演劇

2009/12/01

人には見せられない

今日は銀杏館インプロ。インプロとは2人(基本的に)が組になって相手の動きや声、音などをお互いに感じながら自分の表現も変化させる即興稽古。自分がこのブログでは今までエチュードと書いていたトレーニングです。今日は音楽をやっている人の参加が多かったので、音(楽器の音とは限らない)と自分の動きをコラボレーションさせることが多かったです。この時いつも感じるのが足腰の弱さ。ひざを緩めて重心を取りながら体を動かすのが自分の動きなので緩やかな動きには対応できますが、急激にかつきれいに動きを止めることができません。オリンピックの体操選手がフィニッシュでピタッと動きを止められない事がよくありますね。彼らみたいに鍛えていたってそうなのだから、趣味でやっている自分は全然ダメ。

このメソッドを教えている自分の親方新井さんは、確か毎朝走り込みをしていたばずです。自分の動きのコラボレーションは、稽古場で見てもらうと面白く仕上がる時がありますが所詮即興稽古です。舞台でお見せするようなものではありません。

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2009/10/20

今日は銀杏館ワークショップ

日曜日に野口体操の稽古をして、今日は銀杏館ワークショップで体を動かしてきました。銀杏館ワークショップでは、自分は野口体操のエッセンスで踊りますが、音楽を含め様々な分野で舞台に立っている人達が集まるので、いわば他流試合。自分でも再現出来ない動きが出てきます。時には拍手が出たりします。これは稽古場でしか味わえない楽しみです。こういうものの中から舞台に上げても良さそうなものを練り上げるのが電気曲馬団時代やっていた事でした。この銀杏館ワークショップでは成果を発表する事は意識していません。自分はともかく、他の皆さんは活躍の舞台がありますから。稽古の時間も取れません。でもやったら面白そうですよ。

2日前に野口体操の基本を稽古したため、いつもは出てこない動きも使えて本当に楽しかったです。午後2時くらいまでのゆううつが吹き飛んでしまいました。

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2008/02/20

銀杏館のワークショップ

ノムラジュンコさんが主宰している銀杏館の「かけひきのワークショップ」に行きました。先週の火曜日、12日の事です。前回参加したのも寒いシーズンだった様な気がして過去記事を検索したらやはり去年の2月・3月でした。

自分は野口体操というメソッドを使って踊ります。野口体操に関しては過去記事に書いてあるのでそちらをお読みください。今回はノムラジュンコさんと狩俣道夫さん、自分の3人だけ。面子が少なかったので、実験的に踊りのメソッドしかない自分が音を出したり、普段はフルートの演奏その他音楽の人である狩俣さんが動きで表現をしてみたりしました。ノムラジュンコさんはタップダンスをはじめウクレレもやる、ゴスペルも歌う(どこぞの教会での演奏では亀淵友香さんが共演だったとか)という人なのでマルチにいろいろとチャレンジ。自分はホント楽譜の読めない人なのできつかったですが、昔習った和音(ドミソとかシレソとか)を叩いてみたり(弾いてではなく)しました。

今回身に染みたのが普段の運動不足。とまるべきところでとまれない。足腰が弱っているんです。これはまずいと思いました。走りこんだりしてトレーニングしないといけないかも・・・とも思いましたがそれは無理なのでせめて毎日歩こう、お金かかるけれど山へも行ってみようと思いました。山もしかし一人で歩くのはつまらんのですが。

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2005/07/19

わが親方

もう随分と筆が滞っている「演劇に魅せられて」シリーズでゆくゆくはご紹介するはずだったのですが、とりあえず人だけ先にご紹介します。わが親方ともいえる唐元気(最近はもうこの名前使っていませんが)こと新井英夫さんです。高校時代の落研と演劇部の先輩であり、それからずーっとのお付き合いです。自分は略歴にある電気曲馬団時代に制作や会計の仕事を請け負ってサポートしていましたが、なんといっても教えられたことがとても多い、多すぎるくらいです。自分の友人関係でも親方新井のつてで友人になった方が多いです。この方と出会わなかったら、こんな病気になってすごく孤独だったでしょう。

