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2010年11月

2010/11/30

きょうの「これでいい」

瞑想(メディテーション)をしてみても、大きな命題がなくいつものように顔をしかめるほど苦しいこともなく、嵐がひとつ過ぎ去ったような感じがする。「くーっ!」とつぶやくこともない。

これでいいのだ。

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2010/11/29

きょうの「勇気と一歩」

毎日瞑想(メディテーション)をして(これはおー、と発声練習をしているのに近い)、心のゴミのメンテナンスや、雑念の先にある「向きあわなければならないこと」をクリアに見つめる、そういう作業をしないとすぐに頭がいっぱいになって何かを見失いそうになる状態だった。しかし今日はなんとなく一歩「普通」に近づいて、そんなに毎日30分も瞑想(メディテーション)をしなくてもなんとかなるのではないか?と思える心持ちになったような気がする。

苦しくても「分かっているから」「慣れているから」といって、その苦しさのくびきからあえて逃れようとしない心理が人にはあることを何回も書いている。あたらいい環境の方が「ラク」かもしれないのに、「勇気」がなくて「一歩」が踏み出せないものなのだ。ずっと以前に父親や前の夫がアル中でさんざん苦労した人が、また結婚相手にアル中を選んでしまうという話を書いたように思う。そういう心理は「実は」やはり自分にもあって、苦労したのに「昔やっていた仕事だったら比較的容易に慣れるのではないか」などと思っていた。そうではなく「インド」も視野に入れつつ、まったく新しいことを始めた方がもっと自分の特性を生かすことにつながり、結果的に「ラクチン」ということは十分ありえると思えるようになった。あとは「勇気」。

その「勇気」も毎日絞り出して、新しい一日を「始める」「こなす」という感じだったが、生活リズムと同じようにリズミカルに同じことを繰り返していることによって、絞り出さなければならないエネルギーの度合いが減ってきた。だから余力が少しずつ出てきたのかなと言う気がする。毎日同じことを積み重ねて、それを「普通」にする。少しずつ練り上がってきたということ。

たかが薄紙でも、愚直に積み上げ続けていると小さなジャンプが生まれることがある。これも書いたかもしれないが、そういう小さなジャンプも数をこなすとやがて大きなジャンプへとつながる。そういう日の来ることを信じて「待つ」「辛抱する」ことも「勇気」の一つ。

毎日必要な「勇気」を少しずつたくさんの人からもらい続ける。そしてまた「明日」をはじめる。その先の「みらい」を見つめる。

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2010/11/28

きょうの「あすを迎えうつ」

犬もそうだし 実は人もそう。こちらが怖いと思ってひいてしまうと、それに反応して食って掛かってくる。ひかないことが大事。そして、たぶん「明日」にたいしてもひかない姿勢が大切だと思う。こわがらずに「ケセラセラ」「なるようになるわ〜」と、へろっと迎え撃つのがきっと「○」。

それを意識的に毎日やらなければならないのが、今の自分の大変さかも。

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2010/11/27

きょうの「次のステップ」

「疲れ」に対するセルフコントロールさえすれば、次のステップへ上がれそうな感じがしてきた。主治医も「仕事ではないからやりたくない時はすぐにやめる」という条件で許可。「仕事ではない」とはいいつつ、お金は支給されないボランティア奉仕というだけで、趣味でやる内容ではない。「疲れ」に対するセルフコントロールの「練習」になる。「練習」しないと「できる」ようにはならない。

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2010/11/26

きょうの「前だけ」

きのう「蹴破った」のはいいが、相当に疲れたようだ。今日は久しぶりにこんな時間、というくらい起床時間が遅くなった上に食欲もイマイチだった。ほんとうは一日休みにするところだが、知人のインド舞踊公演があったので出かける。

