インド

2012/09/20

見られるかな

みられるかな?自分が行ってきたインド、シッキム州の写真。すばらしいです。こちら。見られたら教えてください。だめだったらごめんなさい。9月18日はシッキムの大地震からちょうど1年でした。

昨日施設清掃のメンバーさんと少し長く話す時間がありました。自分が通っているデイケアの話をしたら、ずいぶんびっくりされました。それは社会性に乏しい、自分が苦手とするメンバーさんの話。グチになるのであまり話したくはないのですが・・・。ここには詳しくは書きません。で、「この施設に通えている人はずいぶん恵まれていると思う」と言う話をしました。

工賃の水準が高いとはいえ、当然それだけで生活がすべて成り立つわけではありません。基本的に衣食住に困っていない人だからこそ通える施設です。その上名目上訓練とはいえ仕事なので、社会性や協調性ももとめられます。そういうものは愛情を持って育てられないと身に付かないもののようです。自分の通うデイケアにきている人の中には経済面だけでなく精神面で窮乏している人も多数です。「ちょっとこの人は勘弁して欲しい」と思う反面、「恵まれなかったんだろうなあ、この人」とも思うのです。

施設のたたら祭りの出店の時、あるメンバーさんのご両親がみえました。少しコミュニケーションをとるのがむずかしいメンバーさんなのですが、愛情を持って育てられているのがよく分かる方です。案の定そのご両親の表情や話し振りの柔和なこと。きっとお子さんと育ち合うような関係をもたれたのだろうと思いました。

自分もいろいろあったけれど、それでもやはり愛されてきたと思います。昨日話しながら、そんなことを考えていました。

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2012/04/19

きょうの「懐かしい本」

今朝は数日ぶりの6時起床で、順調でした。

デイケアの休憩時間に読書をしていましたが、その本とは、「アジア雑貨仕入旅」という1990年発行のもので、仲屋むげん堂というアジア雑貨屋さんの本です。その当時良くお店に行って、スパイスやお香を買っていました。その頃からインドやネパール、タイといった地域に漠然とした憧れを持っていたのです。まさか自分が本当にインドに行けるとは思ってもみない事でした。実際に行って、改めてこの本を読むと、「そうだったのか」と思う所と「そうなんだよね」と納得する所がありました。たまたま飛行機が立ち寄った香港の林立する高層アパートの束の事が触れられていて懐かしかったし、エアー・インディアの客室乗務員の事も「そうそう」とうなづいてしまいました。デリーでトンガという馬車があったらしいですが、これは自分の時は無く、逆に地上も走る地下鉄が当時は無かったと思います。タクシーも日本車は無かったらしく、スズキのオムニだらけだったガントクのタクシー乗り場は最近になっての風景のようです。しかしながら本を読み返して今振り返ると「良く行ったものだ」と思います。英語とカタコトのヒンディー語だけで、インド滞在1ヶ月。トラブルが最小限で済んだのは運が良かったのだなあと思います。

しかしこのむげん堂の本がまだあるというのが今の我が家の状態を示しています。以前読んだ時に使ったらしき落ち葉をしおり代わりに、しばし旅気分を味わいました。インド一人旅の時の負けん気が思い出され、「めげるものか」と少し元気になった気がします。

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2011/09/20

きょうの「たより」

昨日ニュースで、インドのシッキムで大きな地震があったと伝えられた。シッキムは自分がホームステイで訪れた所。友人に安否確認のメールをしたら、すぐに「みんな無事」との便りで安心する。ヒッポで一緒に韓国へ行ったメンバーの一人からは結婚の知らせ。北海道の友人からは上京の連絡。

さまざまな「たより」に、失っていないつながりを感じてありがたくなる。

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2010/02/23

今を生きるということ

べてるの家の向谷地生良さんが、「安心して絶望できる人生」(NHK出版 生活人新書199 2006年)で、「自分が今の子どもたちの世代を生き抜く自信がない」という趣旨のことを書いているのですが、自分もこれを読んでまったくそう思いました。

