許せるか
自分が最初に障害者雇用で決まった会社は、父の勤め先でした。誰でも知っている会社です。父の葬儀に社長さんが来てくれました。「社員の葬儀にはなかなか行けないんだ」と言いながらです。会社の偉い方が軒並み来るので、受付も会社がやってくれました。
父がここまですごい人だったという事は、葬儀で初めて分かりました。
そこで就労移行施設を利用していた時代、社長さんに手紙を書きました。お世話になった父の会社で働きたいです、と。
ダメもとです。
でも気持ちが通じてしまいました。結構厳しい面接もありましたが、何しろ社長案件です。会社がポジションを作ってくれて実習3週間。無事こなしました。
採用してもらえる事になりました。
ただ、店舗でしたが改装が決まっていて、実際に働き始めるのが2ヶ月くらい先になるという事でした。
ここで、支援者の1人が、別の会社での実習を提案します。
自分は実習に行くという事の意味がわかっていませんでした。実習に行くという事は、その会社がOKしたらそこで働くという事なんです。でも自分は単に父の会社で働くまでの小手調べのつもりで行ってしまいました。
実習4日目で面談があり、決断を迫られます。父の会社は実習3週間ありました。4日で決断を求められて完全にパニック。
つい、はい、お願いしますと言ってしまいました。
あれだけ特別扱いでポジションを作ってくれた父の会社はがっかりです。
で、決まった会社の初日に体調を崩して、行けないという事態になりました。
結局採用延期です。おじゃんです。
馬鹿みたいです。
父の会社で働きたかったです。
この事を長年、主治医や支援者のせいにして、口にはしなかったものの恨んでいました。いや、恨んでいる事に気づいていませんでした。あまりにも痛い思い出なので、感じないようにしていたかもしれません。悔しさはこのブログで以前書いたかもしれませんが、恨みは意識していませんでした。
今でも恨みがはれたわけではありません。ここで決まっていれば渋谷のクリニックに行ってない。お金を無駄にしていない。父の仕事に触れられた。
本当はよくわからないまま決めた自分が悪いんでしょう。
でも。
かなり前にこのブログで、福井県の過疎地のお医者さんの事を書いたことがあると思います。地域の人達に頼りにされていましたが、ミスがあって患者さんが死にかけたことがありました。お医者さんは自分の意思生命を欠けて地元の方に謝罪しました。すると「医者だって間違える事はある。地域に残って欲しい」と言ってくれました。それで、お医者さんはますますその地の地域医療に心血を注いだ、というような話です。
対人援助の仕事は、時に人の一生を左右します。ですから失敗が許されないと思います。
でも、人間だから、失敗はしますよね。そうじゃなければ仕事できないですよね。だってみんな失敗するんだから。
課題は、それを肥やしにしてどう未来に向かって動けるか、ですよね。
そう言い切ってしまいたいです。
でも難しい。
対処策は、マインドフルネスで、「今ここ」に焦点を合わせること。
過去と未来ににとらわれない。
今できるのは、その練習しかないと思います。
YouTubeの見過ぎで若干疲れ気味。訪問看護曰くそのくらいで大丈夫とのことこ。
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