無題
きょうも書けません。
木曜日に面談をした時は、何かが解決に向かうような気がしたのですが、一晩明ければ何も変わらず。職場も相変わらずで、割り切るのがなかなか難しいです。帰宅してからももやもやがひどくて、結局何も書けませんでした。
きょうは、粗大ゴミに出す布団の始末。まだ回収日まで日があるのですが、当日朝出すのは困難で休みの日でないとできないので、幸いここは専用の置き場があって、事前に出しても良いことになっているので出しました。雨が降らないことを祈ります。
夕方になって気持ちが落ちてきたので、手紙を書いたりもしてやり過ごしました。日曜日なのにエネルギー不足で教会に行けないのが固定化してきました。
家計簿は、日数が少ない月ということもあって、先月よりもさらに支出を抑えられそうです。ただしうちに在庫があったものでつないできた側面もあり、無くなるとまた買うかも知れず、自分自身に負荷をかけ続けないとだめでしょう。
突然思い出しました。ちょうどこのブログを始めた頃じゃないかと思うのですが、まだ済生会川口病院の建て替え前の旧館時代に、精神科ではなくちょっとした手術のために入院したことがあります。
あの時も、付き添ってくれたのは高校時代の先輩と、今もさんざんお世話になっている叔母でした。両親とは断絶状態だったかもしれません。
うちの家族は独力で再生していくのが難しいと考えて、経済的に破綻してから叔母の家の近くの公団に住んでもらうことにしました。それ以来母が亡くなるまでずっと、ちょくちょく世話になっていました。父が亡くなってからは、母の安否確認はもとよりちょっとした困りごともいつもサポートしてくれたようです。
自分の3回目の入院時、10年前かな、も母と連れ立って見舞いに来てくれました。
感覚過敏がものすごくなって、はるか上空の飛行機の音が耳に響いて耳をふさいでいた頃、しばらく逗留させてもらいました。診察にも付き添ってくれて電気治療を決めたこともありました。
今の家に引っ越す時も母とともに来てくれたと思います。母他界後の片付けもずいぶんと手伝ってくれました。
自分はもちろんのこと、家族丸ごとお世話になりっぱなしです。
いつからかははっきりしませんが、経済的破綻の前のすさまじい状況の頃から「困ったことがあったら相談して」と言ってくれていた気がします。
ずっとお世話になるばかりでごめんなさい。ありがとう。
追記:この記事は水曜日から少しずつ書いたものです。
きょうは、以前から言われていた「ワーカーのいる病院」へ初診予約の電話を入れました。一回断られているので、余計なことは言わずに頑張ってみました。すると、午後は専門外来が多くて、一般精神科があるのは週2日月水だけだと言われました。この週2日は納品日なので休みにくいのです。もう一度戦略練り直しです。
夕方、薬を取りに行くついでにお世話になっている施設長さんのところへ行きました。
固定電話の廃止には賛成。ネットも携帯に一本化してもいいんじゃないかと、これは社協でも言われなかった提案でした。繋がっていることが大事なので、ヒッポは細くても続けたほうがいいかもとのこと。
職場の悩ましい問題も相談してみました。仕事に行く上で大切なのは、障害者雇用の場合はとにかく行くこと。職場の問題については思うところがあっても言わずに流して、体調重視。これはそのあと行ったかかりつけ薬局の薬剤師さんも同じ意見でした。
肝心の病院について、病院粘ったのは頑張ったと。職場で配慮してもらえるよう頼む事もできるはず。医者の技量なんて5分診療なんだから大差はなくて、ようは生活相談ができる事が大事なのだという話でした。
ここのところ行っても同じことを言われるので気が進まなかったのですが、施設長さん自身が言うように10年と言ったスパンで自分を見てくれている人は他にないので、「できることは少ないがつながっていることが大事」だそうです。ありがたいです。
病院探しがんばります。
今朝起きたら、人生取り返しのつかないことになったという絶望感とともになんだか変だぞという感覚。昨日ちょっと余力があるとか書きましたが、その反動なのか強いうつ状態になってしまいました。食事はなんとかしたものの仕事に間に合うように出かける状態ではありませんでした。連絡して、結局2時間遅れで出勤しました。上司と相談して、休憩を減らして退勤を30分遅らすことでなんとか勤務時間を5時間確保することにしました。
なんとかこなしてきましたがヘトヘトです。