場所が町屋のすぐ近く。父の墓のある場所の目と鼻の先なので、この予定が入った11月頭からついでに「墓参り」なんていうことを考えていた。しかし瞑想(メディテーション)をしていると、強烈な「そんなものに行きたくない」という想いがあった。「もういない人のことなんかどうでもいいじゃないか。別に自分さえしっかりしていれば大丈夫」という反発心のようなもの。

結局「後ろは振り向かない」ことにする。自分自身の「前」だけみつめて目指す「みらい」。

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2010/11/25

きょうの「蹴破る」

修行のような日々は、結局また一枚の壁破り。以前のように分厚くはないが、なんだか一枚蹴破って次へ抜けた気がする。

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2010/11/24

きょうの「勇気のみ」

日中に掛けてつらかったが、昨日までよりは余力が出たので夕方外へ出る。特に人の場に出て行くと、我ながら驚くほど歓迎される。あとは自分が「ざるを水で満たす」ためにどぼんと飛び込む、その勇気のみあれば、出て行くほどに自信になってくるようだ。そういう自信も薄紙のひとつ。薄くても確実にある厚みが、いつか「みらい」を切り拓く厚さになる。きっと。

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2010/11/23

きょうの「苦労の先」

「いいかげん、もういいだろう」と思うのに終わらない修行のような毎日。結局ある水準まで達して自分自身で「次が見える実感」を持てない限り、「へろ〜っ」と頑張るしか無いのだろう。昨夜はあまりのつらさに、少し酒を飲んだ。それでも今日はまた「マチルダ」を半ページ読み進めて2章も2ページ終わり。力になっている実感はある。「薄紙一枚」だけどなあ・・・。「辛抱」するしかない。

ある知人が、やはりうつを患ったりさんざん苦労して、職場でもいろいろあって苦労していたのだが、それでもさらにじっーと頑張っていた。今日とうとう「三次試験を突破して、昔臨時で勤めていた仕事に本採用された」とよろこびのメールが来た。臨時で勤めていた当時の上司が花束を持ってお祝いに来てくれたそうだ。よく頑張ったよなぁ。なんだか自分のことのように嬉しかった。

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2010/11/22

きょうの「そんなものか」

「うつ」が日増しにきつくなってきて、今日はいよいよ何もできなくなってきた。とは言っても家事はこなしている。初秋頃まではそれすら辛かった食料品の買い物はなんとなくできる。ただ朝の食欲が落ちているし、今日やりたいことがみつからない。ヒッポのワークショップも今日は行けなかった。分野が変わったと言ってもやはり情報なので、本を読むのもやはりきつい。それどころか、また本のある我が家そのものがきつくなってきてしまった。

こんな状態でも、ある友人からメッセージをもらう。「あなたのパワーに負けていられない、と思うことは多々あります」

そんなものか。

昨日某所の大掃除を手伝った。頭を使わず手を動かす上感謝もされてかなり良かった。実は次のステップとして考えているのは別の某所の清掃奉仕なので、「もうちょっと様子を見て」なんてことをしているよりも始めた方がいいのではないか。そんな気がする。

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2010/11/21

きょうの「一進一退」

毎週日曜日はこのところ固定した過ごし方をしている。だから先週よりも今週が少し良いのが分かると書いた。しかし実際は一進一退(二進一退くらいか?)なのかもしれない。夕方はラクになったが、朝はきつくていつもより出るのが遅くなった。しかも今朝は家事を一切放り出して出かけたのに、である。

朝があまりにきつくなるのは問題がある。もっと早く寝るということになれば、せっかく復活させたヒッポや英会話をまた縮小せざるを得ない。

このように症状は良くなるところと悪くなるところがあって、ずっと変化し続けている。だから診察に時間をかけてもらう必要があるし、処方もよく変わる。もっとラクに安定しないと次を始めるのは難しいかもしれない。

