書籍・雑誌

2012/11/29

一人暮らしごはんの友

きょうは明らかに昨日より調子が良かったです。活字が読めました。

雨が降り出す前にデイケアから帰宅して、思い出して読み出したのが「ひとり暮らしごはんの友」という本。もう20年も前に出たもので「元祖仲屋むげん堂」というアジア雑貨のお店が出した本です。自分がカレーを作る際に、タマネギだけ先に炒めたり、缶詰トマトを入れたりするのはこの「むげん堂」のレシピがオリジナル。春先にふきを買ったりするのもこの本の影響です。秋ならなすやかぶ、冬なら大根や白菜を丸ごと買っても活かせるような、季節の野菜のおいしい食べ方が書いてあります。他にも魚の3枚おろしの仕方やいかのさばき方、チャーハンの作り方など。いわば料理のいろはの「い」。でも今読み直すと、ひとつひとつの技は簡単なようで結構レベルが高いです。以前この本は台所に置きっぱなしだったので相当汚れているのですが、捨てられない本のひとつです。当時はこの本のレベルが高いことすら分からないくらい料理がダメでした。今は「ちょっとやってみようかな」と思えるくらいにはなってきました。

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2012/06/11

きょうの「調整」

あまり早く寝ると早く目覚めすぎるので、調整して寝るようになりました。以前だったらすること(できること)がなくて横になるしかないこともありましたが、情報過敏症状の改善で何かしらはできるようになったのが幸いです。自分は今のところ順調ですが、やはり再入院になってしまった人もいて、ホント焦らずゆっくりが何よりだと思います。

きょうはデイケアから帰宅後中央図書館へ。週刊東洋経済でうつ病の特集が組まれていたので見てみると、最近のトピックである内容が網羅されていたので、帰りがけに書店で購入してきました。最新の治療法や問題点など自分も知らなかったことも載っていたので、多くの人の参考になると思います。経済誌の特集になるほどうつ病は社会問題化しているのだな、と改めて思いました。

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2012/05/20

きょうの「くるくる」

きょうの「くるくる」

今朝も4時20分起きで、ご飯は5時に食べられるようにしたのが即役立ちました。寝るのは10時半から11時で、ほんとうに十数年ぶりに普通の睡眠時間、活動時間で「いちにち」がくるくるとまわって行きます。
昨日からきょうにかけて読んだのは「あなたのTシャツはどこから来たのか」という本で、やはり積ん読になっていたもの。発展途上国の女工哀史的な話題なのかなと思ったら、事実は小説よりも奇なり、自由貿易やグローバリゼーションに関する固定概念をがらがらと崩される内容で面白かったです。わざわざ買ったからには書評などを参考にしているはずで、興味があるから買っているんですよね。300ページ以上の本が一気に読める調子の良さ!入院中に読んだ「コンテナ物語」と同じくらい面白かったです。読み終わってとっておくかどうかはむずかしいところ。

日中蕨までサイクリングに行く途中あじさいの花がもう色づき出しているのに遭遇しました。6月も間近ですね。

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2012/04/19

きょうの「懐かしい本」

今朝は数日ぶりの6時起床で、順調でした。

デイケアの休憩時間に読書をしていましたが、その本とは、「アジア雑貨仕入旅」という1990年発行のもので、仲屋むげん堂というアジア雑貨屋さんの本です。その当時良くお店に行って、スパイスやお香を買っていました。その頃からインドやネパール、タイといった地域に漠然とした憧れを持っていたのです。まさか自分が本当にインドに行けるとは思ってもみない事でした。実際に行って、改めてこの本を読むと、「そうだったのか」と思う所と「そうなんだよね」と納得する所がありました。たまたま飛行機が立ち寄った香港の林立する高層アパートの束の事が触れられていて懐かしかったし、エアー・インディアの客室乗務員の事も「そうそう」とうなづいてしまいました。デリーでトンガという馬車があったらしいですが、これは自分の時は無く、逆に地上も走る地下鉄が当時は無かったと思います。タクシーも日本車は無かったらしく、スズキのオムニだらけだったガントクのタクシー乗り場は最近になっての風景のようです。しかしながら本を読み返して今振り返ると「良く行ったものだ」と思います。英語とカタコトのヒンディー語だけで、インド滞在1ヶ月。トラブルが最小限で済んだのは運が良かったのだなあと思います。

しかしこのむげん堂の本がまだあるというのが今の我が家の状態を示しています。以前読んだ時に使ったらしき落ち葉をしおり代わりに、しばし旅気分を味わいました。インド一人旅の時の負けん気が思い出され、「めげるものか」と少し元気になった気がします。