社協での面談で、固定電話をやめたらどうかという話が出ていました。それでエネルギーがちょっとあったので、NTTに電話で聞いてみました。しかし、それって大丈夫かなという心配ポイントが出てきて、結局今日の申し込みは断念しました。もう一度確認して再チャレンジです。
病院をソーシャルワーカーのいるところに変える話も、きょうは時間切れで出来ませんでした。
ちょっとでも進めようと思うのですが、エネルギーが必要でなかなかできません。きょうは訪問看護の時間が遅かったので、余力が出ました。
携帯電話はいつも携帯しているわけではないので(特に自宅で)、着信音もないので、結構不便かなぁと思うのです。社協で背中を押されなかったら固定電話をやめるという発想は出てこなかったでしょう。
1つの棚に5本しか陳列できないケチャップがいっぺんに20本も来る。どこにしまうかは決まってない。こういう状況だとまだおたおたしてしまいますが、何事もなかったようにとにかく出してなんとかストック場所も確保するのが正解みたい。障害者雇用だからおたおたしても許されるという感じです。
職場にいると、自分が社会の流れについて行けてないのを感じます。焦るどころかもう絶望的にだめな感じがします。
それでうちへ帰ると、相変わらずのありさま。
どうしたらいいのかわからない。
また今日も絶望。
休んでいるのに強いストレスを感じます。どうしてこんなにしんどいのでしょうか。
昨日は職場で食品の品出しをしている時間が長かったです。すると賞味期限切れのものを見つけちゃったりして、社員さんに報告するものの、一度は感謝されても複数見つけるとお互いに気分も悪くて、そんなこんなで体調にも影響してしまったかと思います。
家にあるあれこれのものと、職場のバックヤードの品物が連携して自分にのしかかってくるような気分です。
先日片づけたものの、粗大ゴミ収集を申し込んでいなかった実家の布団の引き取りを依頼しました。
胸が痛みます。
母が使っていたものもあるかもしれませんが、多分滅多に泊まることもなかった自分用にわざわざ用意してくれた布団もあったと思うのです。
まあ、感傷に浸ってもうちは片付かないから仕方ないですね。
胸だけでなく財布も痛みます。職場で2時間動いて悩んで得たお金が布団の処分で飛んでいくって、「なにやっているんだろう、自分」と思います。以前だったら別にどうという事のない金額ですが、今は結構な金額です。
午前中はぐったりで、連勤やっぱり疲れたんだと思います。午後からやっとそういう作業ができるようになりました。
夕方から川口のかかりつけ内科へ。冬は天気が安定しているので、寒ささえ我慢すれば自転車で気軽に行けますが、季節が変わるとにわか雨の心配をしなければならないです。こんなに物があるのに、以前使っていた雨がっぱが見当たらないのです。これもまた「なにやっているんだろう、自分」という感じでしょうか。
連勤が終わりました。今回は頑張って、木曜日もいつも通りに出勤したので、ちょっとしんどかったです。でもしんどいって言ったって、うつのしんどさに比べればたかが知れています。
14日を過ぎて、仮設什器で展開していたチョコレートが撤去されました。適度な量なら少しずつ本来の棚に戻して、売り切っていけばいいと思うのです。でも量が量なので全く陳列しきれない…。バックヤードの奥の奥にしまってありました。どうするんでしょう。いや、自分の心配することではないですね。
発注に関してはすごくうるさい会社で、欠品があると怒られるらしいですが、過剰在庫で怒られるという話は全く聞きません。自分にはすごく不思議で心配してしまうのですが、余計なことですね。
不思議なことに、きょうはやたらとほめられました。よく頑張っているよねぇ、ってな感じ。
きょうは訪問看護と、社協の面談と、薬局へ行くという3つの用事がありました。それぞれで違った形でほめてくれました。
社協は、先月の面談でも体調を崩したと話すとちょっと困っていましたが、自分がやる気だったので付き合ってくれました。こうしたら出費が削れるのではという話を、資料も揃えて親身に話してくれました。自分も前月より一万円出費を削ったので単月黒字となったことを報告して、お互いだいぶ緊張感が解けました。
