旅行・地域

2018/01/02

すごすぎる

パソコンの電源コードを途中で忘れ、昨日は更新できませんでした。

昨日は一日中長崎を歩いていましたが、びっくりすることがたくさんありました。一番は港に停泊していたいわゆる「クルーズ客船」。香港の旗が見えましたが、まあ島かと思うくらいのすさまじい大きさです。一体いくつ部屋があるんだか。長崎だからそれでもなんとか収まりますが、鳥取県の境港に入港すると乗客はみんなイオン日吉津店に行くらしいですからそれはそれはすさまじいでしょう。

浦上では、勘違いがわかりました。確かに爆心地に浦上教会の遺構はあるものの、あそこになったわけではないらしいです。ただ、浦上のすごいのは、今でも歴史がつながっていることです。キリシタン発見後、禁教を徹底するために3000人以上の村人が薩摩やら萩やらへ流刑に。禁制が解かれて戻っても住む場所もなかったそうです。しかしそうした人の中から日本初の児童養護施設の先駆けを作った人が出たり、禁制時代250年にわたり信者をまとめてきた一族の娘さんと結婚した医学博士が被ばくして、病の床から10冊もの医学書を書いたとか、とにかくすごい。

そして、地図を見ながら遺構を訪ねる最中、道を聞いた相手がなんと隠れキリシタンの一族の方でした。自分がその日最後に訪れた付近は、キリスト教系の病院があり、前述の児童養護施設の流れをくむ施設がありと、キリスト教関係のものが多いのですが、聞けばそのあたりに住んでいる人はほとんどがカトリック系のクリスチャンだとか。信じられない世界があるんだ、と驚きました。日本でクリスチャンといえば、カトリックやらプロテスタントなどやらいろいろ含めても人口の1%に満たないと聞いたことがありますから、そのエリアのクリスチャンの密度が尋常でないのはわかります。

明日帰ります。年賀状は電車の中で書きながら、長崎県内、佐賀県内、福岡県内のポストへ、つぎつぎ出しています。遅れてすいません。

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2013/12/07

良い反応

休みの日にくたっとしてしまうのは、体がそのリズムに反応しているのだからむしろ良い反応なのでは、と言われました。それにしても気合いが抜け過ぎなのではという気がします。肩がこっている感じがするし、行動を起こすまでがとても時間がかかりますし、夜もすぐ眠くなります。いいのかな。

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2011/08/28

きょうの「むずかしい」

きょうの「むずかしい」
家でできない読書は、出先でもできない。失った自信は健康と同様に、長い時間の中で徐々にむしばまれたのだと知る。取り戻すのはむずかしい。旅一つでなんとかなるものではなかった。

旅先はぶどうのシーズン。

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2011/07/25

きょうの「ふかがわ」

きょうの「ふかがわ」
きょうの「ふかがわ」
きょうの「ふかがわ」
きょうの「ふかがわ」
明日は難しい気がしたので、現代美術館は休みだが、何とか深川までやってくる。友人の切り絵による紙の結晶は印象的で、見に来て良かった。

深川は夏祭りのイメージがあり、街並みも夏らしい気がする。

静かで落ち着ける場所が無くて、少し苦労する。

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2011/07/10

きょうの「インドネシアフェスティバル」

午前中はかなり厳しかったが、午後は暑さしのぎで表へ出る。たまたまAFNラジオで「代々木公園でインドネシアフェスティバルをやっている」と聞いたので、それを目当てに代々木公園へ。途中電車が少々辛くてどうなるかと思う。代々木公園の人の少ないほうから入り、しばらく弁当を食べがてら涼む。舎人公園よりも緑が濃くて、木陰だといくぶんラク。しばらく休んでからインドネシアフェスティバルの会場へ。ステージの音響がかなり騒々しかったが、それでもステージは思いのほか楽しめる。ヒッポをやっているからインドネシア語もごくわずかだが分かる。で、お金はほとんど使わなかったがチャリティなどでちょっとした買い物をすると、そこから会話が弾む。そんなこんなで危惧していたよりはずっと楽しめた。小学校の頃使っていた「キョクトウノート」の会社が、今はインドネシアの製紙会社傘下にあることなど聞いて驚く。

ゆっくりと公園内を散策して帰宅。蝉が鳴いているのを今年初めて聞く。まだ蝉時雨ほどいかないが、夏を感じる。

先日の葛西ほど旅行した気分にはならなかったが、気分転換になったことは間違いない。

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2011/06/28

続きょうの「プチ旅」

続きょうの「プチ旅」
続きょうの「プチ旅」

いつもの荒川大橋に戻り、河口まで行った事に思いをはせる。津波のニュースを繰り返し見ていた人には波打ち際の写真もつらく感じるかもしれないけれど、幸い自分は今回ニュース映像はほとんど見ていないので、小さな波の音を聞きながら「夏」を感じていた。