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2012/04/14

きょうの「鶏肉料理」

今朝の起床もすんなりとはいかず、1時間半くらいかかりました。きょうはデイケアへは休みで行かないのでそれはそれで良しというところ。夕食に「鶏肉のトマト煮」を作ったのですが、胸肉100グラム35円の特売で400グラムも買ってしまったために、明日までに食べきれるか微妙な線になってしまいました。夕飯時に食欲がわかなかったのは日中「いのちに触れる 生と性と死の授業」鳥山敏子著を読んだことも理由のひとつ。小学校4年生の授業で「鶏を絞めて、その場で調理して食べる」というのをやった話で、「こういうことは大切だ」と以前に感じて買ったまま積ん読になっていたのでした。この本では豚や牛の飼育にまつわる話や、原子力発電所の作業員の話も出てきて、特に原発の話題は今読むと殊更に考えさせられる内容でした。一部を引用したいくらいですが、そのエネルギーがないのでやめておきます。

とにかく積ん読の本をなんとかするのが喫緊の課題です。自宅だと読めるのですが、デイケアだと疲れてしまって中身の深い本は読めないのです。それでも自宅なら読めるのは大きな変化です。

前日と10℃も気温差があると健康な人でも体調を崩しますね。今週月曜から気温がグンと上がったら、デイケアの看護師さんが2人も体調不良でお休み。きょうは昨日より12℃も下がりましたから病人はなおさら大変です。でもいまのところ自分は大丈夫なようです。

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2012/04/01

きょうの「こざっぱり」

きょうも一冊本を読んでしまいました。森田ゆり著「子どもと暴力」という本で、前から読もうと思っていたものです。暴力と言ってもいろいろあって、必ずしも手を出すということには限らないので、そういう意味ではずいぶん自分も苦労してきたなと思わずにはいられませんでした。読んだ本は少しずつ片付けて「こざっぱり」させていきたいです。昨日休んだ分きょうは少しラクにすごせたような気がします。

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2012/03/24

きょうの「賢治の学校」

きょうは「いちにち」うちにいました。鳥山敏子の「賢治の学校」を午後3時間ぐらいで読み切ったり、チリコンカンを作ったりしていました。うちにずっといるとメリハリがなくてダメですが、仕方ないかな。「賢治の学校」を読んで「やはり家族の問題は大きいよな」と改めて思いました。ずっと読もうと思っていた本なので、あっさりと読み終わってよかったです。

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2012/03/18

きょうの「米原万里」

今朝の起床は4時50分。以前ならもう一眠りしていたと思うのですが、ぱっちりと目が覚めたのでそのまま起きてしまいました。炊飯器のタイマー設定は入院前は9時だったのを退院後は6時にしていました。しかしそれを上回る早起きで、シャワーを浴びてから朝食まで時間が空いてしまいました。こんなことは考えられなかったこと。2年前だったら翌日が起きられなくなったりするところでしょう。米原万里の「心臓に毛が生えている理由」というエッセイ集をお昼をはさんで14時頃までに読破。この人の本を読んで時折おもわず笑ってしまえるというのも数ヶ月前には考えられなかったこと。昨日天気が悪くて外出しなかったので、きょうは小雨がふっていましたが蕨まで自転車で行ってみました。夕方にはくたくたになってしまいました。明日はどうなることやら。

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2011/07/07

きょうの「ため息」

昨日ふとんに入ってから寝付けず、パソコンを開いてネットのニュースをたまたま読んだ。うつ病や認知症などの精神疾患がひとくくりにされ、がんや脳卒中、糖尿病などのいわゆる「4大疾病」に加えられ「5大疾病」という扱いになるという。患者が増え続け、今以上の対策を練らねばならないということだと思う。が、今まで「4大疾病」というと「保険」でよく聞くものだったような気がする。精神疾患対策の「保険」ができるとは今の自分には考えられない。せめてがん検診並みに啓発と予防対策が行われることを願うばかり。「5大疾病」になったからにはイロイロな因子はあるだろうが、基本的にはますます誰でもかかる可能性があるということかと思う。

こんなことをきょうになってまた思い出したのは「のりたまと煙突」の続きを読んだせいである。星野さんの友人や知人には、誰もが知っている事件や事故で亡くなった方が複数いるそうだ。自分はあまり「人の死」と近いところにいたことがない。しかし先日は遠方に住む知人ががん検診にひっかかった。がんそのものではないが危険だということで摘出手術を受けて無事帰ってきた。年を取るということはそういうことも増えることかな、と複雑な思いになった。「のりたまと煙突」は読むたびに複雑な気分にさせられる。

