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2010年12月

2010/12/31

きょうの「○マル」

おととい友人宅へ呼んでもらい、ひさびさの友人との忘年会。酒は控えめにしたが、そこでも感覚がプラスに裏返る感があり、今まで続いている。

大丈夫。なんとかなる。

ヒッポの交換留学プログラムで海外あちらこちらに渡った高校生に昨年よく手紙を書いた。そこには「行っただけですごいよ。あとは「おまけ」だから精一杯やってごらん」と書いて励ますことが多かった。あとでいろいろな人に「イヤロン(留学)だけでなく、人生そのものがおまけ」と言われ、そう考えれば良いのかと思った。

忘年会に集った人たちも「生きているだけで『まるもうけ』主義」。

「べき」論に生きず、マイペースでいけば良し。そういう風に過ごすことができれば「○マル」。

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2010/12/30

きょうも「ポレポレ」

きょうもきつい波がこなくてほっとする。

明日で今年も終わるが、結果としてテンションの高い日とエネルギー不足で寝たきりの日というサイクルがなくなっ(なくした)今年は進歩したと考えて良いのだろう。心のゴミのせいでからだが動けなくなるというのもなくなってきた。

ゆっくりあせらず「ポレポレ」で一歩ずつ。

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2010/12/29

きょうの「ためこまない」

はっきりとは分からないが「気持ちをためこむ」のは調子を崩す原因になり得るし、もっというと発病のひとつの原因でもあるのかもしれない。だから前から自分はよく「書く」のだと思う。

しかし「メモしすぎ」は「情報」の「とり過ぎ」。あれもこれも「がんばる」裏返しみたいなもの。しなくていい「メモ」がこのところまた増えてきた。「流す」「そぎ落とす」があらためて必要。

ためこまずメディテーションやヒッポのメタカツ(音のまねっこ)で声を大きく出して、心のゴミ掃除。

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2010/12/28

きょうの「先月よりは」

診察の日。良くわからなかったが、今日はなんとなく「先月末よりは少し良いか?」という気がする。「エネルギー配分が以前よりよくなって、浮き沈みの大きさがぐんと小さくなったのが昨年と大きく違いますよ」といわれる。とはいうものの「なんちゃんはすぐがんばってしまうので、今はとにかく『ラク』な過ごし方をしましょう。来月半ば位から新しい展開も考えられますよ」とのこと。

もっと「ラク」を目指す。

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2010/12/27

きょうの「わからない」

調子が良いのか悪いのか、良くわからない。

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2010/12/26

きょうの「拍子木の音」

先週ほどでなく済んだのは、先週が気温の変わり目でからだに負荷が掛かったからではないか、と言う気がする。気候の変化が体調に顕著に影響する。

鳩ヶ谷では今でも歳末に「火の用心」という声とともに拍子木の音がする。それを聞きながら、やっとふたたび「薄紙一枚」積み重ねる。

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2010/12/25

きょうの「ひと息」

週末や祝日に大きな病院へでかけ、ひっそりした外来のベンチに座って休みながら過ごす日がこのところ多い。うなりが出てくるときや、壁の手すりにつかまりながら顔をしかめてつらい波を10分くらいがまんしているときもある。30分くらい伏せていることもある。別に誰がかまってくれるわけでもないが、刺激が少ないのと静かなのがラクで2〜3時間過ごして休んでくる。今日もそうだった。

最初は大丈夫な感じだったが、1時間くらいして落ち着いたかと思う頃に試しに瞑想(メディテーション)を小さな声でやっていたら、やはりぐちゃぐちゃ出てくる。顔をしかめながらこういうのを処理する。こういう心の掃除がずっと必要なのかもしれない。昨日は何もしなくてもきついのが波のようにおそってきたが、今日はそこまではひどくなく「ひと息」つく。

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2010/12/24

きょうの「伝わる」

少しずつ「きつさ」がまた強まってくる。外出してもたびたび顔をしかめている。そのようすを、今日初めて主任看護師さんが目撃した。ことばでなかなか伝わらなかった部分がようやく伝わる。

自分に起きている症状は、目撃して初めて理解できることも多いようだ。それでも同じ体験をしているわけではないから推察するしかないのだが。内側からの体験をもっているということは、どんなことでも財産になり得る。なぜなら同じ状態の人に心から共感できるようになるから。

しんどいことはそのためにあるのかもしれない。

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2010/12/23

きょうも「ありがとう」

きょうも「そろりそろり」。日中きつさが少しやってくる。それをねじふせて、「おかめ市」には行けなかったが、知人がチラシを送ってくれていたゴスペルのコンサートへ行ってみる。

