壮絶な日記
昨日も少し部屋の整理をして、過去の日記を少し読みました。ちょうど病気を発症した年の様子が書いてありましたが、よくやっていたなとびっくりしました。
時効なので書きますが、仕事の面では会社の決算状況が悪いため、通常業務の他に100万円単位の在庫をグループの卸会社へ政策返品して、値段を付け替えて再納品してもらうなんていう作業をしていました。数百万の在庫と言えば段ボールで20箱くらいになります。いつ再納品になるかの保障がないため、それでも支障のないものをおくることになりますが、具体的にどれを使えと言う指示がないので自分で判断しなければなりませんでした。売り上げを落とさないように、かついつ再納品されてもなんとか売り切れるものとなるととても難しかったです。どこの店でもそういうことをしていたので、中には困って架空伝票をつけて空箱で返品した人もいましたが、ばれて大変なことになったりしていたので、恐怖におののきながら荷造りをしていました。
その上人件費の削減のため、やったことのない肌着の売り場の担当も兼務になりました。売り場の担当になると、作業の重みだけでなく営業目標の数字ものしかかりますのでへろへろ。さらに労働組合で中央執行委員のブロック議長だったので週3回くらいは休みを組合の集まりの為に費やし、うち月1回は大阪へ日帰り出張でした。
そして家では両親が不穏な状態でまったく休むことが出来ませんでした。先々の心配もあって休んだ気はせず、なるべく食事も外でとっていました。
全部真面目に引き受けていたのですから、病気になっても仕方なかったなと思いました。
以前だとこの日記を読んだだけで調子を悪くしていましたが、幸い15年も前のことなのとだいぶ病状がよくなったせいで、今はこれを読んでも平気です。しかしよくやっていたものです。毎日ではないものの日記を書き続けていたのは、自分の抱えている大変さを理解してくれる人が誰もおらず自己解決するしかなかったので、とにかく日記に吐き出すしかなかったからでした。
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