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2010/11/20

きょうの「きつさ」

一時的に増やしていた頓服薬を減らしたせいなのか、日が短くなっているせいなのか、複合的要因か。朝から日中に掛けてきつい。夕方になってくると少しラクになってくる。きもちの面ではそれほどむやみに落ちているわけではないが、症状としての「うつ」がきつく出てきている感じがする。でも2週間前はできなかったことがいろいろとできるようになっているのだから、客観的には持ち上がっているということだろう。2日サイクルというのもあるかもしれない。

今日はよく休む。

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2010/11/19

きょうの「もうひとつの手がかり」

今日はちょっとした用事があり、相当久しぶりに東武野田線にのった。春日部から野田方面へ向かう電車はとてもローカルな感じ。毎日使っていた時代にはそうは感じなかったが、目と鼻の先を地下鉄が通っている街からでかけると人口密度が少なくのどかな感じがした。そしてそののどかさに「ラク」を感じた。日中そちらに出かけるまでは相当きつかったのに、である。前にも書いた「夕方『ラク』になるのは『うつ』の典型症状」というのもあるのかもしれないが、そうではなくこれはひょっとすると人口密度の低い地方に行けば「ラク」になるかもしれない。情報のとり過ぎで電車に乗るのがラクでないこのごろだったが、春日部の先で田んぼが広がるあたりでは外の様子を見たくなったりした。これにはほんとうに驚いた。

別に夕方だけでもラクになるのなら、「うつの典型」でも今のところはかまわない。一日一日が先日まで修行のようにつらかったのだから、そこから考えれば大きな進歩だ。

そして本が読めるようになった。知識としての本ではなく異郷の地で人生を楽しんだ人の体験談。自然条件の過酷な山の中だが、地元に溶け込んで行く中で、本がいらなくなり時間がゆったりとしてきたようだ。過酷な自然環境の地だからこそ、人々の絆が深くみんな優しかったという。

求めているのは「これ」ではないか?と思う。最終的には「本がなくてすむ」生き方を目指す。そのために次へ次へとステップを踏んで行く。プロセスをたどる。

余談:京浜東北線がつらく感じるのは、体調が悪いだけではなくあの新型電車のうるささに原因があると思った。車内アナウンスのボリュームが高すぎて気分が悪くなるほどだし、ドア上のモニターではずっとテレビのような視覚的情報が垂れ流されている。山手線があれになった頃から、もうすでに苦手だった。扇風機こそないものの窓が二段式の昔から走っている電車に乗っているのはほんとうにラクチンだった。

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2010/11/18

きょうの「明日は明日」

2日サイクルでつらくなったり、少しラクになったりしている。ただラクの度合いは少しずつだが上がってきているようだ。めがねを外していても、外出すると視覚がとらえる情報できつくなっていた時期が長かった。しかし昨日から、夜なら電車内の広告などもなんとなく流せるようになってきた。2日サイクルだから明日は疲れが出てくるかもしれないが、明日のことは明日考える。

もっともっと「ラクチン」へ。そうしないと先へすすめない。一歩一歩「みらい」へ向けて。

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2010/11/17

きょうの「もうひとつの面」

おととい荒川大橋の脇の桜の木が見事に紅葉しているのをみつけた。今までなら、それが桜であるとは気がつかなかった。あじさいの株が今でも見分けがつくように、それを見てから街中の桜の木が分かるようになった。

「敏感」ということの「もうひとつの面」。

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2010/11/16

きょうの「ふりおとす」

今日は少しきつかった。このところ日中でも外出時にめがねをかけられるようになったのだが、今日はダメ。また視界にある様々な情報を「バサバサ」ふり落とすことができずに疲れてしまう。さらにデイケアで休憩時間に耳にした人のうわさ話が耳についてしまった。

自分が今「他人と自分を比較しない」ことを徹底しているから、他人のことをあれこれいう人が気になるのかもしれない。そんなことは「知るか」。もっと「バサバサ」「ふりおとす」。

