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2022/03/18

ふりかえる一日

きょうは、固定電話の廃止をしなければならないと思っていましたが、できませんでした。

寒の戻りで、数日前半袖で仕事したのが嘘のようです。

昼ごろまでぐったりしてから、この鳩ヶ谷雑記の過去記事を読み始めたら止まらなくなって、ずっと読んでしまいました。2004年からなので読めたのは一部ですが、病気がどういう風に推移してきたのか、その時どんな情勢だったのか色々と分かりました。

デイケアを利用し始めたのが2006年。夕方のバスに乗って夕飯を食べて帰るような感じで、毎日は行けていませんでした。あの時のデイケアは5年くらい通ったようですが、とても工夫していたし、診察もデイケア枠でしっかりと時間をとってやってくれていて、いちばん良かったです。

まだ重い症状だった2008年頃は1日の活動時間が4〜5時間で、それを越えると翌日丸一日寝たきりなんて事も多かったようです。活動できる時間は普通に見えるので、ヒッポもできたのですね。普通に活動できるのが良くて活動できない時があるのが問題だと認識していたのを、エネルギーを均して毎日同じように生活できるようにと言われたのがこの頃で、それまでは生活リズムがぐちゃぐちゃになっていたようです。駅で急に固まったり飛び込みたくなるので、ホームドアをつけて欲しいと切実に願っていました。手帳が2級だった時期もあったけど、この状態ではそうだろうと思いました。

30代が病気で終わってがっかりしていたけど、あの頃はまだ夢が持てました。なんと言っても旅行に行けていました。毎日が苦しくても旅行に行けば癒されました。そしてインドに夢を繋いでいました。今考えると、ムリでしょう?と思いますが。

感覚過敏が始まったのが2010年の5月。連休に急にスポンとトンネルから抜けたような感じがしてめちゃくちゃラクになったのもつかの間、連休が終わると聴覚視覚の過敏がものすごくなってしまいました。父の他界のショックが一年もしてから出るようになり、雨戸を閉めて部屋を暗くして過ごしたり、舎人公園に行ったりしていました。

振り返っているとキリがないのですが、今のような事になっているとは想像もできませんでした。

心配なのが病院。渋谷のクリニックにかかったのは、当時かかりつけの病院の医師が、ひと1人の人生が左右されるような事にも無関心でとても投げやりな態度だったからでした。医者なんてみんな同じと、お世話になっている施設長さんは言いますが、クリニックと違って病院の医師ってああいう感じなのではないかと、すごく心配です。

過去記事を読むのはエネルギーが必要で、きょうはだいぶ頭を使ってしまったようです。身体は休まりましたが結構疲れました。

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