来月もやるかという話が出た時、自分は「やりくりの問題を乗り越えるという事は生きるという意思表示だと思う。今までは投げやりでも死んでしまえばそれで終わりだと思って逃げていた。だから生きるためにも、来月もやりたい」と言ったんです。気がついたらそんなことを言っていて自分でもびっくりです。でも社協のワーカーさんもホッとしたんじゃないでしょうか。
このところ絶望感が強くて、「もう終わりだ」「人生詰んじゃった」などと思っていましたが、あまりにも深く絶望したおかげでそれが底つき体験になって、もうこれ以上はひどくなりようがないと思えるようになってきたのかもしれません。父が経済的に破綻した時の絶望感も深かったけれど、あの時も落ちるところまで落ちると、それ以上悪くなりようがなかったんです。そこから始めて、出来ることを少しずつ片付けて、頼めるものは頼んでってやってきたように思います。ひどかったという記憶は残るので、心の傷になって時折痛みますが、それしかないんじゃないでしょうか。
そういう割り切りと努力が認められてほめられたようです。
そして先日書いたうつの芸術家さんの個展の案内状が届きました。奈良なので行けませんが、うつで苦しみぬいてどんな作品となって結実するのかなあ、と思いました。
今月のこの電気の使用量は、ひょっとして過去最低かもしれません。90kwh代は冬場にちょくちょく出ましたが80kwh代は滅多にないです。電気代が安くてもガスはそこそこ使うのでどうかなぁ。
このところ絶望感はあっても、わりと落ち着いていましたね。絶望しているのに調子はそれなりというのは変な気がしますが、振り返るとそうでした。休みの日にうちで引きこもっていられたのがよかったかもしれません。
きょうは、はっきりとは自覚できないのですが、破滅のイメージが頭にこびりついて悲しんでいたと思います。双極性I型のさまざまな破綻イメージが次から次へと浮かんできました。明日社協の面談があるせいかもしれません。そのためちょっと不穏な感じがします。頓服飲んで寝るようにします。
こんなに病気が重いのに、よく働いているよなと思いました。
ここ何回かの休みの日は、一日中引きこもっていることが多かったです。落ち着いていられないような事もなく穏やかでした。今週はいくつか出かける用事があって気が重いです。
べてるの家の向谷地さん(このブログのべてるの家カテゴリーに詳しく書いてあります)の本を読むことができました。何度か読んでいる本なのですが、途中なんと双極性障害の牧師さんの寄稿があります。
牧師になってから発症し入退院を10回以上繰り返したとのこと。職場である教会の信徒さんにも家族にも散々迷惑をかけてきたそうです。信徒さんや同じく牧師の奥さんの協力で、仕事量を調整することで、双極の波が落ち着いてきて、執筆当時はもうしばらく入院せずに済んでいるとのこと。
この牧師さんの話を読んで、今はうつでしんどい自分にも、やがてまた躁が来ると思いました。この病気の困るのは躁の時の言動ですよねぇ。
昨日、普通の人と普通に話したいですと書きました。それは実はずっと思っていることみたいです。渋谷のリワークが大変だったけど楽しかったのはメンバーさんが、うつにはなっちゃったけれど普通に働いてきた人、それも学校の先生とか看護師さん、プログラマー、会社の営業マンなど、精神障害の世界にはあまりいない、なかなか出会えない人たちだったからだったのを思い出しました。そこのクリニックはおかしいよと言われても、やっとこういう場に出られたのが嬉しくて頑張っちゃいましたね。
普通の人と普通に話したいという願望は意外に要注意なのかもしれません。
ちなみにその本で向谷地さんは、自助グループ参加を勧めています。またクリニックではなく、家族調整や地域での生活支援まで目が行き届くような医療機関がおすすめとのことで、これはお世話になっている施設長さんと同じ意見。でもホントそんな医療機関はなかなか見つからないです。
慣れてきたのか、6時間働いても疲れてぐったりではなくなっています。ただ、疲れを感じるか否かにも波があって疲れやすい時とそうでない時があるようです。
訪問看護師さんに「自助グループに出てみたら?」と言われていたので、帰りのバスでちょっと検索してみました。出てきたのを見て、自分は自助グループが苦手なのを思い出しました。
当時柏にある実家で、母が千葉の自助グループを何かで聞いて、行ってみたら?と言うのではるばる出かけました。すると自分以外の参加者は全員自殺未遂経験者で、ひどかった話をいろいろと聞かされました。それ以来自分も死にたいと感じるようになり、どんどんおかしくなってきました。