端から見ると「さらに良くなって普通にみえる」そうだ。心とからだがそれについていくことができれば、実際もさらによくなるだろう。

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2010/11/15

きょうの「水にひたす」

最近ある人に「ざるを水で満たすためには、ざるの方からどぼんと飛びこんで水にひたさなければならない」と言われた。特に行きつけていない「場」に出ていくための勇気をふりしぼるための励ましの言葉なのだが、よくかみしめている。

今日もヒッポの午前中のワークショップに出かけて行った。1日に行ったワークショップはかなり大人数だったので、自分が居ようが居まいがある意味目立たないだろうと読んでいたのだが(自分の存在そのものが結構目立ったようだ)、今日は人数が数十人と予想された。気配を消すわけにはいかず、行ってしまえばどっぷり「水にひたす」ことになる。ラッシュ直後のわさわさした地下鉄で都心へ出て行くだけでくたびれて、途中の駅で休み休みしながら「まだ先へいくか?」問答を重ねてとうとう予定より30分遅れで行くことができた。一旦「水にひたして」しまえば案外何とかなる、いや何とかなったのはそれだけ回復してきたから。まだ昨年のようにこちらから声をかけたり顔を売ってきたりすることはできなかったが、おいおいできるようになるだろうと思えた。今日のくらいのワークショップに出て行ければ、休み休みならかなりいろいろなことができると思う。

行ってみて、「言葉」に対する興味がまたむくむくふくらんできた。このところ「昔やっていた仕事をまたやるのもそれなりにおもしろいか」などと考えていたが、やはり「何か新しいことをやった方が可能性が広がるし面白いかも」と思ったりして、ほんの短時間にそうやって触発されることそのものが「ワークショップ」だなあと感じた。下準備はしても結局は「場」になりゆきをまかせる、分からないのを恐れずすすめるのが「ワークショップ」なのだ。行ってよかった。帰宅して休めば結果として今日も楽しかった。

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2010/11/14

きょうの「書いてみる」

「携帯から写真付きの投稿を復活させようか」と思ったのだが、文章をひねり出すとすぐにきつくなってまだムリ。以前は携帯から投稿する方がイージーだったのだが、夏以降さらに考え過ぎの傾向があるのかもしれない。自分のブログなのだからもっと無責任に書いていいようなものだが。

少しだけ書こうと思ったこのエリアの近況。

地下鉄南北線が全線開通して9月に10周年(赤羽岩淵〜駒込間開通から20年)。赤羽岩淵駅で記念のステッカーが貼ってあるのを見た時は「もうそんなにたつのか」と思った。ということは来年3月で埼玉高速が開通して10周年だ。できた頃は赤羽駅へ乗り入れない不便さと運賃の高さのイメージが強かったが、なんだか最近は当たり前になって上手に使いこなしている。

市の掲示板に貼ってあったポスターによれば、川口市との合併へ向けた法定協議会が設置され、来年10月の合併を目標にするとのこと。

川口そごうが10月前後に模様替えをした。復活したユニクロの他にロフトや山野楽器、ABCマートなどが入って、そのフロアだけだいぶ変わった。そのおかげで先日、そごうでは何年ぶりかの買い物をした。以前一度ユニクロが撤退して以来だと思う。そういう地元の人は多いのではないかという気がする。

そごうの変化もそうだが、川口駅周辺の商業施設が充実しエリアの人口が増えたせいで、最近の川口駅は千葉の柏駅のようだと感じる。ペデストリアン(歩行者)デッキでは夕方になるとよく路上ライブをやっていて、それが都内のライブハウスでも演奏しているような人たちであるようだ。以前JRが川口駅を駅ビルに建て替えるという話を聞いたことがある。西川口でさえそうなったのだから、きっとそうなるだろうし、県内のJRの駅では大宮に次いで乗降客が多いとのことだから、さらに活気づくと思う。それがいいかどうかは良くわからない。道路も広げていて、その過程で考えさせられるようなことがいくつか起きてきた。

