自分の事

2010/06/22

西経堂団地と電気曲馬団

数日前に公団住宅の話題を書きました。鳩ヶ谷だけでなく古い公団住宅は最近ずんずん建て替えられています。近隣では東武伊勢崎線の駅名にもなっている草加市の松原団地も建て替えの真っ最中。

そんなことを思っていたら、昔の電気曲馬団(たびたび登場してはいますが、自分が以前参加していた劇団→パフォーマンス集団)ののチラシが束になって出てきました。その中に「木霊祭り -西経堂団地 お別れと再生のセレモニー-」というのがありました。93年末から94年1月(1月から取り壊し)にかけて行われたイベントで、特に約30年大切にしてきた団地の樹木へ「ありがとう」と「さようなら」を言うためのセレモニーとして企画されました。街歩きやアートイベントなどいくつものイベントのひとつとして電気曲馬団主催の「木霊パフォーマンス」もあったのです。このパフォーマンスには自分は全く関わっていなかったので記憶がないのですが、そういえばこういうことに興味をもって現在はすさまじく変貌した荒川区南千住汐入地区の廃校になった小学校で公演をしたことなども思い出しました。その時も、来場者に公演の演目だけではなく建物や地域をじっくり味わってもらうためのしかけをいくつも仕込んでいて、そういうことがすごく楽しかったのです。

こういうところにも自分を再生するためのヒントがあるようです。

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2010/03/16

心に響く時期がいつかくる

先日記事に書いたうつ病発症からの日記30冊もちょっとだけ読み始めました。いっぺんに読むのは体調にも悪いし、お礼の気持ちと報告をあちらこちらに送るのと、大幅に減らした自己研鑽とを、就労支援プログラムに支障をきたさない範囲でバランスをとりながらやることにしました。

8年前の当時の主治医とのやりとり、カウンセラーとのやりとりを読みました。自分がぶち壊れた当時の家庭環境と仕事環境のすさまじさをあらためて感じました。1年前だと、読んだだけで具合が悪くなりそうなことも書いてありましたが、もう、ほんとうに大丈夫なようです。うつ病になってしまった自分だけれども、もともとストレス耐性が弱い訳ではなく、強すぎて程よく壊れることが出来なかったようです。

8年前の友人の電話でのアドバイスも要約して書いてありました。「書いた」ということは「大事なこと」だと思ったからであるはずですが、ほんとうに響いたのは今回読み直して初めてでした。

うつ病に限らず、人生をすごす上で大事なアドバイスを受けるチャンスが多かった自分はほんとうに恵まれていますが、それが単なる「理解」ではなく「心に響く」「納得出来る」ようになるには時間が必要なようです。いつか分かる時が来るのでしょう。仮に自分が何か小さなアドバイスをするような時も、それがすとんと相手に納得されるなどとは思わないことにしました。最近気づくことの「なんと当たり前なことか」と、今さらの無知、至らなさを恥じ入るばかりです。しかしきちんとプロセスを踏んで自尊心を育てることが出来ましたので、それで落ち込むことなく、「これから分かればいいや」と割り切ることにします。所詮その程度の自分。しかし、それが分かる自分。うつ病やアダルトチルドレンからの卒業とはそういうもののようです。

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2010/03/12

腕がへし折れるほど重い1000円札

2月から正式に通っている就労支援センター併設の作業所。今週は若干波の幅が大きくなり、朝10時まで起きられなくてへこんだかと思えば、朝7時にするっと起きられて、調子に乗って我が家の大掃除の続きを始めてしまい、すぐに疲れがでて診察でそれを指摘されたりしましたが、そうはいっても正月あけに大きく変調して2〜3日でデイケアを休んだ以外はデイケアか就労支援センターへ、落とすことなく通うことができています。昨年「就労支援センターというものを利用してみよう」という話になったのが11月〜12月。それまでは考えることも出来なかった境地が開けつつあります。

先日制度のことを少し書きました。自分の通所先は時給ではなく工賃扱いで下請け作業の請負金が分配されるのです。作業に携わるのは週3日です。今日、思いがけなく先月分の工賃が支給されたのです。利用料負担額のほうが大きいので実質は持ち出しなのですが、たった1000円札一枚が給料袋の中に入っていました。「たった」と書きました。しかしこの1000円札を見た瞬間、先日の日記30冊と同様、今までの12年のうつ病の歩みがよみがえりました。この1000円札は12年の模索があって、さまざまに動いて出会いがあって、やっと運が味方して、それで出てきた1000円札です。ふけば飛ぶような薄い1000円札一枚が、自分には腕がへし折れるほど重い1000円札に感じられました。