以下は「インド 解き放たれた賢い象」(グルチャラン・ダス著 友田浩訳 集広社)p348からの引用です。

もう一つの実験がある。NIITの調査部門の責任者スガタ・ミトラは、デリーのスラム街に一台のコンピュータを設置した。彼はそれをタッチパッド(キーボードなし)と一緒に境界線を固定した。彼はまた、状況をモニターするため隠しカメラを樹木の上に取り付けた。一週間以内で、正式な訓練は何も受けていない非識字のスラムの子どもたちがネットサーフィンをしていることが分かり、さらに三ヶ月後には一千のフォルダーを作っていた。最も熱心な利用者は六歳〜十二歳児で、彼らは独力でコンピュータの使用法を身に付け、ウェブサイトを閲覧していた。ディズニー・コムが、ゲームのせいで最も人気があった。子どもたちはまたマイクロソフトの画描サイトを好んだ。貧しいので紙と絵の具を使ったことがない子どもたちが、今や紙なしで絵が描けるのだ。そして彼らはいったんデジタル音声ファイルのmp3を発見するとヒンディ語の映画音楽をダウンロードし始め、一日中それを再生していた。

集団の中の好奇心の強い子どもは、コンピューターの基礎的操作を、正規の教示なしに自分たちで覚えるということをこの実験は示唆している。そのことをは、子どもたちをインターネットに接続させれば教師の効率は何倍にも増大するということを意味している。ミトラ博士が別の実験で発見したところでは、一部の九年生(日本の中学校三年生に相当)は教師の助けなしに、自分たちで直接、インターネットから「粘性」といった物理学の概念を覚えることができた。教師の仕事はだから、子どもたちが正しい質問をするよう手助けするだけになるかもしれない。スラムの実験はまた、英語ができないことはある程度まで障害にならないことを教えている。ミトラ博士の<スラムコンピューター>はヒンディ語のインターフェイスを備えており、子どもたちは自分たちの言葉でウェブサイトに接続できた。だが子どもたちはすぐにその使用をやめてインターネットエクスプローラーに戻った。ボース博士は言う。子どもたちは英語の言葉の辞書的な意味は知らないかもしれないが、彼らはすぐに機能的な意味は理解したと。彼らはファイルの発音はできなくても、そこにファイルを保存したり開いたりするオプションが入っていることを知っていると。自転車の乗り方の習得に似ている。彼は言う。「どうやって乗り方を覚えたか、誰も君に聞かない。君はただ覚えたのだ。」彼の望みは、コンピューターがインドでいつの日か自転車と同じくらいに普及することだ。」

あなたはこうした子どもたちを前にしてどういうことを感じるでしょうか?

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2010/02/07

中国は民主化が先

数日前基軸通貨が移る可能性について書きました。確かに中国はGDPで今年度中に日本を抜きアジアで最大規模になるだろうとダボス会議で竹中平蔵氏が断言した(TIME誌)そうです。さらに日本のように「もう発展はいいや」という態度ではありません。すべての国民に富が行き渡るようにさらなる発展を求め続けるでしょう。経済の規模からいって、NYLONKONの地位はもう揺るがないでしょう。

しかし、言論の自由が保障されない国の通貨が基軸通貨になるとは考えにくい。通貨とは人々が信頼してものやサービスの対価として受け取ることが前提です。当たり前ですね。言論の自由が保障されず、いつなんどき政府の態度が変わるか分からない通貨をみんなが受け取るかといえばNOですね。まず民主化と言論などの統制からの自由化が絶対に必要です。インドはアメリカと並ぶ世界最大の民主主義国家です。昨年の総選挙でも日本の10倍の人口がいるにもかかわらず投票翌日には結果が判明し、選挙結果をすべての党が受け入れています。選挙プロセスに不正があったと主張する党はありませんでした。中国がそういうレベルに達するのにいったい何年かかるのでしょう。それまでは結果として人民元が基軸通貨になることは無いでしょう。

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2010/02/01

NYLONKON

このタイトル、なんのことだか分かりますか?自分も先週はじめてこの言い方に出会いました。

これはアメリカのニューヨーク・イギリスのロンドン・そして中国の香港を合成した言葉で、意味は世界金融の中核を担う三都市という意味です。

バブル絶頂期、日本円は国際通貨としてはばたく可能性がありました。実際アジアにおける金融センターの役割は、東京が担っていました。しかし日本円はローカル通貨として徐々にその価値を落としつつあります。一方中国の人民元はすでに東南アジア諸国では米ドルよりも通用しやすいというレポートもあります。

