底つき体験
不思議なことに、きょうはやたらとほめられました。よく頑張っているよねぇ、ってな感じ。
きょうは訪問看護と、社協の面談と、薬局へ行くという3つの用事がありました。それぞれで違った形でほめてくれました。
社協は、先月の面談でも体調を崩したと話すとちょっと困っていましたが、自分がやる気だったので付き合ってくれました。こうしたら出費が削れるのではという話を、資料も揃えて親身に話してくれました。自分も前月より一万円出費を削ったので単月黒字となったことを報告して、お互いだいぶ緊張感が解けました。
来月もやるかという話が出た時、自分は「やりくりの問題を乗り越えるという事は生きるという意思表示だと思う。今までは投げやりでも死んでしまえばそれで終わりだと思って逃げていた。だから生きるためにも、来月もやりたい」と言ったんです。気がついたらそんなことを言っていて自分でもびっくりです。でも社協のワーカーさんもホッとしたんじゃないでしょうか。
このところ絶望感が強くて、「もう終わりだ」「人生詰んじゃった」などと思っていましたが、あまりにも深く絶望したおかげでそれが底つき体験になって、もうこれ以上はひどくなりようがないと思えるようになってきたのかもしれません。父が経済的に破綻した時の絶望感も深かったけれど、あの時も落ちるところまで落ちると、それ以上悪くなりようがなかったんです。そこから始めて、出来ることを少しずつ片付けて、頼めるものは頼んでってやってきたように思います。ひどかったという記憶は残るので、心の傷になって時折痛みますが、それしかないんじゃないでしょうか。
そういう割り切りと努力が認められてほめられたようです。
そして先日書いたうつの芸術家さんの個展の案内状が届きました。奈良なので行けませんが、うつで苦しみぬいてどんな作品となって結実するのかなあ、と思いました。
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