今回検索でヒットしたのは、50代以上の双極性障害のグループで、家族が破綻したとか、機能不全家族、毒親と言われる、自分の子供に世話してもらわざるを得ず、その子がヤングケアラーと呼ばれてサポートを受けるようになっているとか、聞いたら確実に体調が悪くなりそうな気がします。
自分は普通の人と普通に話したいです。でもエネルギーがなくて健常者の世界から滑り落ちていくような気がします。
残念ながら、仕事以外はうちで引きこもっているのがちょうど良いようです。
職場について時々書いていますが、きょう自宅で過ごしていてふと気がついた事があります。
何度か書いているように、送り込みと呼ばれる本社の無理な仕入れのせいで、品出しできない在庫がたくさんあります。その中にチョコレートが結構あるのです。チョコレートといえば販売ピークはバレンタインまでの2月前半で、ここで在庫の目処を立てないとあとは苦しくなるばかりでしょう。品出しできない洋酒入りのチョコレートなどは、おそらく倉庫にあるまま陽の目を見ずに賞味期限切れまで在庫として品出しの邪魔になり、やがて廃棄されるのでしょう。
昨日一昨日と一生懸命に品出しをがんばった背景には、ピークを過ぎて在庫となった商品が利益額と在庫額に影響して売り場が苦しむと言う、会社員時代に散々見た悪夢が思い浮かぶからだと思います。ついスイッチが入ってしまうと思います。
でも、これを当時と同じような意識で「なんとかしなくちゃいけない」と思ったら、体調を崩してしまうかもしれません。自分はあの在庫の責任者ではないのです。
そうは言っても実際にあの在庫の山を見ると心が痛みますが、一番は体調が維持できること。
きょうは意欲が湧かなかったですが、夕方里いもを煮たりべてるの家の本を少し読んだりしました。
きょうは天候のせいかクリニックが空いていて、混んでいる時より40分も早く呼ばれて早く帰って来られました。都心の電車も極端に空いていて、椅子が空いていました。
訪問看護が、報告書を書いたとか電話したとか言っていましたが、主治医は何にも聞いていないそうです。ちょっとじゃああの人達は何しにきているんでしょう。
処方は変わりませんでした。
仕事は30分だけ遅い始業にしてもらいました。先週の木曜からヘトヘト感がなくて、特に後半の食品の品出しが忙しくて頑張っちゃいます。別にそこまで会社に尽くさなくて良いと思うのですが、品出しが追いつかなくてついついやっちゃいます。残業はしないようにしています。
破綻しちゃった。
そう思いつつも仕事場で作業が忙しくて、その時間中は必死になってやっていました。
帰宅すると食事してすぐに寝る支度をしなければならないので、あまりその事は考えられず。
火曜日は訪問看護の日です。訪問看護師さんはこのところ同じ人が来ていて、感情の受け止めの上手いかたです。絶望感でいっぱいなのですが、いらいらしていないし、看護師さんの顔を見る事もできたようで、外部の目から見るとこの数週間で一番体調が良いと感じるそうです。きょうは看護師さんもご実家の片づけに業者を呼んで全部やってもらったんです、などという話もしてくれて和やかでした。
午後は絶望感が深くなるのを避けるため、都営住宅の募集冊子をもらいに区役所へ行ってきました。とにかく募集が多摩地域も含めて数百戸と少なくて、切手代を払って宝くじに応募するようなものだと感じました。応募する価値あるかな。
おかげさまで寝心地は改善しました。
双極性障害I型は治りません。もう何年も双極性障害の薬を飲んでいるのに、躁転してこんな状態になってしまうのだから薬も効かないのでしょう。統合失調症と同じくらい大変な病気になっていたんだ。病識が足りませんでした。
買い物してしまうのは、自分の意思というより病気のせいだったんだと、やっとふに落ちました。家族がいれば止めてくれたでしょうか。でもテンションが上がっているから言うことを聞かない状態かもしれません。いずれにしろ社会生活営むのは困難じゃないか。
職場では、はじめのうち、「もう破滅だ」という思いが強く、ひどく落ち込んだまま仕事をしていました。
ところが特に後半、作業が忙しくてそちらに集中せざるを得なくなり、考えごとする余裕がありませんでした。少なくとも仕事をしている間は破滅しません。職場も1ヶ月にワンケースも売れない即席麺が5ケースもあったりして、倉庫が我が家みたいにぐちゃぐちゃになっています。だから仕事場でもがっかりする事も多いですが、きょうはそれどころではありません。