結局これだけ「書ける」ということは、外出先では情報とり過ぎで頭がいっぱいなのかもしれない。目も耳もフル回転で痛みみたいなものを感じるほどだから、そうなのだと思う。自宅なら「書ける」ということだが、それだけ落ち着いてきたということでもあろう。夏場から初秋にかけては、自宅でさえ過剰に敏感で家にいられない日も多かった。

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2010/11/13

きょうの「修行なんか」

今日もお休みモード。昨日よりだいぶラクになってきた。休めば大丈夫と実感。

同時に瞑想(メディテーション)をしていたら、「初夏から最近までまるで修行のようだった」と思えた。思えたということは、今はそんなには大変でなくなった、ということの裏返しだと思う。きつさはあるが、少しにっこりとできるようになってきたし、「デイケア」でも「ヒッポ」でも「場」に出て行くとちょっぴりユーモアも出るようになってきた。もう修行なんかしないぞ〜、ラクチンにいくのだ。

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2010/11/12

きょうの「まめな手当て」

起床時間がだいぶくり上がったまま安定してきた。だが、その分疲れがたまってきたので、今日はゆっくり休んだ。結果として「ゆっくり」にはなったが「のんびり」という感じではない。調子が悪い時はいろいろなことが頭の中をぐるぐるする傾向があるのだ。

瞑想(メディテーション)をしていると、最初スムーズでもだんだん無意識に気になっていることや考えてしまっていることが出てくる。無意識を引き出す。それは顔をしかめるくらいきついことが多い。声が出なくなることもある。でもそれをやらないとほこりのようにたまり、知らないうちに苦しくなる。何度も書いているが、ほんとうにそうだと思う。メンテナンスはかかせない。一般的にはからだが自動調節していることを意識的にやらなければならないのだ。きつくて「くーっ」つぶやくことも相変わらずある。それでも徐々にラクになってきた。「まめに手当て」し、よく休みながら次を目指す。

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2010/11/11

きょうの「すっきり」

この春くらいから疑問に感じていたあることが、今日すっきりと解決した。疑問を問うて答えがもらえる。そういうコミュニケーションも先週くらいまではなかなか難しかった。自分が何を疑問に感じているのか、人に伝わるように言語化できるほどには頭が回っていなかったから。メールもそういう感じで書きかけのまま少しずつ書き足しているようなのがいくつもある。伝えたいことをクリアに言語化して伝えるのもエネルギーが必要なのだ。

すっきりできてよかった。

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2010/11/10

きょうの「場」

午前中から近隣のヒッポにいく。ここへきて「ヒッポをやっていてほんとうによかった」と思うことが度々。

多言語習得をしているのだが、人の介在しない「言葉」なんてありえないので、自然と「場」に出て行くことになる。同じヒッポをやっている仲間だから、様々いる人の中から考えれば比較的似ているところがあるのだろうと最近思うが、それでも一人ひとり違う。同じ場でも会う人は毎回少しずつ変わるし、エリアが違えばさらに変わってくる。「言葉」を習得するということは「コミュニケーション力」を育てているわけだから、本当にいろいろな話題が出てくる。

以前はそういうことを普通に対処しながら、特に子どもたちと向き合うことで少しずつコミュニケーション力をつけてきたような気がする。

ところが夏以降は自分自身ががらっと変わってしまった。人から見たらそうは見えないだろうが、情報の取りすぎ、意味のとりすぎで頭がフル稼働になりてんぱってしまう。あるヒッポのメンバーで学生時代に言語学をやっていた人がボストンに引っ越した時、人の話す英語の意味を「文法的に正しい」とか「間違っている」とか普通の意味以上の情報をとりこんでしまったため、日常のコミュニケーションなのにはじめのうちは寝込むほど疲れたという。文法的に考えているわけではないがそれと似ている。今日は大人が多くてどっぷりと話す時間だったので、そういう事情の自分は相当疲れた。昼過ぎ帰宅してから、暗くするところまで行かないものの目にタオルをあてて2時間ぐらい横になってしまった。赤羽まで歩いていくよりよほど大変だ。