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2010/01/20

情報過剰体質

小売店勤務時代「あらゆることからトレンドをつかめ」「敏感になれ」と教育されてきました。自転車で通える距離でも敢えて電車で通勤して、乗客のファッションや行動様式、車内広告などに目と耳と心をすませと言うのです。おかげで様々な情報をつかむことが出来るようになりました。しかし、今は情報が入りすぎ。テレビのバラエティー番組の中からも、放送作家の作ったストーリーや取材先のリサーチ方法、出演者の出で立ちまで、すべてが情報として認識されてしまうのです。笑って楽しむどころか、一時間も見たら疲れ果てます。一種病的だと思います。主治医もあまりに過敏なので何とかする必要があると感じているようです。今週から就労支援センターへ通所し始めましたが、必需品の買い物くらいに絞って、あまり普段しないようなことをしないように、とかなりきつく言われています。数年前からテレビが苦痛になっていましたが、昨年新聞も止めてかえってすっきりしました。目下の悩みは京浜東北線のモニター画面。テレビ並みに情報垂れ流しで、動きのあるものにはつい目が行くからです。古い(決して古くもないのですが混雑時につめこみがきく幅広の電車に置き換えが進んでいます)車両は良かったのですが、新型の電車が目にも耳にも、かなりきつい。もうすぐ全部新型に入れ替わるため、「さようなら京浜東北線209系」などというポスターが掲示されています。大変だなあ・・・。

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2010/01/12

タスクリスト

自分のように「あれもこれも」とやるべき事を作ってためこむ人にとって、タスクリストを作るのはとても効果があります。優先順位をつけるのに役立ちますので、相手のある場合に礼を欠く事態を防ぐことが出来ます。また、頭が回らない時間帯に掃除や機械的な作業を済ましてしまう事ができるので、調子の良い時に、そういう時でなければ出来ない事柄に集中して取り組む事が出来ます。さらに、終わった作業を消し込んで行くと想像以上に達成感があります。できた!達成した!終わった!と、その都度自分を評価する事は自分のようにハンディキャップのある人間にとっては、とても大事な事だと感じています。

タスクリストが一番活躍するのは、営業のビジネスマンだと思います。顧客の為にやるべき事はきりがありません。優先順位をつける意味でも、大事な作業を落とさない為にも、一歩立ち止まってリストにするのは効果的です。

なんだかいつも忙しくてきりがないという一般の方にもお勧めします。

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2010/01/04

今年の目標

喪中につき新年のご挨拶は控えさせていただきますが、今年もみなさまにとって良い一年となりますようお祈りしております。まったく、年賀状を出さない(出せない)というのは実に不便なものですね。友人知人の近況が全くと言っていいほど分かりません。これを読んでいる方は、よかったら近況をメールでお知らせくださいますように。

うつ病生活も12年目に入りました。今までは過去を捨てて割りきることがこの病気の患者としては進歩でしたし、これからもそれ自体は変わらないと思いますが、今年はいよいよ症状の改善が顕著になり手帳の等級が落ちる、障害年金がもらえなくなるのはほぼ確実と思われます。そしてその代わりに具体的な就労への動きが本格化します。そんな自分自身の今年の目標は、一年先にどうなっているかをイメージせず、3日先の体調を考えてやるべきことを先に延ばすという、体調の良い方とはまるで正反対のものです。とにかく無理は禁物なのです。病気がぶりかえしても医療費の公費負担や手帳の認定などがしてもらえないケースがおおいのです。自分の体調を自分で管理するのはまさに今、十分に訓練しておかないとならない類いのことです。そのため体調に応じて明日の目標を、来週の目標を、来月の目標を臨機応変に変えられる事がとても大事です。その自己管理がきちんとできるようになれば、いよいよ長かったトンネルにも出口が見えてくる今年一年になりそうです。

このところの体調のバロメータはふとんをたたんでしまえることです。ごろごろしているのが大嫌いな自分、体調が整うと無性に掃除がしたくなって布団をあげてしまいます。これが当たり前になりました。コーヒーのためにお湯が沸かすことができるかどうかがバロメータだった時代は布団なんかたためなくて当たり前でした。本当にずいぶんと変わったものです。

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2009/12/14

就労に向けて

仕事の再開を考え始め、意識変革に1ヶ月、11月いっぱいかかりましたが、その後の動きはかなり早いです。先週月曜日高齢者・障害者雇用促進機構に電話してどういう利用法があるのか情報収集したあと、王子のハローワーク(うちからならば川口のハローワークが自転車で行けばすぐですが、埼玉の情報が多いので、今通っているデイケアとの両立を考え都内を考えました)へ出向いて障害者枠の求人票を閲覧しながら求人の傾向を探るとともに、障害者枠へ応募するための要件を知りました。水曜日は鳩ヶ谷市役所へ就労支援センター関係の問い合わせをし、木曜日の診察で反省と今後の戦略を検討。金曜日には県のリハビリテーションセンターなどへの問い合わせをしたあと、西青木にある川口市の就労支援センターへ行きました。各市町村に設置することが国の法律で決まっているにもかかわらず設置がおくれている鳩ヶ谷市に代わり、ここでも川口市民対象ながら鳩ヶ谷市民枠が若干あるとのこと。で、1時間のカウンセリングを受けた後登録をすませました。この就労支援センターでは、3ヶ月くらいカウンセリングと状況観察を続け、来年3月頃主治医に就労許可をもらってハローワークに障害者枠での求職登録をしようということになりました。