帰ってきて自宅の惨状を見てまた落ちましたが、きょう仕事がなかったらほんとうに一日中辛かったでしょう。
このブログは、そういうつもりではなかったのですが、体調を振り返って主治医に報告する内容をまとめる参考になります。でも、読んでいるとうつの暗闇に引き込まれそうになります。皆さん大丈夫ですか?読んでくださって、ほんとうにありがとうございます。
きょうは1日ゆっくり寝ていられました。ただ午後は特にいろいろと考えごとをしてしまいました。部屋をぐるっと見渡して、叔母のいうように物が多いと感じました。まず数が多いし、必要性を答えるのが難しいものもあるし、1年かけて少しずつ片付けたせいで空いた収納具の数もよく見るとすごい。
学校の費用もそうですが、これは双極性障害のI型だろうなあという感じの散財の仕方だと思います。躁の山が小さいII型だとずっと思っていたし、以前の主治医もそう言っていたから安心していたのですが、結果としてこの有り様です。
悲しいです。
どこを着地点にすれば良いでしょう。
フィッシング詐欺のメールが迷惑メールフォルダに90通も来ていました。
一部は迷惑メールに判定されずに流れてくる事もあります。そういうメールは実に巧妙に個人情報を狙ってくるので恐ろしいです。
Web化が進みスマホでお金を扱わざるを得ない時代が来そうなので、怖いからいやだとWeb社会から逃げてもいられないのかなと思います。
今年は税務署からわざわざ個人宛て郵便が送られてきて「税務署に申告に来ないで自宅でスマホでやってください」とのこと。給料明細もカードの明細もWeb化が進み、きょう読んだ記事によると処方箋もいずれ電子化されるとのこと。そういうことについて行けないと薬剤師さんでも仕事が無くなるかもしれないとのことでびっくりです。
そう言えば渋谷のクリニックはコロナ前からオンライン診察をしていましたが、ああいうのが普通に行われる時代になるのかもしれません。
この記事はきょう書いたものではなく、何日か前から少しずつ書いていたものです。
過去のある時点で決めた事が、裏目に出て現在の困った状況がある。あそこで違った選択をしていれば…
現状がうまくいっていない人がよく考える事でしょうね。
済んだことを考えていても仕方ないから、これからどうするか考えよう。と冷静な他人は言いますよね。自分もそういうと思います。
でもそれが自分の事については全然冷静になれないんです。きょうは働きながらずっとそんな過去の事を考えて嘆いていました。
昨日、自分の浪費と向き合う時間があったから、「その前のあの時点で上手く就職していれば」という気持ちが強くなったのでしょう。でも昨日叔母が示してくれたように、現在の状況を受け入れて対処するしかない。つらいですが仕方ない。ありがたかったです。
昨日はそういう意味で結構なストレスだったと思いますが頓服飲むくらいで済んでよかったです。きょうも副作用などは出ていません。
以前書いた通り、叔母が来てくれて片付けを手伝ってくれました。自分のイメージ通り、家具が一台いらなくなるかなぁというところまで行った上、今はなき実家から、引き継いだままだった布団類にも目処をつけられたので良かったです。
値札がついたまま使っていない衣類や布類がいくつもあり、躁の時ひどく散財した現実と向き合わざるを得ませんでした。
ちょっと失敗したのは、痛みもあったウレタンの敷きマットを思い切って捨てたこと。あのウレタンマットは身体を支えるだけでなく、断熱効果もあったようです。そういえばそとに干してもわた敷き布団みたいに冷たくならなかった。わたのマットに敷き変えて寝心地が悪くなるのは覚悟していましたが、体から熱が奪われて寒くて仕方ないのです。
叔母がとにかくてきぱきと動くので、元気な人はこのくらい動けるんだなあ、自分とは全然違うなあと改めて思いました。
叔母が帰ってから数時間は夢を見たかのようにボーッとしてしまいました。本当は寄贈したりフリマで売ったりできたらいいような衣類や布類があったのですが、送るのに費用かかるし、どこにいつ送るのが適切か調べるのも難しかったです。
ストレスはかかり頓服も飲みましたが、それよりも片付けてスッキリした感じの方が強いかもしれません。
きょうは午前中予想外に疲れが出なかったのです。昨日は一日中くたくたで、ようよう寝たのに。因果関係がよくわかりません。自分の身体はいったいどうなっているんでしょう?