「楽しくない」と言っていると楽しくなくなる。「しあわせでない」と言っているとしあわせでなくなる。どういうものか詳しくは知らずに行ったのだが、途中キリスト教会の牧師のメッセージがあり、それを聞いて思い出す。「楽しい」「しあわせ」そう自分で口にしていれば、だんだん「楽しい」ことや「しあわせ」が引き寄せられてくる。そういうものらしい。ゴスペルとは「私は幸せです」と言う気持ちを歌にしたようなものだった。それをずーっと聞いていると、なんだか満たされているような気持ちになってきた。

「ありがとう」

今あるしあわせを見落とさずに感謝。

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2010/12/22

きょうの「おそるおそる」

朝はあえてゆっくりにしたが、朝の家事を一通りやるとまたきつさがでてきて「くーっ」と何度もつぶやきながら一日過ごす。それでも先週よりはずっとまし。だんだん下降線を描かないよう「そろりそろり」とすすむ。

先月から水曜日はヒッポに行くことが多く(やっとでかけられるようになってきたということもある)、その時に気持ちが持ち上がって感覚が裏返る(過敏が少し収まる)ことが続いている。今日もそうだった。

気持ちが持ち上がるのは、場に集まる人の気持ちがプラス思考で活動に集中しているからだと思う。デイケアでつらくなるのは、利用者の気持ちが同じ方向になるプログラムでなく、エンドレスのグチや自分のことを棚に上げ人のことを笑うような人が出てくる時である。むしろ卓球のような活動的プログラムだとラク。毎日そうだといいのだが、それでは全員参加できないので難しい。

いつまたつらい山がくるのか(概して週末)「おそるおそる」だが、今さら明日の心配をしても仕方ない。「思い煩うな」「今日の労苦は一日で足れり」

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2010/12/21

きょうの「そろりそろり」

今日も、終わってみると先週の「岩のぼり」のような体調が吹き返しのようにやってくることはなかった。

あんなのはもうイヤ。それでもやはり体調は誰でも波打つものなので、またきついのはくるかもしれない。仕方ない。

とりあえず「そろりそろり」と進む。

あさっての鳩ヶ谷市街はおかめ市。きょうの体調が持てば少しの間写真くらい撮りにいけるかも。

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2010/12/20

きょうの「峠越え」

今日は先週の「岩」を登るような体調を乗り越えた感が続き、そのレベルも過敏が少し落ちた気がする。

こういうのが平均的に来るのではなく「波」があるのがやっかいだが、誰でも調子の波はあるだろうから、それがなくなるよう心から祈ってもきっとだめだろう。

ぎりぎりまでやって「もうやってられるか」という段階になって、やっと「思い煩い」や過剰な感じやすさがふり落ちる。波の大きさがもう少しなだらかになれば良いのだが、やっかいなものだ。

「あるがまま」を「うけいれる」のはとても難しい。しかしその先にある「みらい」を目指す。

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2010/12/19

きょうの「前線通過」

午後になって、まるで前線が通過したようにラクになった。山を越えて少し這い上がったような気がする。

受け入れられなかったことが受け入れられるようになる。そうやって一歩一歩。

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2010/12/18

きょうの「もくもく」

よろよろと「岩」にとりついて登っているが、疲労困憊している状態。口を開くとグチが出るので「もくもく」といく。

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2010/12/17

きょうの「さびしさ」

メディテーションをしてみると、「きつさ」の上にさらに「さびしさ」がつのっているのが分かる。

晩夏のころ「生い立ちを否定せず受け入れる」ということをやっていた。そのことは一度は受け入れても、何度も疑問となって押し寄せる。

歳末が楽しくないのは人とともにいないからだと思う。そういうことをずっと言い続けてきた母という人は孤独だったのだろうと思う。でもそれは母の気質が人を遠ざけたということもあるのだ。

「すぽん」とは受け入れられない。それがさらに「きつさ」を増す結果となる。

こんなことを考えるのは、寒さが本格化してエネルギーを消耗しているからだと思う。

「考えない、考えない」「ふりすてて」「その先」。「受け入れなければ自由になれない」。

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2010/12/16

きょうの「岩」

目の前に「壁」ならぬ「岩」が出現して、登れと言われているような体調。

「なんちゃんなら乗り越えるだろう」と、あえて一時的な薬ではなく、時間をかけて持ち上がるのを待つのが主治医の方針。「大丈夫、遅くとも2週間もすれば必ず持ち上がるから」とのこと。

