銀行の本来的役割は信用創造と産業殖産です。これは農協の金融だって同じことで、対象が限定されているだけのことです。銀行は小口の預金を集めて、起業家に新しい産業を興すための資金を貸し付け、さらにのばしていくために経営相談に応じ、地域や国の経済を発展させる役割を担ってきました。戦後の高度成長期、今の日本を代表するような企業は、事業を大きくするために長期安定的な貸し付けを必要としましたが、一般の銀行は3年・5年といった長期の融資には応じられなかったので、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、日本興業銀行といった銀行が作られました。これらは預金者や一般銀行に長期債(長銀なら「リッチョー」など)を買ってもらい、その資金を使って長期融資に応じました。日本を代表する企業がまさに国を代表する企業になり大規模になると、これらの企業は自分で社債を発行したりすることができるようになり、長銀のような銀行を必要としなくなりました。困ったのは当の長銀や日債銀です。「役割が終わった」と言われても株式も上場しているし自前の行員もいます。廃業する訳にはいかない。そこで当時「不動産は値下がりしない」と信じられていた中、バブル(今だからそうだと結論できますが)も盛り上がり、不動産や不動産会社(というよりブローカー)に多額の融資をしました。バブル崩壊により不動産の価格は一気に値下がりしました。貸出先が細っていたために特に不動産金融に活路を見出そうとしていた長銀、日債銀が総資産よりも負債の方が会期上(簿記の資産=負債+資本を思い出してください)大きくなる債務超過状態に陥り破綻した訳です。この当時他の銀行も多額の不動産融資があり、また企業も一時的なもうけのために多額のお金を不動産に投資していました。これらの貸し出しがほとんど焦げ付き(回収不能)になりました。債務超過にならずとも自己資本率が極端に低下しました。この当時大手はもとより地方銀行も海外に進出していたので、会計上の自己資本率規制にひっかかりました。資産を圧縮するためにバブルに踊らず実直に経営していた会社からも貸し出しを引き上げました。これが政治問題化した貸し渋り、貸しはがし問題です。先日の政権交代時に大物政治家が「あの時、政府が救済しなければ銀行はすべて倒産していた」と発言して物議をかもしましたが、それは本音であり事実です(大手では当時の東京三菱銀行だけがかろうじて自力経営可能な状態でした)。
現状はどうでしょう。バブル以降地方銀行も含め、銀行は新しい産業を興す力を無くしてしまいました。大きく貸して大きくもうけること、そうでなければ安全性の高い資産に投資することしかできません。新しい産業の目を発見し、そこに資金を貸し付け大きく育てていくためには、足で細かく取引先を掘り起こすことが必要です。その事業の将来性を見極め、経営者の人となりを見極め大胆に決断し、さらに継続的にサポートしていくことが必要です。こんな地味な仕事を高給取りの銀行員はほとんどできません。昔はあったノウハウもバブル期に廃れてしまいました。将来性の審査といったってコンピューターソフトに打ち込んだデータにもとづき機械的に審査するくらいでしょう。なんたって経営者の人となりを見極めるという、地道な経験でしか裏打ちできない能力が欠如しています。
グラミン銀行はバングラディシュから始まった新しい銀行のスタイルです。詳しく書くには本を一冊かくくらいの時間が必要ですが、この銀行は既存の銀行や企業が全く無視していた小さな農村をくまなく網羅し、主としてその地域の女性に極めて小額の貸し付けをしています。女性に貸し付けるのは女性の地位向上のため。女性の地位向上はその子どもたちへの教育の重要さの理解を促進し、やがて無知故の貧困から地域が脱出するきっかけになりえます。最初、貸し付けを受けた地域の女性は牛を買い、その乳や糞(肥料や建材になります)を売り少しずつ最初の資金を返し、やがて独立していきました。今、牛の代わりに携帯電話が村の生活を支えます。携帯電話は、有力者が無視して電話線を引かなかった用なところでも基地局まで電波が届けば使えます。そして携帯電話を通じて村の人たちは生産物の市況を知り、有利な時期に出荷するよう工夫したり、出稼ぎに出かけた家族と連絡をとったり、離れた場所の医師から急病人の処置を聞いて救命活動をしたりしています。バングラディシュから始まったこの革命は今や世界中に広がりつつあります。この活動を最初に始めたムハマド・ユヌス氏はノーベル平和賞を受賞しました。
10年後、このグラミン銀行の融資スタイルが世界中にいわゆる先進国にまで広がってもおかしくないと自分は考えています。田中康夫が長野県知事に就任して地域住民との車座集会をした時、長野県の山里の何人もの村長が「こんなところまで知事がきたのは初めてだ」とこぼしました。田中康夫はパフォーマンスのやり過ぎで長野県から追われてしまいましたが、日本の農村部には県知事すら足を運ばないようなところがあふれんばかりにあるのです。調べたいことがあればインターネットで検索する、そんなことすら難しい限界集落のようなところもたくさんあります。日本国内でグラミン銀行が成立すると考えているのは自分だけではありません。小額の資本が無いために産業が起きない。だから公共事業に頼る。しかしその費用は借金。自治体の中で実は夕張市以外にも破綻が懸念されているところはすごい数になります。しかし、多くは本当の借金を様々な帳簿上のやりくりでしのいでいるのが実態です。先日書いた旧岩槻市の第三セクター問題がクローズアップされているのは、まさに帳簿上のやりくりができないようなルールができてさいたま市が抜本的に処理せざるを得なくなったからです。
国の保護に安穏として本来の役割も担えない既存の銀行。日経ビジネスに「銀行亡国」などと書かれても、もはや本来の役割を担う能力を取り戻すことはできまい。今の不況は一時的なものではありません。新しい産業を興し、新しい需要を喚起していかなければ、このまま日本は沈没するでしょう。
追記:政府が銀行を救済しなければならないのは、銀行が送金システムや企業間の決済システムをいわば人質にとっているからです。給料を銀行から引き出さなくても、手形を銀行に預けなくても良くなれば、あとは銀行は信用創造や殖産興業で利益を稼ぎださなければならず、それは銀行間の収益力を大きく左右するでしょう。そして送金システムや決済システムと無関係であれば、政府が救済しなくてもお金の目詰まりは起きないのでだめな銀行は他の企業と同様に倒産しても問題なくなります。2年前の日記を読み返したら、今書いたようなことが既に書いてありました。我ながらびっくり。長銀や日債銀が過去に担った役割とその破綻の経緯も3年くらい前から「いつかブログ記事にしておきたい」と思っていた話題でした。
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