水族館には入らなかったが、バードサンクチュアリなどもあってかなり広く歩き甲斐のある公園。山道のような風景もあった。 先週金曜に続き腕などがかなり焼けた。

電車は少し厳しかったが、いつも乗る所を過ぎると景色も少し楽しめた。上野と東京の間で東海道線と宇都宮線等の直通運転に向けた工事をしているのを見ておどろく。そう遠からず赤羽から新橋方面へ京浜東北線よりも早く行けるようになりそう。 先週の金曜日から京浜東北線やJR各線も節電ダイヤになっていた。

今はまだ難しいが、すこしずつ変化についていって、きっと「みらい」を拓く。

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きょうの「プチ旅」

きょうの「プチ旅」
きょうの「プチ旅」
きょうの「プチ旅」
葛西の海辺へ「プチ旅」。暑いかと思ったが、潮風があってそれほどでもない。まいにち同じような風景ばかり見ていたので、ちょっとうれしい。午前中暑くて玄関先で横になっていたが、元気を出してきてみてよかった。

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2011/06/18

きょうの「そっくり」

さきほどの「あじさい」の記事を携帯から投稿してのち、2年くらい前にはまっていて、それから過敏のせいで読めなくなってしまっていた星野博美さんの本をひさしぶりに手にした。独特の感性に何度もくすくすと笑わされつつ、何か「似ている」感じを抱いた。自分の周りに巻き起こる情報に敏感で、いろいろな事を感じてしまうのだ。それでも星野さんはすくなくとも「いわゆる普通」に暮らす事ができている。

「のりたまと煙突」という、買ったまま積んどくになっていた本をそんなふうに読み進めていたらこんな文章に出くわした。

 旅行から戻ると、奇妙に思うことがある。自分の中の小さな異変に初めて気づいたのは、香港に住み、久しぶりに日本へ帰国した時だった。成田空港から家に戻る電車の中で、車内のアナウンス、乗客のひそひそ声、吊り広告、隣の人が読んでいるスポーツ新聞など、目や耳に入ってくる情報が物理的に理解できてしまうことに、新鮮な驚きを感じたことをいまでもよく覚えている。体じゅうに入りこんでくる情報があまりにもうるさく、叫び声をあげそうになった。
 ご存知の通り、日本の車内はさほどうるさくない。騒音天国の香港に比べたら、日本の車内は静かすぎるほどだった。ただ、自分では何も考えずにそこに存在しているつもりでも、体内に入ってくる吊り広告や週刊誌の見出しや宣伝文句を、頭が情報として処理しようとしてしまう。自宅へ戻るまでのたった二時間足らずの間に、情報の洪水に呑みこまれ、自分でも意外なほどぐったりしてしまった。そしてこの瞬間に、まぎれもなく旅が終わったことを実感する。
 
これは自分がここ数年インドや韓国から帰ってきた時に感じていた違和感とそっくりそのまま。そしてあの状態が昨年5月くらいからずーっと日常になってしまったというのが今の自分の状況なのだ。そうそうこれだ!とひざをたたいてしまった。

星野さんの分析は以下の文章。

 インドから戻ってきた今回も、それが起きた。私は何も知りたくなかった。この一ヶ月間に日本でどんなことが起きていたのか、どうせそのうち知ることになるのだから、家に戻るまでの短い間に知りたいとは思わなかった。しかしアパートへ戻るまでに、一ヶ月の日本の要約を、望みもしないのに知ってしまった。旅の気分が一気に吹き飛んだ。
 思えば私がいた一ヶ月間、インドとて問題山積だった。インド・パキスタン国境のカシミール地方では一触即発の状態が続いていたし(中略)インド全土で四百人を超す死者が出た。自分が暮らす場所で多数の死者を出す抗争が起きたら、いてもたってもいられないと思うのだが、一旅行者にとっては所詮ひとごとだった。客観的に見て、インドのほうがよほど緊迫感の漂う状況だったにもかかわらず、旅の間じゅう私は終始上機嫌で、比較的ハッピーだった。
 そして、言語が自由な母国に戻り、たった二時間情報の洪水にさらされただけで、私は不機嫌になり、ハッピーではなくなった。
 旅先で比較的ハッピーでいられたのは、つまるところ私が当地の言語を持たないがゆえに情報の洗礼を受けず、いまそこにあるはずの緊迫から、無知のバリアで守られていたということなのだろう。私が、あるいは少なくない旅行者が、旅先で無責任にハッピーでいられるのは、当地の情報からあらかじめ除外されているからだろう。極論をいってしまえば、情報によって憂鬱になる人間がハッピーでいたいと思うなら、旅をし続けるしかないのかもしれない。