日本が不景気であえぐ中、韓国経済は絶好調です。GDP伸び率は日本の10倍の一方、インフレ率は2%台と安定しています。

日本を代表するといわれる企業の凋落ぶりが著しいです。トヨタはプリウスしか売れていないと聞きますが、それは国費を投じて補助金と減税による優遇策を講じているから。トヨタの工場で生産にあたる工員があのプリウスを買えるか、自社の従業員が買えないような値段のものを国費で若干安くして売れているといったってたかが知れているでしょう。日本のほとんどの製造業がこのような事態に陥っています。フォルクスワーゲンと提携してインドをはじめとした新興国(もっともインドはイギリスが来るまで世界貿易の2割を占める大国でした)で売り上げを稼ぐスズキがそのうち日本一の企業になるのではないかという予感がします。トヨタは今のままではアメリカのゼネラルモータースと同じ道を歩むでしょう。プリウスを安くしないのは、せっかくの技術なのだから最初は高く売ってもとをとろうと思っているからだと思います。それは今までなら当然の投資回収の仕方でした。しかし中国もインドもその他のいわゆる新興国も、経済成長のスピードは日本のそれの7倍から10倍以上の速度で進展しています。車を買える人たちがものすごい勢いで増えている、その市場に食い込んでいるところが伸びている。韓国経済が好調なのはその市場にがっちり食い込んでいるからです。

インドのタタモーターが開発した2000ドルカー「ナノ」は、当初その値段でぎりぎり買える層が基本装備で買っていくと思われていました。しかしふたを開ければ、ほとんどの買い手がオプション装備をつけて自分流にカスタマイズしています。先日ソニーの広告で「余分はいらない、十分が欲しい」というキャッチフレーズがありました。しかし、ソニー製品は余計な装備がとても多くてカスタマイズしにくいです。ウオークマンは明白にI podを意識していますが、I podにかなわない。それはソフトウエア(アプリケーション)を囲い込んで、利用者が自由にカスタマイズできないようになっているからでしょう。

TIMEを読んでいると、アジア版であるにもかかわらず日本の記事の少ないことに衝撃を受けます。観光ガイドの記事として沖縄が紹介されたり、コラムで自殺を思いとどまらせる相談役がいるという話題で福井県の東尋坊が取り上げられたりしていました。

世界中がグローバルにつながって様々なうねり(プラスもマイナスもありますが)を起こしているというのに、日本人の関心は少ない国内の利権の奪い合いに終始していて、将来的にもっと成長するというモチベーションがほとんどありません。世界の中で主導的地位を築こうという大局観に基づく動きが全く感じられません。

米ドルが世界の基軸通貨である時代は終わりを告げつつあります。イギリスポンドからアメリカドルに基軸通貨の地位が移るまで30年くらいかかりました。米ドルもそう簡単には基軸通貨としての地位を譲らないでしょうが、徐々にその時代が終わりつつあることは間違いなく、その肩代わりをするのはどうもユーロではなく、最近よく議論される合成通貨でもなく、どうやら中国人民元になりそうです。「NYLONKON」という造語(ネーミング)はその事実を如実に物語ると感じます。

日経新聞で数ヶ月前、日本有数の大企業の会長が「自宅で何がどこにあるか分からず、妻に怒られ、人に怒られるというのはこんなにストレスを感じるものなのだと改めて思い知った」と書いていました。そんなコラムがどうどうと掲載されること自体に幻滅します。日本航空が抱える問題は多かれ少なかれ日本の大企業や役所が抱える問題です。甘い再建策で再破綻が噂される日本航空の姿は、この国そのものの姿を暗示していると思えてなりません。

