頭を空っぽにするには
昨日は東海と関東の計6地点でアメダスの最高気温が40℃を超えたことが話題になっていた(歴代1位タイ)が、確か最低気温の予想が30℃になっていた。
熱帯夜を通り越した。
きょうは珍しく何の予定もない休日で、でも「これは結果として休めない休日になるだろう」と思った通りになった。
マインドフルネス瞑想でわかってきたことだが、自分は他の人より妄想、いわゆる雑念の量がとても多い。アイドリング状態というか常に何か考えている。調子の悪い時にうちにいると、片づけ作業とか掃除といった雑用もできず横になっているしかない。そうなると雑念まみれになってしまい、ほとほと疲れてしまった。もちろん「そういうことは考えないで」とみんなが思うようなことも頭をかすめたが、それだけでなくいろいろな分野のことを思い出しては「あれはこれでないか」とか考えている。
調子のよかった頃に、巷のどうでも良い話題をブログに書き込んでいることがあったが、あれがたくさんやってくるといった感じ。
かつて鳩ケ谷の頃(震災の年)、日中情報過敏でうちにいられず、毎日舎人公園まで行って緑を眺めていたのを思い出した。
それでさらに思い出した。まだ発病したかしないかの頃、日記を書いていてこんなことを書いていた。「列車の車窓を眺めていると、最初はいろいろ考えているがだんだんそれがやんで、頭を空っぽにできる」というのだ。
自分が日頃列車の旅に出かけたいとあこがれてしまうのは、頭を空っぽにできる手段がそれしかないからかもしれない。
そう考えたら「いや、井の頭公園に行けば1~2時間は雑念を吹っ切ることができる」ことにも気づいた。
でも井の頭公園は遠い。舎人公園なら鳩ケ谷から行くのと同じかやや遠いかくらいだが、木がまばらなので暑さでムリ。
マインドフルネス瞑想を少しやってみたが、基礎体力がないので10分から15分で耐えられなくなり、ばたっと横になって30分くらい意識がなくなる。あれはそのくらい集中力を鍛える練習になっているのだと思う。そして雑念まみれになってしまうということは、集中力に課題があるのと、とにかく日常無意識にいろんなことを考えている、その内容が顕在化してくるということだと思う。
何も考えたくない。でもできない。
苦しい。
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