心と体

2012/10/27

感情移入

昨日考えた通り「2度寝も織り込む」スタイルで今朝もなんとか9時から活動できました。食事の支度の他風呂場の掃除も久しぶりにできて、ちょっと満足です。土曜日の午後の仕事はちょっときつめですが、それも順調にこなし、余力があったので十条のヒッポへ行きました。参加メンバーが少なかったので、久々に自分のインド話や病気の話をすることができました。話をするというのは、漠然と考えていた事柄をはっきりと意識の上に載せる作業なのでとても良いです。それを通して、自分が「赤毛のアン」をすり切れるほどくり返し読んだのは、おそらく青年期に必要だった発達過程をたどれなかったことの穴埋めだったに違いないと改めて思いました。ある友人も自分と同じような家庭で育ったため、大学時代児童文学を研究対象にしてそれこそすり切れるほど読み、それで子ども時代のやり直しをしたと言っていました。自分は人の親になる感覚がどうしても分からなくて、アンが結婚するところまでは読めるのに、その先のストーリーがずっと読めずにいました。それが最近子育てをするアンに感情移入できるようになり、それと軌を一にして「自分の両親も一生懸命だったんだろうな」と思えるようになり、許せるようになりました。叔父が「病気が治るときは親のことを受け入れるようになる」と言っていたのですが、その通りになりました。精神疾患の背景にはきっとみんな同じような問題があるに違いないというのが自分の確信です。

久々にインドへ行ったときのことをいろいろと思い出しながら話しましたが、良く行ったものだとしみじみ思いました。

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2012/10/25

こころとからだ

今朝の状態。起床は4時半でシャワーを浴び、身支度を整えて「今朝は横にならない」と布団類はすべて片付けて朝食作り。そこまでは良いのですが食べ終わる頃、やはり「疲れ」に似た感覚が襲い結局横に。まだ6時頃なので寒くなり、意志に反してもう1人の自分がふとんをずるずる引っ張りだしてうつらうつら。気がつくと8時半で、ばたばた片付けて、本の注文を一件発送して、洗濯はできずにデイケアへ行き、ぎりぎり朝の会に間に合いました。仕事じゃないから慌てなくても良いと言えば良いのですが、朝の会に間に合わないとしくじったような気分になるのでやはりばたばたです。明日は朝デイケアに行く前に買い物を済まさなければなりませんが(チラシ広告の特価品を購入するため)果たして間に合うか?

帰宅後ふと「べてるの家」の本、「安心して絶望できる人生」を読み返してみました。「そうそう!」と改めて感じることがいくつかありました。大事なのは「対象化」だと思います。べてるでは自分自身を研究対象に見立て「対象化」することで自分なりの症状への対処法を編み出したり、自己評価を高め本来持つべき自尊心を回復したりしています。問題が全く解決していないのにそれで良しと思える、問題にふりまわされない生き方ができるようになるのです。精神疾患は、実は脳の意思とは別の自分自身のからだが発するSOSで、発病することで実はからだにかかる無理な負荷を緩和しているのです。風邪を引いて熱をだすのが、その熱によって体内からウイルスを排除しようとからだが反応しているのと同じようなものなのです。だから精神症状が出た時、それに対する対処法を持っていることは、無理な負荷を避ける意味でも重要なのだと思います。うつはもとより、リストカット、アルコール依存、統合失調症なども多分根っこは同じでしょう。生きることの苦難(安全ではない家庭で育つ等)がそういう症状を引き起こして、結果としてからだを守っているのだと思います。精神疾患を持つ人のリハビリで生活力をつけることが重要視されるのも、その辺と関わりがあるのでしょう。

まあ、ぼちぼちだ。

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2011/12/16

きょうの「少し前向き」

デイケアへ行ったのちヒッポに行く。デイケアではうつが強くて、テーブルで伏せている時間もあるほどだったが、ヒッポヘ行ったら気持ちが少し前向きに変わった。少しエネルギーをもらえた感じ。行けてよかった。

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2011/12/14

きょうの「良い効果」

きのうはうつが強くなりかなりきつかった。きょうも良くないが、きのうよりは少しましになった。天気も体調もイマイチだったが、思いきってデイケアヘ行く。行ったからといって何かが変わるわけではないが、考え事が少し減って精神衛生上良い効果。明日も連続で行こうかどうか思案。

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2011/12/11

きょうの「赦す」

自分が自分に厳しすぎるのではないか、と人に言われる。もっと自分を赦してあげればラクになれるのではとも言われる。自分はイチイチ否定してしまう、自分を大事に考えられないことが多いが、そうではなくダメでも失敗しても赦せばいいのかもしれない。

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2011/12/09

きょうの「何を信じれば」

今度の主治医はやたらと薬を出す。きょうの診察で以前飲んでいた抗うつ剤を以前の量以上に出された。それで前の主治医が出していた新しい抗うつ剤は減っていない。薬学部を出て医学部に入り直したという経歴の持ち主だとのことだが、「カウンセリングとの併用はどうか?」と聞くと「カウンセリングは医学ではない、気の持ちよう程度に使うもの」といわれ、「認知行動療法はどうか?」と聞くと「これが良い」と一冊本を薦めてくれただけ。前の主治医よりダメだと思う。何を信じればいいのかわからない。

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2011/12/08

きょうの「しこり」

きょうはお天気が悪く、あえて外出しなかった。認知行動療法に関して調べたら、最近はずいぶんといろいろなものがあるようで参考になる。「きっかけ」として効果があるかどうかはわからない。カウンセリングを受けてみたいような気分にもなる。前の主治医からは「何かに取り組んでいるときは、あまり心の中をいじらないほうがいい」と言われたが、やはり心理的なしこりを感じる。どうするか思案。

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2011/12/07

きょうの「きっかけ」

「うつ」が抜けた状態が昨年5月なら、あの状態にたどり着きたい。すごくラクだった記憶がある。あまりにも「うつ」がはりついたままの状態が長いので、苦しみから抜けられないのではないかと思ったりもする。苦しい状態が長く続くと新しい環境に出て行くのが恐くなることがあるのだ。でも新しいラクチンをめざしたい。薬では根本的に治ることはないと思う。症状の緩和をしているだけ。何かきっかけがあるような気がする。どこにあるその「きっかけ」。

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2011/12/06

きょうの「画期的」

「何をいまさら」と言われそうだが、「うつ」でなければうまくいかなかったことや将来不安などでいちいち自分を全否定しないのだなあ、と瞑想(メディテーション)をしてふと思う。それは今の自分にとって「画期的な事」だ。そのくらい「うつ」が体に張り付いている。ふと処方箋の出ないくらい状態の良かった昨年5月の記録を読むと「きょう一日安寧ならばそれで良し」と書いてあって、確かに数日はそう思えたのを思い出す。あのときの感じが「うつが治る」感じだとすれば確かに気持ちいいだろうなあ。「他人のために、将来のために生きない」ともある。調子が悪いときは自分が母のために生きている気がする、というか病気になるまでずっとそうで、最近またそんな気持ちになっている。体の症状(朝が苦手)と心の症状がある。

昨年5月の状態を目標に「うつ」から抜け出したい。そうすればムリしなくても何かできる。そう思った.

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2011/12/05

きょうの「一日一日」

あまりにもつらくてきょうは瞑想(メディテーション)はできなかった。何でこんなにつらいのか、と思う。お天気がよかったのでデイケアへ行く。先の不安が強く、少し相談してみるが「コンスタントに来られるようになって、はじめてその先があって、まずは一日一日でしょう」と言われる。続ける一日一日。

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