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2009/11/30

でも、やはり、だから、インド

前の記事の続きになります。

でも、実はインドを知ることは世界を知ることに通じる部分があるのです。インドがイギリスの植民地だった時代があることは多くの方がご存知でしょうし、そのおかげで英語が公用語であり、鉄道が大変発達しているし、アグラ城の宝物はほとんど大英博物館にあるわけですが、イギリスが来る以前からポンディシェリはフランスが、ゴアはポルトガルが占領していました。インド独立後、日本の上野にある国立西洋美術館の設計でよく知られるフランスの建築家ル・コルビジェがデリーの北方にあるチャンディガールの公共施設や町並の設計に携わったことは実に有名です。とにかく様々な文化が入り乱れ、もうすぐ中国を抜いて世界一の人口を擁する国になるくらい人だらけ、人との関係性が実に濃く、だから食い扶持の問題以前に住むのが大変な国インド。英語のネイティブスピーカーはいくらでもいて語学学校もたくさんあるのです。インドへ短期語学留学するというのはありだと思います。本気でこの5年くらい英語をやってみる。どうせ今後体力が快復しても日本で正規で働くのは難しいでしょう。英語がらみの単発の仕事を少しずつこなすというのは、ほんの少しだけ現実味があるような気がしています(どちらにしてもきわめてハードルは高い)。英語をアメリカでもなく、イギリスでもカナダでもオーストラリアでもニュージーランドでもない英語圏(自分の高校時代使っていた、かつ今も愛用している英和辞典では英語圏とはそれだけとしか認識されていない)がインドなのです。(マレーシアもイギリス占領時代があり、公用語こそ英語になっていませんが英語を教える学校はあるのです。マレーシアも歴史・文化もろもろかなりおもしろい国だと思いますが)

数日前に書いた英語圏の国でのスクールインターンシップによる英語漬け生活とともに、今、夢として考えているのがインド英語留学です。言葉だけではなく、濃密かつ自分の思った通りには決してすすまない人間関係に鍛えられてたくましくなりたいものだと思うこのごろです。

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サンコンさんの話を聞いて

11月28日のNHKラジオ第一「どよう楽市」のゲストとして、アフリカのギニア出身でタレントのオスマン・ユーラ・サンコンさんが出演していました。たまたま体調が悪いままラジオをつけっぱなしにしていて聞きました。自分が若い頃、テレビのバラエティ番組などで人気者だったサンコンさんですが、1949年の生まれだそうです。還暦なんですね。

最近日本の高齢者介護施設などをみて「こういう施設がギニアにも必要になる」と思っているそうです。ギニアには日本の「厚生省」(厚生労働省)にあたるような分野が政府にないのでそれを作って大臣になるかもしれないとのことでした。

サンコンさんは、日本ではバラエティ番組などで愛嬌をふりまいたりしていた時期もありますが、あの当時から日本にきていたというのは、相当出自もよくインテリなのだと思います。国を変えていくような人は本来こういう人なのだ、としみじみ思いました。

数日前に書いた天下り官僚の記事の中で「自分の考えることはもっとミクロなことだ」と書きましたが、それをもっと強く感じました。もちろん自分が政治家になったりする気は毛頭なかったのですが、インドでroom to readの物語を読んで、「ほんのわずかでも現地に入ってこういう活動ができたらいいな」と思ってこの数年すごしてきました。しかし来年またインドへ行こうと思っていろいろと情報を集める中で、「インド 解き放たれた賢い象」という本(インドの歴史から今の経済に至るまでがコンパクトに網羅されています)やその他の本、mixi のいくつかのコミュニティから得られる情報や関連するサイトなどから、総合してはっきり見えてきたのは、インドは階級社会だということです。憲法上は廃止されたカーストという身分制度が色濃く残っていることなど、頭では分かっていても、自分の日常の中に目に見えてはっきりとした階級制度というものがないので、きちんと理解することができないでいた部分がありました。インドでは英語が話せるかどうかが歴然とした身分の差となって現れます。自分のホームステイ先でも、ホストのお子さんは英語で教育する学校、下働きをしている子は地元のネパール語で教育する学校へ通っていました。下働きといっても学校へ通えていて、しかもネパール語(自分にはヒンディ語とネパール語の文字の区別すらつきません、よく似ていますが、向こうからすれば中国語の漢字と日本語の漢字とどうちがうのか分からないようなものでしょうか)の新聞までよめるのですから、インドのいわゆる貧しい人たちからみればずいぶんと恵まれているのですが、英語が教えられることは無いのです。それは出自が違うからです。

もっといろいろな現実があるのですが、さらに長くなるのでとりあえずこのくらいにしておきます。要はうつ病で精神科デイケアに通っているような人間が、日本でくだらない外国語学校に在籍しているネイティブ英語スピーカーのように、日本語を教えてお気楽に暮らせるような場所ではないです。自分の生活すらなんとかならないのに人の援助ができるわけないじゃありませんか。

いまさらこんなことを書いていること自体、自分の鈍くささを恥じ入るばかりです。

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