しかし、自分の通っているデイケアでは、実績や経験をもとに「気持ちの盛り上がっている今から少しずつ働ける施設を探そう」という方針でしたので、さらに動きました。主任看護師さんが今日鳩ヶ谷市の担当保健師さんと連絡を取り、自分の意向を伝え就労支援先候補をいくつかあげてもらいました。その中に、最近川口のグルメマップにも載っている人気のレストランがありました。ここは、社会福祉法人の運営で、川口今村クリニックと連携しながら就労の場を提供しているのです。まるでスワンベーカリーのようなところなのです。デイケアの看護師さんが連絡をとったあと、自分で連絡をし、金曜日にとりあえず見学をさせてもらえるようアポイントをとりました。

明日以降は担当保健師さんと連絡を取り、就労支援センターや保健師さんが紹介してくれた施設とどのように関わっていくのがいいか、相談しデイケアとも連携しながら動きを具体化させていくことになりました。

こういう目立つ動きの裏で、自宅やデイケアでは日々の生活をならしていくためのチェックシートを作成し、長期目標として「金銭的な支援なく自活していく」「将来的に英語の翻訳で食べられるようインドに留学」(インドをあえて入れているのがミソ。長期目標なので、仮に実現できなくてもモチベーションが維持できるようなものがいいのだとか)中期目標として「来年中に、障害年金で支給されてきた金額程度が得られるよう、就労する」「英語を少しずつ上達させる」短期目標として「デイケアへの参加時間を増やしプログラムにも積極的に参加する」「7時におきて、以降は寝ない」「21時には完全に活動を終了して帰宅、いつでも寝られる体制づくり」「23時に就寝」。そして注意点として「自分の疲れやすさを自覚して、長期目標を短期でやろうとしない」と目標や注意を自分自身で練り上げてシートに併記しました。このチェックシートは先週金曜日の就労支援センターで見せたところ、「自分自身がよく自覚できている」と高く評価してもらいました。

以前健康だった頃に自分がやっていた仕事で重要だったポイントは、今回の就活では全く役に立たず、むしろマイナス。いかに過大な目標をこなそうとせずコンスタントに一日一日をこなしていけるか、そのため具体的に目標をたてて自分で行動できることがポイントと分かりました。

23時になりますのでそろそろ寝ます。無理はないように注意しながらもいろいろと情報を集めてぐいぐい動いていることが分かっていただけるものと思います。大事なポイントも書きましたので、今後同じようにうつ病からの復帰を考えている方は参考にしてくださればと思います。

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2009/12/10

社会進出の前の社会復帰

4年位前、べてるの家や東京シューレなど、決まった時間に決まった事ができなくてもその人それぞれの特性を生かした働き方や学校の通い方を認め生かし育てる環境があり、しかもその環境や人が社会にとって有意義である現実を知りました。それで自分も社会復帰はしない、自分が出来る社会貢献の仕方を考えて社会進出する!と宣言しました。

時が経ち、今、自分は自分自身の特性を十分に生かした社会進出を図る為、あえて社会復帰をめざし始めました。

4年の時間で自分自身も変化し、社会も変化しました。自分はインドに行ったりして国際的ものの見方をするようになりました。国家や社会としての日本という枠組みを相対化できた事は大きいです。

社会の側の変化もあります。うつ病をはじめとした精神疾患に対する認識が格段に向上しました。もっとも言葉だけが先歩きしたり、新たな誤解を生んだりもしています。しかし切り捨てられない社会問題だと思う人が増えたからこそ3障害の扱い統一が少しずつでも進んでいるのでしょう。その中、事業者は全雇用者の一定率障害者を雇わねばならなくなりました。最初は努力義務だったのが、今は達成できないと罰金を払わされるらしいです(詳しくはこちら)。そのため障害者枠での就業という選択肢が出来ました。手帳を持っている障害者でないとこの枠は使えません。もともと身体障害をイメージしていた事業者も、知的障害や精神障害の該当者も雇わないと必要な雇用率を達成出来ないので、あらゆる障害者手帳所持者を対象に雇用し始めています。ハローワーク以外に専門の紹介会社もあります。これなら就労期間にブランクがあってもハンディは小さい!しかも通院日などに配慮してもらえるなどの条件設定が出来ます。働くにも働きやすい。