結局人と人が接すると言うことはものすごくエネルギーが必要なのだと改めて思う。

それでもゆっくり休んでから振り返ると、あの時間はやっぱり楽しかった。

仕事でもなく学校でもなく、これだけいろいろな人といろいろな話ができる「場」というのはあまりないだろう。そういう「場」を持っていることが、自分が先へ進むために大きな力になると思う。さらに今までの蓄積があって、事情をある程度理解しながら、自分の感覚が研ぎ澄まされすぎになっている前と後で連続的に自分を見てくれているので、自分も「あ、ここでは『やりなおし』ではないな」と思える。こういう連続性もありがたい。

とにかくヒッポという「場」にまた出ていけるようになって本当によかった。

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2010/11/09

きょうの「ありがとう」

朝晩と日中の気温差が激しいこのごろ。デイケアに行く途中脱いで持っていたハーフコートを駅で落とした。いつも落とし物や忘れ物をするたびに思うが、この日本という国はスゴイと思う。そんなにおっちょこちょいではないと自分では思っているが、それでもやる忘れ物や落とし物の8割が戻ってきた。財布でさえ戻ってくる。今日もちゃんと届けられていた。しかも乗客の1人が気づいてわざわざ駅に預けてくれたそうだ。

このところ「生きているだけでよし。目に見える形でもそうでなくても、自分を生かしてくれるすべてにありがとう」と思っているが、今日は特別の「ありがとう」。

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2010/11/08

きょうの「求めるもの」

「べてるの家」の山本賀代さんが「べてるの家の当事者研究」で「心のゴミをためずに、こまめにケアする」ことを生きるための対処法のひとつとしてあげていた。これは、感じやすく意味を深く取りすぎるようになった自分にとっても大事な対処法で、そのためのデイケアであり瞑想(メディテーション)になっている。デイケアはそのうち卒業することを前提とすれば、瞑想がとても大事。しかし「優先順位」を気にしなければならないほどになってくると案外時間の確保が難しい。15分くらいやっていると最初の混沌状態から抜け出して「今やるべきこと」や「気にしなくていいこと」などが峻別できるようになるので、30分はかかる。今日はその30分の確保ができなかった。

インドへ行ったとき、ホストのニラージュのお兄さんは毎夕帰宅すると(多分)お経を唱えていた。あれがちょうど30分前後だった。彼はあれで毎日「心のゴミ」を片付けながら「今すべきことは何か」を整理していたと思う。あのようなゆったりとした時間の流れが、自分が今「みらい」に「求めるもの」の一つなのだ。日本の時間の流れの中でこれを確保するのは難しい。でも今からそういうことをしていかないと、そのうちつぶれそうな気がする。

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2010/11/07

きょうの「あたりまえの日常」

このところ毎週日曜日は同じところへ行き同じように歩いて時間を過ごして帰る。そうやっていると週毎に良くなっているのが分かる。時間がくり上がり、できることが増え、情報をとりすぎて頭がフワーっとすることも少なくなった。毎週火曜と木曜のデイケアでも時間がくり上がり、プログラムに参加できるようになり、他のメンバーさんと会話をしても比較的平気になってきたのと似ている。

毎日変化し新しいことにチャレンジし続けるのが「あたりまえの日常」になりつつある。これはすごいことで、昔会社に勤めている頃は、こんなに毎日はチャレンジし続けることなく過ごしていた。チャレンジはしていたが、もっと緩慢だったと思う。会社の変化も緩慢だったし、親元から通っていたので自分で工夫する必要があまりなかったからではないか。そうせざるを得ない環境になれば否応無くやるし、できるようになるということだろう。