略歴とコンセプトをJCDN DANCE FILE VOL4.から引用します。

略歴 
1966年 埼玉県生まれ。
1987~96年 電気曲馬団を主宰、まちと身体表現の関わりを探りつつ大道芸や野外劇を行う。
1989~98年 からだのことを深く知りたくて野口体操を創始者野口三千三のもとで学ぶ。
1997年 独学で本格的に踊り始める。現在までカナダ・マレーシア・ハンガリー・ドイツ等と国内各所で踊る。海外アーティストとの滞在型共同制作公演も多数。

コンセプト
国や文化や世代が違っても誰もが「からだ」をもって生きている。話す言葉が違ってケンカしても、「からだ」と向き合うことで共通性も見えてくる。恋人と手をつないだらドキドキすること、生まれたらいつかは死ぬこと、死んだら大地に還ること…、これらは同じだ。私という個から出発してどこまで「からだ」の奥底にある共通性とひびき合うことができるか?できればお互い元気になれるか?そういうことに興味と希望を持って踊っています。


ということで、ほとんど更新されていないのですがホームページDANCE-LABO KARADAKARA 新井英夫.もあります。


新井さんと、先日友人としてご紹介した原田靖子さん鳩ヶ谷雑記: わが友.のコラボレーション企画などがあります。お知らせをもらったのですが、転載歓迎と言う事ですのでこちらにどどーんと載せちゃいます。


■■■8/5金 フェリスホールオルガンシリーズvol.6 「オルガンに踊る」■■■
(「横浜みなとみらいホール夏休みオルガンわくわく大作戦」関連企画)

今注目の新進若手オルガニスト原田靖子さんのコンサートでのひさびさのソロダンス。前半まずは
スペインの16世紀のバッハ以前の珍しいオルガン曲で踊ります。この曲、オルガンの静謐や崇高といった
ありがちなイメージをいい意味で裏切り、ギラリと照り付くスペインの太陽のような野蛮さを持つものです。

後半は、「パイプオルガンになろう」と題してワークショップも行います。ペットボトルを吹くと
あんがいイイ音がするのをご存知ですか? ペットボトルや瓶を吹いてオルガンの構造を体感しながら
「人間パイプオルガン」をやります。その他ポジティヴオルガン(小型パイプオルガン)との即興ダンス
セッションもあり。もちろん原田さんならではの粋な選曲によるオルガン演奏もたっぷりお楽しみい
ただけます。大盛りスペシャル冷し中華のような贅沢なコンサートです!!

●オルガン演奏 / 原田靖子    ●ダンス/ 新井英夫
●8/5金19時~20時半      ●場所: フェリスホール(JR石川町下車歩10分)
●入場料: 一般2000円 中高生以下無料 ●問い合わせ 045-812-8393フェリス女学院生涯学習課
●詳細地図やフライヤーはここで http://www.ferris.ac.jp/menu/index08.html
※先着5組(2名1組)計10名様までご招待できます。arai-lab@d5.dion.ne.jpまで直接メールください。

■■■8/8(月) 「なみ・うつ・いき Wave / Pluse / Brease」ダンスと太鼓と尺八ライブ■■■

シンプルに考えて、国や文化が違っても人なら、呼吸している、心臓が鼓動を打つ、ということはみな同じです。
自然のできごとでも、地球の上なら、どこへいっても、風が吹く、雨垂れがリズムを刻む、ということもまた同じ。
さかのぼれば、wave/pulse/breathは、さまざまな境い目を越えて、来し方行く末のそこ・ここに存在しています。