この枠を使ってまず仕事に就き、障害年金がストップされても食いつなげるようにする事がとりあえずの目標になりました。仕事の選択肢を広げる為、午前9時から仕事開始出来るように練習し始めました。夜は23時までに必ず寝て、朝7時には朝食が食べられ、すぐ活動出来る訓練です。当たり前の生活習慣と感じる方もおられるでしょうが、精神疾患をもつと大変疲れやすい体になりますので、前日いかにやるべき事を後へ回すか、人に頼むかが朝起きる為の鍵になります。精神疾患の患者は概して真面目です。やるべき事はきっちりこなさないと罪悪感から眠れなくなったりします。だからこのチャレンジは主治医や専門のアドバイザーと連携しながらやることが必須です。やりすぎると病状が逆戻りするリスクもあります。

しかしこれが出来るようになれば活動の幅はグンと広がります。そして当事者のサポートの側に回ることも出来ます。いろんな可能性が出てきます。そういう社会進出もありだなと思えるようになりました。だからこそ、そのための社会復帰を目指しているのです。

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2009/11/30

でも、やはり、だから、インド

前の記事の続きになります。

でも、実はインドを知ることは世界を知ることに通じる部分があるのです。インドがイギリスの植民地だった時代があることは多くの方がご存知でしょうし、そのおかげで英語が公用語であり、鉄道が大変発達しているし、アグラ城の宝物はほとんど大英博物館にあるわけですが、イギリスが来る以前からポンディシェリはフランスが、ゴアはポルトガルが占領していました。インド独立後、日本の上野にある国立西洋美術館の設計でよく知られるフランスの建築家ル・コルビジェがデリーの北方にあるチャンディガールの公共施設や町並の設計に携わったことは実に有名です。とにかく様々な文化が入り乱れ、もうすぐ中国を抜いて世界一の人口を擁する国になるくらい人だらけ、人との関係性が実に濃く、だから食い扶持の問題以前に住むのが大変な国インド。英語のネイティブスピーカーはいくらでもいて語学学校もたくさんあるのです。インドへ短期語学留学するというのはありだと思います。本気でこの5年くらい英語をやってみる。どうせ今後体力が快復しても日本で正規で働くのは難しいでしょう。英語がらみの単発の仕事を少しずつこなすというのは、ほんの少しだけ現実味があるような気がしています(どちらにしてもきわめてハードルは高い)。英語をアメリカでもなく、イギリスでもカナダでもオーストラリアでもニュージーランドでもない英語圏(自分の高校時代使っていた、かつ今も愛用している英和辞典では英語圏とはそれだけとしか認識されていない)がインドなのです。(マレーシアもイギリス占領時代があり、公用語こそ英語になっていませんが英語を教える学校はあるのです。マレーシアも歴史・文化もろもろかなりおもしろい国だと思いますが)

数日前に書いた英語圏の国でのスクールインターンシップによる英語漬け生活とともに、今、夢として考えているのがインド英語留学です。言葉だけではなく、濃密かつ自分の思った通りには決してすすまない人間関係に鍛えられてたくましくなりたいものだと思うこのごろです。

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2009/11/23

新聞をやめて1週間

主治医が「情報を頭に入れ過ぎ」と、本当に繰り返し指摘しています。どうもこれは仕事をしていた時代のくせのようです。サラリーマン時代は「ぼけっと電車に乗っているな!周囲がどんな服装をしているか、広告がどうなっているか実感してこい」といわれていました。正反対のことをいわれています。「就労」の二文字がちらついたとたん「職務経歴」「資格」と「ブランク」という言葉が頭をぐるぐる回り、自分で勝手に焦っている始末です。

あまりにも「情報」に敏感すぎるので、「メディアと接するのを制限したらどうか?」と言われ、先週から新聞の購読を中止しました。以前にもこういうことを試したことがありますが、ないとかえって気になり「キオスク」で買って読むようになってしまったこともあります。こんどはどうなりますか。ちなみに「メディア以外からも情報の取り入れを制限して、しばらくまっさらにしてみたらどうか?人間関係も整理して親友3人だけとつきあえば十分だろう」と言われています。極論として言われているのであって、実際にそうしろといわれているわけではありません。しかしながら人付き合いの中で、自分の勝手な邪推で自分自身を傷つけたりしていることもあります。インドのこともそうですが、「いろいろな可能性を試してみないと自分の将来は開けない」と焦りすぎて、体力や精神力が追いつかないのにあれこれ手を出そうとしているとは思っています。

12月からはデイケアですごす時間を長くして、興味・関心をしぼる練習が始まります。

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