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2016/10/02

きょうのぐるぐる話題

電車の中づり広告でダルニー奨学金の案内を見ました。以前だったら好意的に見られた広告だったと思います。が、今回はそう思えませんでした。国内でも学校に通うどころか食事も満足に取れない子供たちが結構いることを知ってしまったからです。こういう子たちを差し置いて海外援助しなければならない理由を考えてしまいました。

自分の結論として、寄付が助け合いの精神でなく自己満足のためなんだろうなと思います。赤い羽根共同募金に寄付しても具体的にどこの誰にどう使われたのかがはっきりしにくく、しかも寄付した自分ではなく共同募金会が感謝されてしまうことに我慢ができない人が増えていると思います。

報われる寄付や税金の払い方をしたい。この欲求に応える仕組みの一つがふるさと納税ではないかと思います。返礼品が来るので達成感が得やすいです。地元で払ったって感謝もされません。

ある組織が運営している病院に行ったら、待ち時間が長いとクレームを言っている人がいました。その文句の付け方が「私はこの法人に寄付をしているのになんでこんなに待たせるのか」だって。見返りを求めるお金を寄付というんだろうか。

少し前のNHKの番組でびっくりする話が紹介されていました。アメリカでは多くの税金を払っているのに見返りが少ないと反発した富裕層の市民が独立した市を作ってしまったのだそうです。この市では警察へ通報してから警官が到着するまでの時間が圧倒的に早いのだそうです。払った税金に見合うサービスが得られるよう自治体をデザインしてしまったのです。配分業務をする役人は不要と考え、市役所の正職員は一ケタ。必要な人材はすべて時給で必要に応じて雇っていて、なんと裁判所の裁判長まで時給制なんだそうです。

富裕層が多く住むため税収も多く、そこが独立したために残ったエリアにお金が回らなくなってしまいました。図書館の開館時間は短縮され、医療の自己負担は引き上げられました。

このアメリカの話題は貧富の格差についての話題として取り上げられていたのですが、自分は全然違うと感じました。自己実現欲求の強すぎさ、そして配分の役割を担う組織への不信感です。

生活保護や障害年金などの公的扶助をベーシックインカムという仕組みにしようという議論があります。社会活動などをしている人は「生きるのに必要なお金は条件付けなしに支給されるべきだ」という主張だと思います。

でもベンチャー企業などを立ち上げるような実力のある人たちはベーシックインカムには賛成する人が多いものの発想は全然違うのです。配分の審査や手続きに費やされる時間や人件費を問題にしています。そんなことをやめて一律に配れば膨大な数の公務員がいらなくなり、浮いたお金でもっと手厚い公的支援ができると考えているのです。

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