そんなことをてがかりとして、アメリカ・カナダ・日本から出自の異なる4人のアーティストが集います。
尺八/笛(クリストファー)、古今東西パーカッション(パトリック)、そしてダンス(片岡道人、新井英夫)。
音楽とダンスの根源にあるwave/pulse/breathといった「ことば」で、わいわい・がやがや・ひそひそと、
夏のひと夜いろんな「おしゃべり」を交わそうと思います。

 出演 :●モダンダンス:デヴィダス(片岡通人)
 http://www.mall.mitaka.ne.jp/webmall/img0093sarasya/top.htm
 ●ダンス:新井英夫
http://www.h2.dion.ne.jp/~hideo-a/
●パーカッションパトリック グラハム (カナダ モントリオール在住、アイリッシュの打楽器を中心とした
    フレームドラムの達人!!! 「鼓童」で研鑽を積むなど邦楽にも精通)
http://www.patrickgrahampercussion.com/index.htm

●尺八 クリストファー遙盟(米国出身 東京在住)
http://www.yohmei.com/Jbottom.htm

●8/8月 19時開演 ●会場: 沙羅舎B1F舞遊空間(JR三鷹駅南口歩6分)
●会場への地図はここで http://www.mall.mitaka.ne.jp/webmall/img0093sarasya/top.htm
●チケット 前売り3000円 当日3500円
●予約お問い合わせ :沙羅舎企画室0422-42-3281(担当町田) anata1946@k4.dion.ne.jp
※もしくは、新井 arari-la@d5.dion.ne.jpまで直接メールください。
「特別価格」にてチケットをご用意いたします。


オルガンコンサートに関しては、ペアでご招待となっていますが、おひとりでご覧になりたいという方は、なんちゃんあてにメールをください。(プロフィール画面から送ることが出来ます)


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2005/07/10

ペーター・ゲスナー

今日のテレビ欄をチェックしていたらNHK教育テレビの22時から、いつもやっている「芸術劇場」に「ペーター・ゲスナー」の文字が躍っているではありませんか。おや~。さらにタテヨコ企画.が幼稚園で公演と書いてある。タテヨコ企画さんは自分らとは直接何かしでかしたわけではないのですが、以前ご紹介したPOP THEATRE Я.の国崎砂都美さんがホームページに出演(?)されていたりするのでちょっと気になったしだい。ペーター・ゲスナーさんとは何度かお会いしています。かれはドイツ出身で、北九州市を拠点として活動するうずめ劇場.の主宰者です。ここは北九州市の地元企業や商店を「超うずめ」と言う名前でロングランのサポータにしているところもユニークだし、演目もユニークです。昨年の「夜壷」公演ではスペースワールドそばの東田地区にある元新日鉄八幡製鉄所の溶鉱炉のモニュメント前でのテント公演。台風が度々やってきて大変だったようですが、自分も夜汽車の見えるテント小屋で劇を見ました。とってもよかったです。こういう公演を実は10年前に電気曲馬団はやっているんですよね。ちょっと筆が止まっていますが鳩ヶ谷雑記: 演劇に魅せられて.に書いた大宮ソニックシティでの公演や、今は跡形もなくなってしまった東京荒川区の南千住にあった第四瑞光小学校(当時は休校)での公演など、本当に先んじていろいろなことをしていました。今そういう営みが評価を受けているのを見ると複雑な思いです。

ペーターさんは、『「日本におけるドイツ年 2005/2006」開催!~ドイツ現代演劇の魅力~』と言うテーマでドイツ現代演劇の魅力や、日本とのかかわりについて話されるそうです。当然今のうずめ劇場の話も出るのでしょう。

うずめ劇場には、日本での知名度(演劇と言う枠をはみ出して)も持って欲しいけれど、やはり超うずめのような地元との関わりも大切にして欲しいし、もっと自前の新しい役者さんを輩出して欲しいです。松尾容子さんに続く役者さんにぜひ出て欲しいと思っています。