つい先日まで「『あたりまえの日常』をあたらしく練り上げる」などと言っていたが、それが少しずつ形になる。そこから次のステップが始まる。

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2010/11/06

きょうの「復活させる」

かなり整ってきたので、スケジュールをたてる作業を復活させた。今のところ時間のリズムをキープすることが目標なので、中身は問わない。デイケアとヒッポの他いくつか、仮に行けなくても特に問題ない「場」を組み入れて一日を組み立てる。今度の診察以降は多分、行けないと少し「問題あり」の「場」も組み入れることになると思う。「優先順位」をはっきりさせ、「その先」を目指す。

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2010/11/05

きょうの「実感」

かかりつけの歯科医院へ行く。昔の職場のテナントさんで、もう15年くらい行っている。先生が開口一番「表情と顔色がずっと良くなった」とのこと。最近の会社事情を教えてくれる。先週までなら、そういう情報はかなり頭に響いたと思うが、今日は平気。

歯石除去のため近年は毎年行っているが、ついでに売り場を見ると年々雑然としてきてどんどん悪くなる。品揃えも劣化したし、陳列レイアウトや商品の補充、商品整理など、すべての点でレベルが落ちている。これは同じ看板の他の店でも多かれ少なかれ似たようなもので、経費削減のためマンパワーをどんどん減らしているのと教育が行き届いていないせいだと思う。会社の規模が大きくなっても、売り上げや利益を構成しているのは一点一点の品物であり、一人一人のお客様なのであって、リーダーはミクロとマクロの両面から組織を見つめないとならないのだがマクロばかり見ているような気がする。それは自分の独りよがりではなく、テナントのオーナーでもある歯科の先生も同じ意見だった。テナントに対する態度もぞんざいになっているのだ。昔、自分や同僚が精魂込めて作り上げてきた売り場がどんどん乱雑になるのを見るのはとてもさびしい。

だんだんお店を昔の仕事目線で細かく見るようになってきた。ただ昔と違うのは「人に対して心を込めているか」という視点もはいっていること。それは春先から始めた挨拶トレーニングで、人の顔を見ながら挨拶するようにしているのがだんだん身に付いてきたのも一因。それに慣れてくるとスーパーよりも個人商店で買う方が楽しいしすっきりする。大切にされている気がする。

そんなことまで考えはじめて、調子はほんとうに上向き。昨日のデイケアでも「これはどんどん良くなると思いますよ」と言われた。夏に一度落ちた分だけ力強く上向いている「実感」がある。ヒッポのファミリーに行っても、先週よりさらに子どもたちと遊べているし、前へ一歩出ようという意欲も強くなっている。この「実感」は周囲で見てくれている人からのフィードバックもあって確かだと思う。

ただし、あくまでも「ゆっくり」「ポレポレ」で。プロセスという階段を踏み外さないように。

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2010/11/04

きょうの「うけながす」

昨日「マネジメントに興味がある」と書いたが、人のマネジメントをする以前に自分の体調や心の動きのマネジメントをする必要がある。

とはいうものの、就労支援施設でもそうだったが自分の調子が上がってくると、デイケアでも相談事をされる。「職員に相談しなよ」と言う内容が多い。春先は自分の余裕がなくてそれを受け流すことが出来なかった。やっとエネルギーがたまって生活リズムが整ってきたばかりの自分だが、春先よりは余裕があってさらっと受け流すことが出来るようになった。これはとても大きな変化だと思う。いちいち全部意味を拾いすぎてきつかった5~6月頃とは雲泥の差がある。

以前の診察で「自分でやらなくても結構人がやってくれるものですよ。いよいよ誰もやらないことが自分のやらなければならないこと、くらいに思っていれば大丈夫」とも言われた。練習のつもりであえて自分が動かないようにしていると確かに案外なんとかなる。それでも自分の出番と思えるシーンはいくらでもある。

