちゃんの方角とは違うと思う」と言われたが、やはり「べてる」に学ぶしかないような気がしてきた。
状況を笑いとばす。
自分の症状を研究する(対象化する)。
対処法を練習する(SST)。
開き直る。

もういちど「べてる」。

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2010/11/08

きょうの「求めるもの」

「べてるの家」の山本賀代さんが「べてるの家の当事者研究」で「心のゴミをためずに、こまめにケアする」ことを生きるための対処法のひとつとしてあげていた。これは、感じやすく意味を深く取りすぎるようになった自分にとっても大事な対処法で、そのためのデイケアであり瞑想(メディテーション)になっている。デイケアはそのうち卒業することを前提とすれば、瞑想がとても大事。しかし「優先順位」を気にしなければならないほどになってくると案外時間の確保が難しい。15分くらいやっていると最初の混沌状態から抜け出して「今やるべきこと」や「気にしなくていいこと」などが峻別できるようになるので、30分はかかる。今日はその30分の確保ができなかった。

インドへ行ったとき、ホストのニラージュのお兄さんは毎夕帰宅すると(多分)お経を唱えていた。あれがちょうど30分前後だった。彼はあれで毎日「心のゴミ」を片付けながら「今すべきことは何か」を整理していたと思う。あのようなゆったりとした時間の流れが、自分が今「みらい」に「求めるもの」の一つなのだ。日本の時間の流れの中でこれを確保するのは難しい。でも今からそういうことをしていかないと、そのうちつぶれそうな気がする。

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2010/10/26

きょうの「めざすもの」

今日は診察。ちょっと処方をいじったとはいえ、1週間でかなり浮き上がったのでほっとしたような声で「よかった〜」と言われる。この程度で大丈夫なのかは「やってみないと分からない」といったところだったかもしれない。今までの経過を考慮し最小限のところで試したのだと思う。先週の診察の後看護師さんから言われた通り「安易なラクチン」より「うたれ強さ」狙いだったのかもしれない。

やっと落ち着いてきたのだから「次の一手」は次の診察後くらいでいいのでは?と言われる。

リハビリテーションの学会が、なんと「べてるの家」のある北海道・浦河で行われて行ってきたそうだ。自分も看護師さんに教えられてホームページなどを少し見たが、学会とはいえ全面的に「べてるの家」がかかわっているもので、ホームページの動画には早坂潔さんを始めとした懐かしい顔が手を振っていた。とんぼがえりの浦河は大変だったらしく「よく行きましたね」と今さらびっくりされる。自分は鈍行列車で2週間かけての旅だったから別に大変でもなかったのだが。

今までは「べてる」に行くことは一種の逃避と考えられていたが、今日の診察では「あそこで生きる選択は、それはそれで素晴らしいと思う。でもあなたはもうちょっと違うものを目指した方がいい」とも言われる。実は自分も初夏の頃だったか、「もう自分にはべてるはいらない」と思った瞬間があった。今の自分は「べてるでやっていくことのほうが難しい」とも感じている。

デイケアでは英文雑誌も少し読めるようになる。プログラムにも少しずつ参加できるようになり、看護師さんから「春先の声の調子に戻ってきた」とも言われる。そうはいってもまだ頭がふわーと過敏になる時はある。確かに「次の一手」はもう少し先延ばし。

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2010/03/07

一種の最先端治療

2日にも書きましたが、自分が今取り組んでいるのは自己研究です。自分自身を研究対象として、ワークシートに自分自身の状態を記入していきます。これは自分が通っているデイケアで昨年から取り組み始め、いまやほとんどの人がこのワークシートに自分自身の状態を記入し、それをもとに診察が行われています。記入するワークシートはデイケアで精神保健福祉士の資格も持つ看護師さんたちが作っています。目標を短期、中期、長期に分けて記入し、長期目標は生きること、日々の生活をこなしていくためのモチベーションとなります。そしてそれを実現させるためには現実的にどうしなければならないかを中期目標に、その中期目標をこなすため週~月単位で達成できる目標を短期目標として設定しています。薬はきちんと飲んだか、食事はきちんととったか、間食はしていないかなどを○×で記入したり、気分の度合い(ゆううつか気分良いか)を10段階で記入したりしている人もいます。言葉で書くことのできる人は言葉で調子を書き込んだりもしています。自分は他の人のものを参考に自分でアレンジしたものを使っています。毎週この形式を変化させていますが、シートを使って診察を受けることはもちろん同じです。

自分自身もそうなのですが、このシートを書くことで、多くの人が気分の上がり下がりや疲れの因果関係を自分でつかめて納得できるようになってきたのです。自分も疲れて思い通りにおきられない時、疲れの発作が出るとき、不安になる時、いつも「データ」を振り返り、自分で対処法を見つけています。そういうことができるようになりました。他の人も程度は様々ですが同様で、5年、10年とデイケアに通所しているばかりだった人たちが、作業所に出かけたり、自分のように就労支援センターを利用して就労を考えるまでになりました。そうやって自分のコントロールが自分で出来るようになって来た人たちは積極的に飲む薬を減らしています。もちろん医師との相談で決まることですが、医師も減らしてかまわない薬はどんどん減らしています。

これは「べてるの家」で「当事者研究」として行われていることとかなり似ています。ただし「べてる」では複数の人でサポートしあいながら自己研究を「言葉」におきかえていきます。だから当事者研究の本(医学書院)まで作れるようになりました。自分の通っている病院のデイケアはそれとは違い、個人の特徴に応じて表形式のワークシートにして、グラフのように一目瞭然にする、それをスタッフや主治医と検証しながら次のステップへすすむというところがちがいます。図や数字やグラフが多用されています。

現代社会はゴールの無い、常に知識能力をブラッシュアップしていかないとならない社会ですが、限度があります。すきま時間の使い方なんて本まであるけれど、普通の人がすきま時間まで何かしていたらすき間がすき間でなくなり、集中しなければならない時間まで散漫になるはずです。自分の器を自分で認識して「出来そうだけれどもあえてやらない」という判断を下さないとならないのです。「あえてやらない」ことがいかに難しいかは「とても難しい『できるけれどあえてやらない』」にも書きました。とくに自分のような人間は抱えすぎの傾向があります。この1~2年いかに「抱えない」ことをがんばったか!

ワークシートを使って自己研究することで、寂しさの原因も分かる、疲れの原因も分かる、つい食べてしまう原因(自分は間食しませんが、そういう人も多い)、つい飲んでしまう原因も分かる。自分で手を動かして毎日書くことで、自分自身で原因がつかめる、納得できるのは実に大きな効果があります。

所詮坑うつ薬が進歩しようと、風邪薬と同じように対処療法にしかなりません。(でも薬を飲むことは、症状を安定させるためには大事です。飲みすぎもいけませんが、適切な処方量の薬を飲むことは大事だと自分は考えます。サプリメントのほうが毒性が少ないという意見がありますが、本質的にはサプリメントも対処療法という意味で変わらないのです)。自分を知ること。そこからが本当の回復です。しかしこれには主治医やスタッフの側に時間と忍耐が必要です。「調子はどうですか?」だけ聞いて、薬を処方するだけの方が今の仕組みでは楽チンだし利益もあがります。「人材を社会へ還元するのが精神医療の役割でなければならない」、とデイケアの主任看護師さんは言っています。これは誰にでも言えるせりふではない。やはり自分は色々な意味で恵まれています。

このワークシートを使った自己認識法は、そのうち学会で報告されるそうです。ある意味最先端の精神科治療なのです。

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