残念ながら、これを思い出したときにはすでに22:40。番組は終わって劇場中継になっていました。残念。どんな話が出たのか興味があります。

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2005/02/25

演劇に魅せられて2

高校は男子校でした。中学校にあった学校案内では「あらゆる部活動があるのが特徴かもしれない」とふざけたようなことが書いてありましたが(他の学校は野球部が○○大会に出場したとか、そういう記載が多かったのですが)確かに相撲部などは3回勝てば県大会優勝など、ユニークな部活動が多かったです。

自分は当初新聞部に入ろうと思っていました。実は中学校時代日刊の学級新聞(壁新聞)を編集していました。記録に残したり物を書いたりするのが得意で、新聞も概ね好評でした。もっとも日刊で出すには学級の役割分担で決めた班のみなの協力が不可欠で、1日おきに男子・女子が制作担当と言う形にしていたのですが、女子チームも自分の要求水準に良く応えてくれていました。文化祭のときはクラスのテーマが公害ということで、張り切って川崎の臨海部にあるコンビナートへ取材に行ったりしました。自分が中学に上がる頃はもう川崎の公害と言うのは随分と改善されていて、ぜんそくの患者さんも増えてはいませんでしたが、まあそういうことも知りませんでしたので、いろいろと発見があって楽しかったです。

ところが自分の行った高校の新聞部は大変伝統がありまして敷居の高いところでした。自分が自由に取材して自分の興味にしたがって記事に書くということは出来ないようでした。今ブログでこうやって自分の書きたいことを書きたいように書いているのは、まったく水を得た魚のようなものです。ま、そういうわけで新聞部に入るのはためらわれました。

そんな時、校門近くで朝礼台にあがって落語を演じている人がいました。着物をきてさかんに演じているのは他にはないユニークさでした。このときのことを自分はあまり覚えていないのですが、入学式についてきた自分の親は良く覚えていました。「まさかあの人と縁が出来るとは思わなかった」と親は言っていました。そう、自分は落語をやることに決めたのです。

もっともすんなり決めたわけではありませんでした。まだ友達もできたてのクラスで「落研に興味がある」というと、「あそこは3年生しかいないらしいから必死だよ。大変なんじゃない?」と言う人もいたりして、ずいぶん迷いました。しかし意を決して入部を頼みにいくと、ほかのクラスの1年生も2人来ていました。「自分ひとりではない」と言うことがわかってだいぶ気も楽になりました。部には確かに3年生2人しかいませんでした。そのうちの一人が唐元気氏で、後に電気曲馬団の主宰となる人でした。そして部の顧問の先生の一人は、後に学校を辞めて作家になり現在ではすっかり売れっ子になってしまった北村薫氏でした。北村氏が実は当時の落研の顧問だった古文の先生その人であることを知ったのは随分たってからのことでした。氏の作品によく落語が出てくるのはもともと部活の顧問になる程お好きだったからのようです。もっとも氏から指導を受けることはありませんで、3年生の2人を中心に、またOBの皆さんも良く来て指導してくださいました。

最初の舞台は文化祭でした。自分の学校は進学校だったこともあり、共通一次試験が導入されてから、秋にやっていた文化祭を前倒して6月に行っていました。ですから入学してすぐに初舞台と言うことになったわけです。発声練習をしたり(これが後々仕事で役立ちます。タイムサービスなどの際、店の誰よりも大きな声で売り出しの呼び声を出すことが出来ました)古典落語の本を読んで、自分が演ずる噺を決めたり、稽古をつけてもらったりと大変だった記憶があります。自分は「金明竹」と言う噺をすることになりました。

たった2人だけの3年生は実に対極的な味の持ち主でした。一人は古典の型をきっちりと詰める方で、もう一人(唐元気氏)は基本形を押さえつつ現代ねたを盛り込んだりして笑いを取る方でした。自分はどちらかというと唐氏に稽古をつけてもらうことが多く、次第に唐氏の影響を受けていくことになります。