大丈夫そうだったので、1時間遅く行く予定だった仕事を、30分だけに繰り上げて行きました。木曜日は受診に合わせて早上がりなので、普段の仕事の日と比べてだいぶ楽でした。
こういう日は、油断していると急に不穏になって強い不安感とアカシジアが出る時があるので気をつけないといけないのですが、これも何がきっかけになって出てくるかわからないです。
いつもより楽だけど、結局のところ仕事も30分遅く行ったわけで、体調良いわけではないですね。
前にも一度書いたと思う芸術家の知人から、最近頻繁にメールが来ます。うつで調子が悪いというメールです。昨日来たメールは「うつがひどくて起きられず夜9時になってしまった」というもの。こういうのを読むと「無理しないで休みましょう」と言いたくなります。きっとこのブログを読んでくださっている方は日々そう感じておられるでしょう。もどかしく感じておられるのが実感としてよく分かりました。
でもその知人は3月に奈良で個展があるのです。関西に住む高齢のお母さんに見てもらえる、最後の個展だろうと思って頑張っているのです。自分には簡単に「休みましょう」とは言えません。何も言えなくなります。
他人の相談に乗っているほど調子が良いのかと言われると、いいえと言わざるを得ません。昨日休んだのに朝からくたくたで、ようよう職場に行きました。働いているとやや疲れが麻痺して頑張れちゃうのですが、とても明日同じようには働けないと感じて、先週と同様1時間出勤を遅らせてもらうことにしました。食欲もやや落ちて来ています。
きょうは感情の受け止めがうまい看護師さんが訪問に来ました。しかしきょうはうまくいかなかったです。いらいらの原因、調子が悪いのに職場に話さない原因が「お金」だと分かると、看護師さんは「生活保護があるから大丈夫」と言うような事を言ってしまいました。それできょうは我慢できず半分ブチ切れてしまいました。多分最悪の印象だったでしょう。「訪問看護、もう1日増やしますか?」とまで言われました。
先日薬剤師さんに「良さそうな病院聞いてみれば」と言われていたので聞くと、ネットで検索して出てきた結果を見せるだけ。
主治医に報告書が行っているかもはっきりしなかったので、聞くと「送っています」とのこと。訪問看護の指示を出したのは入院先の病院で、今はそこへは通っていないという事を念押ししたので、今度は送ると思います。でもきょうの最悪の印象をを受けてどう書かれるのか怖くもあります。
結局、扱いづらい重い精神障害者像にどんどんなっていく気がします。
精神疾患の分野ではよく、医療ではなく囲療、看護ではなく監護、福祉ではなく(ちょっとこのキーボードでは書けませんが、服従の意味の福祉)と言われます。囲われて監視されて服従させられるのが精神障害者で、素直にそのラインに乗れれば模範的でお互いに穏やかだと思います。自分はそれには乗れません。だから今頃になって発達障害だとか言われちゃうのだと思います。自分ではなるべく普通に過ごしたいと思いますが、何故か裏目に出ますね。
悲しいです。
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