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2026/01/24

東京北部空襲

きょうは、午前中が全くダメで、食事と洗濯は9時過ぎになった。出勤日だったら出勤ぎりぎり。昨日は頭が重かったが、今朝は身体がだるくて重かった。動けるようになったのは14時過ぎだった。それまでは湯たんぽをいれて布団でうとうとする場面もあった。頭の重さもやや残っていて、積極的にラジオを付けられない時間もあった。

この調子で2月から3連勤ができるのか、主治医の判断次第だ。

 

さて北区は、今は主に赤羽と王子エリアに分かれているが、かつて赤羽は王子区であり、その南に滝野川区があった。最初は滝野川地区の概念がつかめなかったが、北区内に警察署が3つあり、赤羽、王子、滝野川なので、滝野川署の管轄がだいたい戦前の滝野川区とみていいのでは、と思う(調べれば良いのだが)。区の拠点施設も北とぴあ、赤羽会館、滝野川会館と三か所ある。

星野さんの著作に出てきた「東京北部空襲」には「旧王子区内」と記載があるが、以上の通り、旧王子区には「赤羽」が含まれたのだ。

鳩ケ谷に住んでいる時には全然分からなかったが、北区の「旧王子区」は、かつて軍事都市だった。川口から荒川の橋を越えると、山の手が迫ってくるが、この高台の上が軍事施設だらけだった。今は団地や競技場など様々に活用されているが、あれだけまとまった土地があったのは、もとが軍事施設だからだ。なぜそうなったのか。高台であるにも関わらず荒川が目と鼻の先で水運が利用できたことが、「赤羽」を「軍都」にしたと聞いたことがある。水運だけでなく鉄道も使うことができた。

「赤羽」ばかりでない。北区(旧王子区)には、貨物の引き込み線跡が多数存在する。道路や地形がいやに不自然なところがたくさんあるのだ。十条にはエリアは縮小されたが、今でも陸上自衛隊が駐屯している。区立中央図書館の案内によると、中央図書館の建物の一部を構成している建築は、本の記載にある「東京第一陸軍兵廠」の中にあった倉庫。戦後いろいろな経緯を経て図書館の一部として使っているそうで、確かに貴重な建物だとは思うが、軍事施設の街を象徴しているともいえる気がする。

きょう、図書館へ向かって散歩していて看板を発見。かなり字が見にくくなっていて夜では読めないのだが、そこは豊島ドッグと呼ばれた掘割で、軍が掘ったのだとのこと。隅田川から引かれたその掘割の行く先は王子6丁目。王子6丁目は付近と比べて盛り土がされて標高が数十センチ高いことと、学校や郵便局、ハローワークなど公共施設が集中していて明らかに不自然なのだが、実はかつて「板橋火薬製造所王子工場」なる施設があったのだとか。ここは南側にこの掘割が、北側におそらく鉄道の引き込み線があった。

これだけ軍事施設が集まっていれば、それ以降の軍需工場を対象とした蒲田・川崎や城南空襲よりも先に狙われて不思議はないと思った。

赤羽・王子がどのくらいの規模の空襲を受けたのかは、この本には記載が無いので調べてみたい。が、少なくとも赤羽台の火薬庫が空襲を受けて燃えたとしたら、川口はもとより鳩ケ谷の坂の上からも見えたはずだ。もちろんというか、この時川口も攻撃を受け多くの家屋が焼失し住民が死傷した。蕨や大宮にも影響があったという記述もある。東京大空襲というが、川口とか川崎とか、東京以外も被害を受けたのだ。川口は終戦の日の8月15日にも機銃掃射や焼夷弾の爆撃を受けたという記事もあった。

川口ではB29の墜落事故というのもあった。

こういうのを今の時代に語り継ぐ必要があるのだとしみじみ思った。

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