文化祭当日です。割り当てられた教室に机を使って舞台を作り、いすを並べてお客を呼びます。男子校と言うこともあって、女子高生のお客さんがとても多いのが特徴です。この年頃の女性は本当に良く笑ってくれます。俗に「○○(なにでしたっけ)が落ちても可笑しい」といわれるように、ちょっとした笑いの仕掛け(くすぐりと言います)に良く反応して笑ってくれました。とはいえ落語は原則的にひとり舞台です。もし噺を途中で忘れたりしても誰も助けてくれません。自分で何とか場をつながなければなりません。そこを何とかやり過ごすことができるようになるとだいぶ自信もついてきたものでした。

こうして高校時代を通じて自分は唐氏の影響を受けていくことになります。この先もっともっと面白いことになっていきます。

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2005/02/17

POP THEATERE Я

「連載にします」といいながら2本目の記事がなかなか書けない「演劇に魅せられて」シリーズ(?)。この記事を書こうと思った理由のひとつは、山口にいる演劇つながりの知人に自分たちの演劇がどういう流れで始まり、そう流れてきたかをお話したいと言うことでした。30代になるまで演劇と関わり続けてきた彼女たちの歴史と自分たちの歴史が演劇祭と言う形で交錯するまでを見て欲しいという希望がありました。

その彼女の取次ぎで彼女の属する劇団の構成員皆さんが、32条改悪反対署名に協力してくださいました。個別にお礼を申し上げるのとは別に、感謝を込めてここでご紹介したいと思います。

POP THEATERE Яは山口県柳井市を拠点に活動する劇団です。柳井市街から山をひとつ越えた伊陸(いかち)と言う集落に、戦後全国各地にあった小さな映画館に使われていた建物がありました。風雨にさらされぼろぼろになって放置されていたその映画館を修理改造し、自分たちのホームグラウンド(稽古場兼劇場)として使ってきました。みどり会館と名づけられたその建物は、東京の小劇団はおろか地方で同じように活動する劇団もうらやむほどの大きさの劇場です。とは言っても壁1枚へだてればそこには田んぼが広がり、近所の飼い犬の鳴き声がします。

彼らのIKACHI国際舞台芸術祭
の話も書きたいのですが、文章に悩んでいるうちに時間がどんどんたってしまうので後述することにして、2月の公演の話を書きます。

まず劇団からのご案内を転載します。


  私どもはこの2月に、創作ネットワーク+Ort.d-dプロデュース「昏睡」に劇団として参加することになりました。2月12日の宮崎公演を皮切りに、山口、東京の計4箇所で公演を行います。この企画は、人類史に思いを馳せる7編からなるオムニバスを全国各地で制作し統合するという共同創作です。こういった公演形態は日本演劇界において初の試みでもあります。私どもと各地をリードする演劇人とのコラボレーションに、ぜひ足をお運びくださいませ。


というわけで、北九州の「飛ぶ劇場」、宮崎の「こふく劇場」、鳥取の「演劇企画 夢ORES」、東京の「Ort-d.d」とともに山口の「POP THEATRE Я」が参加してのオムニバス公演が全国巡回中です。今後の予定は
2月19日19時  20日14時
山口情報芸術センター スタジオA

2月24日~28日(24、25、26、28はソワレ・26、27、28はマチネ公演があります。詳細はお問い合わせください)にしすがも創造舎
となっています。お問い合わせは劇団(090-1187-9079)へどうぞ。

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2004/12/14

演劇に魅せられて

事実婚・自宅出産・うつ病父さんの育児日誌で、うつ病の項目を拾うときれいに状況の推移が分かるように書かれていました。記事が増えてきたときこれは読みやすいなと思い、自分も連載ものをはじめてみようと思います。うつ病でそれをやると3歳くらいからやらなければならないので、今の自分を形成するに当たって重要な役割を果たした演劇について書きたいと思います。