まだまだ「拾いすぎ」。やりたいことをしたり「みらい」を切り拓いたりする以前。もっと「バサバサ」切り捨てて「うけながす」。

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2010/11/03

きょうの「秩序」

とうとう本棚の整理ができるようになった。午前中から順調で、お天気もよく暖かかったこともあり、掃除から始めてレターケースを少し整理し、行けそうなので本の並べ替え整理を数時間していた。売却・廃棄するものはまだそれほど出なかったが、分野を再編し今やりたいこと興味のあるものをまとめて後は今なりの分類で並べ替えてみた。部屋の本棚を整理するというのは一種頭の興味や記憶の秩序を入れ替えるようなところがあるので、かなり整理がついてきたということだと思う。

べてるの本や精神障碍関係の本はもうほとんど自分には不要。売るかデイケアに寄贈するかだと思う。

大きなものが多いため虐げられていたヒッポ関係の本をいつでも手にとれるようにした。意外だったのは販売関係の実務書やマネジメントにまつわる実務書には改めて興味がわいたこと。10年以上やっていた仕事だけに「深めてみたいんだな」と思った。実際にやるかどうかは分からないけれど。

ここまで秩序立てば、あとは時間の経過とともに「ほんとうにいらない」本をごっそりカットできると思う。明らかに夏以降変わった。音楽CDでもずっとお気に入りだったのに「もういらない」ものがかなり出たのと一緒だと思う。伸びるもの・伸ばすものが好き。それは「みらい」へむけての「秩序」。


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2010/11/02

きょうの「いろいろ」

デイケアで面談。短期目標ははっきりしているが、夏から初秋にかけてと較べるとあまりにも調子が良くなったせいで、中期目標の具体化を考えたりして眠れないことがある。それを具体化するよりも「めざすみらい」を考慮して、「その実現のために今なすことは?」と問いかけながら過ごすのがいいと言われる。瞑想(メディテーション)をするとそこへ引き戻されるのだが、そうでないとテンションが上がってしまう。セルフメンテナンスだけでなくセルフコントロールのためにも瞑想(メディテーション)が欠かせないと思う。常に指針が必要。

それができないくらい、今日はいろいろと取り組んだ。さぼるということは全くできない性格なのだとつくづく思う。「いろいろ」だがポレポレ(ゆっくり)と。

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2010/11/01

きょうの「できた」

今日できたことは、2日続けて弁当を作って午前中から外出したこと。春先の弁当と言えばおにぎりとみかんだったが、今の弁当は深めのタッパーを使って、魚や野菜や果物まで入ったなかなかのもの。おかずは前夜作ればいいことが分かったので、思ったほど大変ではない。それだけ家事の水準が上がった。

暗くしていることが多かった部屋の灯りも夜はきちんとつけて、インドでもらった「マチルダ」という児童文学(当然英語)を音読しながら書き取りする、なんてこともしている。この「マチルダ」の音読書き取りは、夏場いろいろと考えないために必死にやかんや鍋をみがいたりしていたのと同じ流れで始めた。勉強するというよりも、あれこれ考えないための対処法のひとつだったのだが、やるうちに楽しくなってきた。同時に、インドのステイ先の家族は、本気で辞書などなしで自分とコミュニケーションをとりたいと願ってくれたからこそこういうものをくれたのだとしみじみ思う。日本で言えば小学生の娘さんが使っていた教科書のおさがりなのだ。(プレッシャーにしても仕方ないので、これを書くのは「結果として続いたら」にしようと思っていた。2ヶ月半かかって一章が終わるのでもう大丈夫)

今日の出先は代々木のオリンピックセンターでのヒッポのワークショップ。もうかれこれ10ヶ月ぶり。夏場に大変しんどい状態になってから、なんだか生まれ変わったような気がしながら過ごすこのごろの自分にとって、そうしたタイムラグを感じさせないほどたくさんの人から声をかけられて受けとめられる体験は大きな勇気とエネルギーになった。まだ自分から声をかけてまわるほどは回復していない。それでも迷ったが行ってみてよかった。

こういう場を持っていることが財産だなぁとまた思う。

エネルギーがだいぶたまってきた。もう少し!

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