昨日ひっぽの集まりに出かけたときのこと。約束があって(そのつもり)自分は参加している子どもたちに向けて、自分のうつ病の話からインドへ旅立ち、今度はインドに滞在することを目指して再訪問するまでのことを子どもにもわかりやすいように原稿を書いて、お話ししました。いつもは大人向けにばーっと話してしまうのですが、子どもたちに語りかけるように話したら、自分の周りに集まってきてみんなで話を熱心に聞いて質問もしてくれました。こんな子どもたちが自分はかわいくて仕方がありません。
帰宅する道すがら、子どもたちの顔と数日前にここに書いた記事「みえてきたもの」が思い浮かんで何とも言い難い気持ちになりました。国や自治体が抱える数百兆円の借金の山は、私たちはもちろんですがあの子どもたちも担保になっているのです。ごく短期的な仕事や特定のセクター向け財政支出のために巨額の借金を重ねることは、全く事情を知らない子どもたちに対する虐待といってもいいでしょう。
この記事を読んでみてください。新福岡空港にみる財界人の駄目さ加減土地勘がないと具体的な話にはついて行けないかもしれませんが、趣旨はよくわかると思います。本論で特に大事なところを引用します。
ところが、移転推進派はそうは考えないらしい。地元の財界で構成する新福岡空港促進協議会は、新空港建設に向けて活動するという方針を決めた。しかもその候補となったのは、国などが示した三苫・新宮ゾーンである。ここから博多駅に向かうとなると、迂回したコースをたどらざるを得ない。当然、従来の福岡空港に比べれば、空港から市街地・商業地への所要時間はゆうに1時間はかかるだろう。当然、東京便などは至極不便になり、既存の福岡空港存続運動が起きるであろうとことは伊丹の例からも想像に難くない。(中略)
現状の関西国際空港と同等以上のアクセス性を実現するとすれば、陸から空港まで渡る陸橋の建設と鉄道の敷設も必要だろう。工事費は数千億円と発表しているが、関空の例(第二滑走路まで入れて総額4兆円)を見れば分かるように、すべて含めて考えれば滑走路一つでも2兆円くらいはかかると見て間違いないだろう。冬季には強風が吹き荒れる玄界灘の真ん中に造るとなれば、横風用の第二滑走路が必要、などということを後で言い出す可能性もある。なぜわざわざ余計なコストを発生させてまで、そのような不便かつ危険なところに空港を造らねばならないのか。
いや、余計なコストがかかる大工事が必要だからこそ、「なるべく遠いところに、でかい空港を造ろう」ということになるのが、我がニッポンなのだ。まさに「壮大なゼネコン国家」である。地元の経済人にとっては、工事がしたいだけなのは明らかだ。これが実現することになったら、うれしくて仕方ないだろう。(中略)
結局、そのような不便な条件を持つ場所に空港が造られるのは、「なるべく遠くに置いたほうが土木にはいい」「余分に工事ができる」からだ。必要もない海上空港などその最たるものといえよう。あたら利便性の高い場所を捨ててへき地に空港を移転したために、地域経済が縮小した例は日本にたくさんあることを移転推進派は知ったほうがいい。(中略)
嘆かわしいことに、広島空港を山の中に移転させた張本人の財界人たちは、いま元の場所である観音町に主として東京行きの便を復活させようと動き出している。無節操の極みと言うべきであろう。大工事をしたいがために、自分たちが山の中に移転させておきながら、このやり方はないだろう(もっとも移転の当時は、福山市出身の宮沢喜一氏の働きでこの場所に決まったという一面もあるのだが)。
いま、このような話が全国至る所にある。圧巻は神戸空港と静岡空港(建設中)だ。前者は伊丹と関空の間に付け入るスキがあるはずもなく、有用性があるのは1日数便と貨物ぐらい、そして後者はスズキとヤマハの社員のための成田便くらいしか有用性がないのではないか、といわれている。(後略)
ガソリンの暫定税が復活して、たぶん今まで以上に車のユーザー、特に運送業者は重い負担を感じているでしょう。これが食料品をはじめとした物価上昇に拍車をかけるのは間違いないし、中小零細運送業者のなかにはコスト負担に耐えられずトラックの整備を怠り、先日の東名高速の事故のように走行中にタイヤが脱輪して対向車線に飛び出すようなことが頻発するのではないでしょうか?「税率を復活させなければ赤字が増える」という論理に至っては「本気か?」と叫ばずにいられません。総理の福田が暫定税率失効に際して「国民におわび」しましたが、そのとき「財政に穴が開けば将来の子どもたちに負担を先送りすることになる」と言っています。話が逆だ!
国のありかたを根本から考えるべきです。前から自分が書いていることですが、繰り返します。財政赤字は子ども虐待の最たるものだと思います。
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