今さら学ぶ
自分は会社員時代、予算はなかなか行かなかったけれども、評価されていました。会社に病気が発覚したのは昇格試験の日で、受けさえすれば昇格すると言われていました。でも会社に向かう時からおかしくなり、本社に着いてからパニックを起こします。人事担当者に別室へ案内され、「受ければ受かるからとりあえず落ち着いて」とまで言ってもらいましたが、無理でした。
その日、結局産業医の診察を受け、休職が決まります。鳩ヶ谷に引っ越すかまだかぐらいの頃だと思います。
自分は病気が悪化して結局退職するわけですが、病気にならなかったら順調に行けていたかというと、多分転んでいたと思います。昇格すると、ポジションも売り場のチーフではなく業種マネージャーに任命されるのが普通でした。
しかし自分は「マネジメント」というのは未知の仕事でした。
売り場のパートさん達は優秀で、アルバイトさんにもおおむね恵まれていました。だから予算はいかなくても、ポイントカードの獲得数全売り区ナンバーワンとかやってました。店全体の売上が苦戦し特に自分が担当の衣料は厳しかったけれども、絶対に手を抜きませんでした。感覚でわかるんです。あ、もうこの売り場だとダメだなって。しょっちゅう売り場を変えました。SVにも評価されて、いろんなことを特別レッスンで教わりました。
これはプレーヤーだったからできたのです。
多分上司、特に当時の店長は「こいつはマネジメントが苦手」とわかっていたと思います。自分が組合のブロック長を引き受けるために、代わりの支部長を後輩にお願いしました。でも彼には荷が重かったし、勘違いもしていました。「一人で何でも出来なきゃいけない」と思い込んだのです。ある時クレーマーに引っかかり、報告相談せず自分で抱え込んでしまいます。金を要求されて、やむに止まれずレジからお金を抜き出し、クレーマーに渡すのです。何回もそういう事が起こり当然会社にバレます。事情がどうであれレジからお金を抜いたら不正です。懲戒解雇になってしまいました。彼のお父さんは警察官だったそうです。結婚したばかりでした。ほんとうに申し訳なかったです。
そんな感じなので売上の規模は大きいのに、社員の部下はいませんでした。なんでだろうと思いながら、一人でがむしゃらにやっていました。
ある日、部下がつくことになりました。この方は高卒で入社して数年目。自分なりに頑張っていたとは思うのですが、上司に嫌われて群馬県の太田の店から自分のいる越谷市の店へ、いわば左遷されてきたのです。実は群馬県から通っている人はベテラン社員さんにもいたのですが、電車で1時間以上かかるし本数も少ないので、相当大変だったと思います。
彼女は転勤が決まった時点で「もうやめる」と選択することもできたと思います。若いからいくらでもやり直しがききます。でも、その時点でやめることはせず、なんらかの想いを持って越谷まで通う決意をしたと思います。
ところが、自分は彼女の気持ちを斟酌することは全くできませんでした。あの当時は自分が紳士衣料全体を見ていたので、やってみたい分野を選んでやり直してもらうことも出来たし、それ以外にもいろいろモチベーションを上げて「頑張ってみよう」と思ってもらう、戦力に育てることはできたはずです。
彼女は太田では辞めなかった。でも自分の店で結局退職してしまいます。結婚を決めた事が理由でしたが、それは後付け。だって、他の女性社員に「辞めようと思う」と相談していたのです。
多分自分だけじゃないとは思います。プレーヤーの仕事とマネジメントの仕事は全然違います。スポーツでも名選手が必ずしも名監督にはなりません。多くの人が苦しむ局面でしょう。
若いパートさんでチェッカーの担当だった人がいます。この人はお客さんから人気で、他のレジが空いていても、並んででもその人のレジがいいというお客さんがいっぱいいるすごいお嬢さんでした。
店長が目をかけて、普通は社員がやるチェッカーチーフに引き抜きました。彼女のやり方が全チェッカーに行き届けばおもてなし満足度が上がると思ったからです。彼女は何度も断りましたが、最終的に引き受けました。
でも数ヶ月でもたなくなり、結局辞めてしまいました。
マネジメントって奥が深くて難しい。人に向き合う仕事だから。
YouTubeにハマっているのは、そういう事を解説してくれる内容だからです。ここまで書いた内容はこのYouTubeを見て気付きました。
今さらです。
自分は家族を作るチャンスもありましたが出来ませんでした。崩壊家庭で育って、暖かい家族って何か全然分からなかったし、夫が自閉症スペクトラム傾向が強いと、受け止めてもらえない奥さんはカサンドラ症候群という、一種の燃え尽き状態になってしまいます。でもマネジメントスキルがあれば、なんとかやっていけるかもしれません。
未来に向けて少しでもなんとかしたいです。
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