どちらにしろ「岩」の高さは変わらない。

しのいで、これもまた「力」にしていくしかない。

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2010/12/15

きょうの「笑顔」

ヒッポに行くと、子どもたちと共に過ごす中で自然に「笑顔」になっている。これが「感覚が普通に近づく」一つの要因ではないか、とふと思った。未来を向いて少なくともその場ではみんな前向きなところも笑顔にさせてくれる要因だと思う。このところきついせいか、デイケアへ行ってもなかなか本気で「笑顔」にはなれないのだ。デイケアでは「未来」が見えず割り切れていない人もいるので、そういうところからエネルギーを吸い取られてしまうようなところがある。そういうことにも慣れて「振りおとして」、自分がエネルギーをふりまければ良いのだが。

「振りおとして」「そぎ落として」「笑顔」になーれ。

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2010/12/14

きょうも「一枚」

どんなにきつくても、薄紙「一枚」は積んでおく。きっといつかこの「一枚」が効いてくる。

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2010/12/13

きょうの「つらい」

きょうは天気のせいなのか何なのか、きつさを通り抜けて「つらい」一日。雨で寒いということに、からだがエネルギーを使って対応しようとしているのかもしれない。

心臓移植を受けるために渡米した寺町さやちゃんのことを以前紹介したが、帰国が決まったそうだ。「こんなつらい目に遭うのが自分で良かった。他の人では耐えられないかもしれないから」という趣旨のことを話していたのが強く印象に残っている。帰国できることになってほんとうに良かった。

「つらさ」の先に「みらい」あり。

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2010/12/12

きょうの「もっともっと」

週末は「つらい山」がやってきて、それを乗り越えることで「振りすてて」「そぎ落とし」情報のとり過ぎを修正している感じがする。今日はそれほど「つらい山」ではなかったが、「ざぶん」と場に出ていったこともあるのか、また一歩「振りすてて」「そぎ落とす」ことができたような気がする。そうやって一ヶ月くらいのスパンで見れば結構良くなっている。それも春先よりも充実した感になっている気がする。

英会話で通っている教会のクリスマスコンサートへ顔を出してきた。途中英語の説教みたいなものもあって疲れも出たが、少しだけくつろいだ気分になった。先日橋本歩さんのライブに行って以来だ。いかに毎日張りつめた生活をしていることか。

「もっともっと」「そぎ落とせー」「振りおとせー」「ラクになれー」

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2010/12/11

きょうの「ざぶん」

強気と弱気が交錯する。が、ヒッポへいくと裏返った感覚がもとに戻るように感じるのは、きっと場に「ざぶん」と飛び込んで、あとは場の流れにまかせて気持ちを集中させるからだと思う。そういうときは「思い煩い」を一切捨てているし、思い煩っている余地もない。

煮物を作るために1時間くらい材料と向き合っていると、その間は何も考えていないのと一緒だろう。それが「作業療法的意味合い」もあると言われているから、ほどほどに「ざぶん」と飛び込むのはきっといいことだし、そこから「みらい」が拓けることもある。

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2010/12/10

きょうの「風まかせ」

日増しに「普通」になってきた、とはいえまだなんだか「全く普通」ではない。この感覚が裏返ったようなようすはなんなんだろうか、と思う。いちいち「慣れ直し」である。ヒッポに行ってみんなで歌ったり踊ったりすると、その感覚が一時的に表に返るような、不思議な感覚の毎日が続く。

「ぐいっ」と踏み出す具体策について、主治医は前向きである。

なにごともやったことのないことはどうなるかわからない。思い煩わず先のことは「風まかせ」。

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2010/12/09

きょうの「そのうちきっと」

余力のある時にやっておいたことが、後になって役に立つこともある。今はなかなか余力のないことが多いが、それでもやれる時にやっておけば、いつか思いがけない時に役に立つこともあるものだと思う。

手を抜かず、後を見ず、前を向いて毎日一歩一歩。じーっと待っていれば「そのうちきっと」。

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2010/12/08

きょうの「日増しに」

症状の度合いが伝わるためには、デイケアを利用して密に診察を受けていてもタイムラグがあるものらしい。様子を観察してもらうだけでは症状が伝わらず、言葉で伝える度合いが多いからだが、それが適切に伝わるまでには時間がかかるものなのだ。きっと。

昨日の診察後「夏から最近までは超人的な大変さだったと、結果的に分かってきました」と主任看護師さんからいわれる。めがねもかけられない、家にいられない状態は確かに「超人的」大変さだったといえるのだろう。今さら言われても、と言う気もするが・・・。そのように言われることが「嵐が過ぎ去った」証拠みたいなものかもしれない。まだ吹き返しの風がきついが、感覚が日増しに「普通」になってきたのは間違いない。その分だけラクになってきた。「超人的」大変さでは、何もできないわけだ。

もっと「ラク」になっていいのだ〜。その分だけ「ぐいっ」と踏み出せることは間違いない。

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2010/12/07

きょうも「ぐいっ」

昨日「ぐいっ」と行けるのではないかと思った、その具体的な話を診察で話してみた。すると、条件つきだがあっさり許可が出た。「ぐいっ」といこう!