そんなふうに本が読めたのも、4時間作業があって順調にこなしてきたから。明日はどうすごすか考えなければならない金曜日。早く4時間作業の日を増やしてあれこれ考えなくても済むようになれば良いのに、と「ため息」。

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2011/06/18

きょうの「そっくり」

さきほどの「あじさい」の記事を携帯から投稿してのち、2年くらい前にはまっていて、それから過敏のせいで読めなくなってしまっていた星野博美さんの本をひさしぶりに手にした。独特の感性に何度もくすくすと笑わされつつ、何か「似ている」感じを抱いた。自分の周りに巻き起こる情報に敏感で、いろいろな事を感じてしまうのだ。それでも星野さんはすくなくとも「いわゆる普通」に暮らす事ができている。

「のりたまと煙突」という、買ったまま積んどくになっていた本をそんなふうに読み進めていたらこんな文章に出くわした。

 旅行から戻ると、奇妙に思うことがある。自分の中の小さな異変に初めて気づいたのは、香港に住み、久しぶりに日本へ帰国した時だった。成田空港から家に戻る電車の中で、車内のアナウンス、乗客のひそひそ声、吊り広告、隣の人が読んでいるスポーツ新聞など、目や耳に入ってくる情報が物理的に理解できてしまうことに、新鮮な驚きを感じたことをいまでもよく覚えている。体じゅうに入りこんでくる情報があまりにもうるさく、叫び声をあげそうになった。
 ご存知の通り、日本の車内はさほどうるさくない。騒音天国の香港に比べたら、日本の車内は静かすぎるほどだった。ただ、自分では何も考えずにそこに存在しているつもりでも、体内に入ってくる吊り広告や週刊誌の見出しや宣伝文句を、頭が情報として処理しようとしてしまう。自宅へ戻るまでのたった二時間足らずの間に、情報の洪水に呑みこまれ、自分でも意外なほどぐったりしてしまった。そしてこの瞬間に、まぎれもなく旅が終わったことを実感する。
 
これは自分がここ数年インドや韓国から帰ってきた時に感じていた違和感とそっくりそのまま。そしてあの状態が昨年5月くらいからずーっと日常になってしまったというのが今の自分の状況なのだ。そうそうこれだ!とひざをたたいてしまった。

星野さんの分析は以下の文章。

 インドから戻ってきた今回も、それが起きた。私は何も知りたくなかった。この一ヶ月間に日本でどんなことが起きていたのか、どうせそのうち知ることになるのだから、家に戻るまでの短い間に知りたいとは思わなかった。しかしアパートへ戻るまでに、一ヶ月の日本の要約を、望みもしないのに知ってしまった。旅の気分が一気に吹き飛んだ。
 思えば私がいた一ヶ月間、インドとて問題山積だった。インド・パキスタン国境のカシミール地方では一触即発の状態が続いていたし(中略)インド全土で四百人を超す死者が出た。自分が暮らす場所で多数の死者を出す抗争が起きたら、いてもたってもいられないと思うのだが、一旅行者にとっては所詮ひとごとだった。客観的に見て、インドのほうがよほど緊迫感の漂う状況だったにもかかわらず、旅の間じゅう私は終始上機嫌で、比較的ハッピーだった。
 そして、言語が自由な母国に戻り、たった二時間情報の洪水にさらされただけで、私は不機嫌になり、ハッピーではなくなった。
 旅先で比較的ハッピーでいられたのは、つまるところ私が当地の言語を持たないがゆえに情報の洗礼を受けず、いまそこにあるはずの緊迫から、無知のバリアで守られていたということなのだろう。私が、あるいは少なくない旅行者が、旅先で無責任にハッピーでいられるのは、当地の情報からあらかじめ除外されているからだろう。極論をいってしまえば、情報によって憂鬱になる人間がハッピーでいたいと思うなら、旅をし続けるしかないのかもしれない。

うーん、自分も旅をずっと続けていたらハッピーになれるだろうか。

星野さんはこうしめくくる。

 でも、そんなハッピーに、どれほどの意味があるのだろう?
 私は自分の場所でハッピーになりたい。どうしたらそうなれるのか、庭で日向ぼっこしながら今日も考えている。

「庭で日向ぼっこ」ができない自分は、とりあえず手を動かすことをしながら、情報洪水から逃れるすべを模索する。あるいは情報洪水に流されるのではなく、自分でさらりと右から左へ流してしらんぷりする術を身に付けるべく練習のまいにち。

それにしても「のりたまと煙突」の本がやっと読めるようになった。練習の賜物か・・・。

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