うーん、自分も旅をずっと続けていたらハッピーになれるだろうか。

星野さんはこうしめくくる。

 でも、そんなハッピーに、どれほどの意味があるのだろう?
 私は自分の場所でハッピーになりたい。どうしたらそうなれるのか、庭で日向ぼっこしながら今日も考えている。

「庭で日向ぼっこ」ができない自分は、とりあえず手を動かすことをしながら、情報洪水から逃れるすべを模索する。あるいは情報洪水に流されるのではなく、自分でさらりと右から左へ流してしらんぷりする術を身に付けるべく練習のまいにち。

それにしても「のりたまと煙突」の本がやっと読めるようになった。練習の賜物か・・・。

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2010/11/19

きょうの「もうひとつの手がかり」

今日はちょっとした用事があり、相当久しぶりに東武野田線にのった。春日部から野田方面へ向かう電車はとてもローカルな感じ。毎日使っていた時代にはそうは感じなかったが、目と鼻の先を地下鉄が通っている街からでかけると人口密度が少なくのどかな感じがした。そしてそののどかさに「ラク」を感じた。日中そちらに出かけるまでは相当きつかったのに、である。前にも書いた「夕方『ラク』になるのは『うつ』の典型症状」というのもあるのかもしれないが、そうではなくこれはひょっとすると人口密度の低い地方に行けば「ラク」になるかもしれない。情報のとり過ぎで電車に乗るのがラクでないこのごろだったが、春日部の先で田んぼが広がるあたりでは外の様子を見たくなったりした。これにはほんとうに驚いた。

別に夕方だけでもラクになるのなら、「うつの典型」でも今のところはかまわない。一日一日が先日まで修行のようにつらかったのだから、そこから考えれば大きな進歩だ。

そして本が読めるようになった。知識としての本ではなく異郷の地で人生を楽しんだ人の体験談。自然条件の過酷な山の中だが、地元に溶け込んで行く中で、本がいらなくなり時間がゆったりとしてきたようだ。過酷な自然環境の地だからこそ、人々の絆が深くみんな優しかったという。

求めているのは「これ」ではないか?と思う。最終的には「本がなくてすむ」生き方を目指す。そのために次へ次へとステップを踏んで行く。プロセスをたどる。

余談:京浜東北線がつらく感じるのは、体調が悪いだけではなくあの新型電車のうるささに原因があると思った。車内アナウンスのボリュームが高すぎて気分が悪くなるほどだし、ドア上のモニターではずっとテレビのような視覚的情報が垂れ流されている。山手線があれになった頃から、もうすでに苦手だった。扇風機こそないものの窓が二段式の昔から走っている電車に乗っているのはほんとうにラクチンだった。

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2010/06/19

同潤会アパートから公団住宅へ

同潤会アパートから公団住宅へ
同潤会アパートから公団住宅へ
同潤会アパートから公団住宅へ
同潤会アパートから公団住宅へ

自分達が大学生だった頃、同潤会アパートが密かなブームになりました。集合住宅の先駆けで、団地と長家の相の子のような風情に惹かれた一人が自分でもありました。代官山アパートや青山アパートは特におしゃれなエリアになっていましたので、独特のシュールさがありました。

最近古い公団住宅が密かなブームなのだそうですが、まさに同じように一世代前の集合住宅に今とは違う生活の匂いを嗅ぎとって、時代の空気を感じようとする営みに思えます。公団住宅には小さいながら庭付き長家のような郊外型の旧西鳩ヶ谷団地と大型の旧東鳩ヶ谷団地(共に建て替え済み)の他都市型タイプの一棟型があり、この一棟型は写真の青木町公団住宅、本町公団住宅(国道122号本町ロータリーの脇)、朝日町公団住宅など川口駅周辺には数多く有ります。間取りはかなり狭いようですが賃料の安さと一人暮らしに最適な事などから意外に人気のようで、今の住処に決める前にいくつか探しましたがダメでした。

公団住宅の近所には今でもお風呂やさんがあるケースが多いです。このようなお風呂やさんが数多く残っているのは、埼玉県では余り多くないと思います。そこが自分がこのエリアに住む事に決めた理由の一つでした。

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