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2010/12/06

きょうの「ぐいっ」

週末にしんどいのが来た後は、ひと山越してまたできることが増える傾向がある。しんどい時に「できるか〜」と荷物(情報やらこだわりやら)をぶちまけ、ふりおとして「ぐいっ」と一歩前へ踏み出しているような気がする。この「しんどくなって『できるか〜』とぶちまけて割り切り、よけいな『もの』『こと』をふりおとす」のが自分ならではの回復のプロセスなのかもしれない。

昔のことを振り返ってもなんだか大丈夫だし、部屋の荷物や書類関係を少し捨てることもできた。これは春先以来だ。捨てるためにはふるいにかける必要があって、それは頭を使って複雑な判断をするためかなり疲れること。しかし頭が疲れた後、外へおかずを買いにいったりして気分転換したら、全体的に疲れ果てることなく時間が過ぎている。2ヶ月前は買い物自体が大変だった。

もっと「ぐいっ」といけるのではないかという気がしてきた。

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2010/12/05

きょうの「忍耐」と「辛抱」

瞑想(メディテーション)に1時間かかる。指針や目指すものが見えなくなっている。

「忍耐」と「辛抱」

これがずーっと続いている。さらに今週はまた壁にぶち当たっているのか「次の山」が案の定やってきて、相当きつい。

クリスマスだの忘年会だの「楽しい」こと(そうでない人もいるだろうが)に多くの人の目が向いているだけに、なおさらきつい。楽しそうなことがほとんど見当たらない。調子が良いときのヒッポくらいか。ヒッポで子どもたちと向きあっていると、どうでもいいことが彼方に飛んでいく。

歌ですら日本語で聞くのは厳しい。友人から演劇公演の案内が来たが、意味を取りすぎてつらくなるのは明らかでムリ。

目標をもう少し刻んで、ひと月くらいで達成できるものを設定し直す。

つらいせいで、目指すものがはるかかなたに見える。つらいときの方がはっきりと見える。幻みたいなものか。

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2010/12/04

きょうの「ふー」

あらかた一切合切放り投げたいような気持ちがする。いつまでこんなことをしているのか?と思えてくる。

「こんなこと」の具体的内容が大事だと思う。朝は漠然と「全部放り投げたい」と思うが、結果的にそうはならない。

こういう時に放り投げたものが、実はやらなくていいこと、やらなくていい努力、本筋とは違うよけいな荷物だったりするものだったりする。

そうやって振り落として振り落として、そんなに大変な思いをしなくても日常がこなせるようになれば○だが。ふー。

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2010/12/03

きょうの「じたばたしない」

午前中がどんどん起きられなくなる。きつさも出て「くーっ」とつぶやきはじめた。逆戻りしているのかと錯覚するほど。薬をいじっていることもあるのだろうが、いいのか?と思う。

いいのだ〜。今さらじたばたしたところで、もう何か始まるのは来年だ。

スキーに初めて挑戦した時、あえてリフトには一切乗らず足で這い上がって転びながら切り返しの練習をして一日終えた。しかし、その一日のおかげで2回目は初めからなんとか滑れるようになった。

焦らずじっくりやっていれば「そのうち、きっと」。

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2010/12/02

きょうの「微調整」

薬の微調整が続く。1〜2週間くらいで微妙に処方が変わっていく。が、今日は頓服薬の処方がなくて済む。きついのはきついが、それなりに改善が進んでいる。半年前と較べても食事の内容が良くなって、リズム的にも遜色のない感じになってきた。これが維持できれば、もう少し先が見えると思う。

それにしても、処方箋が同じ中身というのが今年の後半はとても少ない。それだけ症状が遷移しながら、少なめの薬でよくこれだけやっている。昨年の今頃とは全く違う。

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2010/12/01

きょうの「少し普通」

少しラクになると、「次の山が来る」なんていうのが続いていたので、少しおっかなびっくりになっている。しかし2日続けて「これでいい」という感じの日が続いたので、少なくとも今週はなんとかいけるかな、と思う。特にヒッポのファミリーへ出ると感覚が少しずつ「普通」に戻るのは、そんなに気張っているわけではないが「人に向かっていく」ことをして、ちゃんと受けとめられるからだと思う。人に対峙するのが結果的に一番エネルギーを使うことなのだ。「心のゴミ」も、人と接するうちにたまるのだ。

きょうもまた「少し普通」になった。よかった〜。

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