さて、さいたま市の大宮駅西口にあるにょきっと建った高層ビル・ソニックシティへは埼玉県の方を中心に行かれた事のある方も多いでしょう。建物の駅側にはすり鉢状にへこんだところがあって地下1階とつながっています。ここはよくみるとまるいかまぼこのようなせりだしがありまして・・・実は国内ではとても珍しい野外劇場の形を整えています。

今から13年前の秋の暮れ。ここで無謀にも入場無料・投げ銭歓迎の大公演を企画した劇団がありました。電気曲馬団といいます。演じられるのはアポリネール原作の「月の王」。埼玉県文化振興基金助成事業となっているけれども、はてなにが起こるのでしょう。

お話は自分の小学校時代に飛びます。

2年生の途中で転校した自分は典型的いじめられ小僧でした。クラスの中心的女子軍団から「くさい・きたない」呼ばわりされていました。男子・女子と並ぶ机もわざとよけられ、ついたあだ名が「ぶんた」。一時は下級生からも「ぶんた」呼ばわりされていました。しかし今、新聞をにぎわすような陰湿ないじめではなかった気がします。確かに下駄箱の靴も隠された、自転車の空気は抜かれた、机の中に腐った食べ物を入れられたなどいろいろありましたけれど、「しかと」というのは無かったですね。

なまじあだ名なんかついたものだから近所で有名になりまして、クラス替えになっても「ぶんた」。当時は毎年入る子供の数が増えていましたから4年生ではとうとうプレハブ校舎になりました。冬の寒いこと。掃除の時間などだれもバケツに手を突っ込んで雑巾をゆすぎたくない。そこで自分は「しょうがねえなあ」と思い、みんなの雑巾を代わりにゆすぎ始めました。きちんとゆすいで欲しいから自分に雑巾を投げてくるような奴はいませんでした。しもやけあかぎれで手は真っ赤になりましたが、そのときに丁寧に来る物は拒まず受け入れていたせいか、いじめがやみました。勉強も難しくなってくる頃ですが、たまたま当時は良く出来たので次第にクラスの連中が分からないところを聞きに来るようになりました。これも来る物は拒まず、丁寧に教えていました。

そんなことをしているうちにいつの間にか仲良しも増え、6年生では図書委員長に選出されるまでになりました。(まあ、委員長といったってたいした用事はありませんが)これが自分の自信になりました。いまだにそうですが顔にはすぐでるくせに言葉ではなかなか出来なかった感情表現も少しずつできるようになりました。

中学ではとうとう学級委員に選出されました。当時はまあ、学校中荒れまくっていましたから本当は大変だったはずなのですが、呑気な性格で授業中はよくい眠り。休み時間になると必ず誰かが自分のところへ遊びに来ていました。これも来る物は拒まず、素直な性格だったからでしょうか。必ず誰かが来てくれる。こんなことも自分の自信につながりました。

やがて少しずつ自分の中に自信から派生して憧れが芽生えます。文化祭のときに、あんまり面白くは無いけれど舞台に立って表現をする演劇部。しかし自分の中学の演劇部は女子ばっかり。そんななか同じ学級委員をしていた英語部の部長が声をかけてきました。「人が足りないので照明を手伝ってくれ。」英語部は例年英語劇の発表をしていました。ここには男子もいたのです。手伝う照明のしごとというのはあるきっかけで電気コードをコンセントに差し、また次のきっかけでコードを抜くというもの。至極簡単な操作でしたが、本番では自分の役目のうまい下手で舞台のよしあしが決まるくらいの意気込みで臨みました。舞台がひけてから英語部の皆さんが打ち上げに招いてくれました。この高揚感。一度味わったら2度とやめられない感覚をこのときはじめて味わいました。そしてその高揚感が忘れられなくて、高校でとある決断をします。それが自分の人生を大きく変える決断になるとはまだそのとき気が付きませんでした。


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