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2010年10月

2010/10/31

きょうの「予感」

きょうもだいぶ歩いた。先週末までは家に帰ると雑音が気になり、かえってつらいのであえて外にいるといった状態だった。しかし今日は少し早めに帰宅して、本棚の整理をしてみたいような気にもなっている。そういう変化に瞑想(メディテーション)をしていて気づいた。本や実践を伴わない知識はほとんどいらないと夏以降思っているが、処分するとなれば峻別のためにいちいち目を通さなければならない。それはまだできない(本や雑誌、新聞などの活字類はまだほとんど読むことができない)ので、当面そのままにして布を掛けてある。そういったものに整理の手が入れられるようになれば、またやることが増えるから、いよいよ「タスクリスト」を作って優先順位を考えながら一日を過ごす必要がある。

これは春先の状態と似ている。

しかしあの時とは比較にならないほど、家事が充実し要領もよくなっている。時間もだいぶくり上がってきた。

きっと今週はもっと良くなる予感。

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2010/10/30

きょうの「のんびり」

ここ数日の疲れが出たか、今朝は少しのんびり起床になった。でも三食おかずをきちんとつくって食べたからまあよしか。テンションも数日異常に高かったがやっと落ち着いてきた。このくらいの状態がキープできて起床時間がくり上がると「次」が見えるような気がする。

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2010/10/29

きょうの「くーっ!」

昨日「駅ビルやモールで買い物」するのが「慣れてきた」と書いたが、今日日中行ってみるとやはりかなりしんどい。「くーっ!」と思わずつぶやいてしまう。「くーっ!」は「苦しい」の意味である。先々週は炊事をしている間によくつぶやいていた。特に午前中である。買い物も日中よりは夕方から夜の方がいくぶんラク。買い物に限らず15時以降からだんだん調子が出てくる。

そんな体調なのにやりたいことがどんどん出てくる。先週あたりまではしんどさのあまり余裕が無かった分、おもりがなくなると湧き出てくる。今年はこういうことのくり返しなのだな、と思う。

瞑想(メディテーション)をすると落ち着く。「目指しているもの」が何なのか、そのための「優先順位」をどうつけて行ったらいいのか。こうやって自分自身を見つめる視線をいつも持っていれば、きっと以前ほどの暴走はしないのではないか?と思う。「目指すもの」だけではなく、その実現のために「今むきあわなければならないもの」も以前よりは分かる。

とにかくまだ新しいことに手を出さず、手のうちにある事柄を「くーっ!」とつぶやかないでできるようにすることが先決。できたらまた「その次」。プロセスを大事に「ポレポレ」。

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2010/10/28

きょうの「なんだか」

窓に結露ができるほど冷え込んできたが、9月頃のように気候にあわせるだけでエネルギーを使い切るほどではない。むしろ調子は良い。

なんだか大丈夫になってきた。

情報過多で行くことすらしんどかった駅ビルやモールでの買い物もだんだん慣れてきた。デイケア帰りに衣類など、ちょっとした買い物をしている。

いろいろなことに、毎日少しずつ慣れていくしかない。

「来年は」なんていうことを考えると鬼が笑うというが、それ以前。まだまだ「きょう」を乗り越して「あす」。

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2010/10/27

きょうの「ポレポレ」

「じっくり」「辛抱」が続いていたが、もうあそこまで戻ることはなさそう。

だんだん、やりたいことや先延ばしにしていたやらなければならないことに目が向いてきた。今日ふたつほど片付けたが、いろいろありすぎ。いっぺんにやるのは不可能だし、まだ本調子でもない。優先順位をつけてひとつひとつこなしていく必要を感じる。

日本語のラジオはニュースやコマーシャルがまだあたまに響くので聞くことができないが、ワールドエアカレントのホームページをみたら、ケニアに行った方のインタビューで「向こうでは『ポレポレ〜』とすぐ言われる」とのこと。「ゆっくりゆっくり」という意味だそうで、「焦っているともよく言われたし『ハクナ マタタ』(問題ないさ)という言葉が出てきたりする」「それは何千年も暮らしている中で出てくる(生き方の)本質をついている」とのこと。インタヴューをしている葉加瀬太郎氏も「インドに行ったとき皆が言うのはまさに『問題ない』『まあまあそんなに焦らないで』の二つだった」とか。

とりあえず「ポレポレ」。

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2010/10/26

きょうの「めざすもの」

今日は診察。ちょっと処方をいじったとはいえ、1週間でかなり浮き上がったのでほっとしたような声で「よかった〜」と言われる。この程度で大丈夫なのかは「やってみないと分からない」といったところだったかもしれない。今までの経過を考慮し最小限のところで試したのだと思う。先週の診察の後看護師さんから言われた通り「安易なラクチン」より「うたれ強さ」狙いだったのかもしれない。

やっと落ち着いてきたのだから「次の一手」は次の診察後くらいでいいのでは?と言われる。

リハビリテーションの学会が、なんと「べてるの家」のある北海道・浦河で行われて行ってきたそうだ。自分も看護師さんに教えられてホームページなどを少し見たが、学会とはいえ全面的に「べてるの家」がかかわっているもので、ホームページの動画には早坂潔さんを始めとした懐かしい顔が手を振っていた。とんぼがえりの浦河は大変だったらしく「よく行きましたね」と今さらびっくりされる。自分は鈍行列車で2週間かけての旅だったから別に大変でもなかったのだが。

今までは「べてる」に行くことは一種の逃避と考えられていたが、今日の診察では「あそこで生きる選択は、それはそれで素晴らしいと思う。でもあなたはもうちょっと違うものを目指した方がいい」とも言われる。実は自分も初夏の頃だったか、「もう自分にはべてるはいらない」と思った瞬間があった。今の自分は「べてるでやっていくことのほうが難しい」とも感じている。

デイケアでは英文雑誌も少し読めるようになる。プログラムにも少しずつ参加できるようになり、看護師さんから「春先の声の調子に戻ってきた」とも言われる。そうはいってもまだ頭がふわーと過敏になる時はある。確かに「次の一手」はもう少し先延ばし。

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2010/10/25

きょうの「次の一手」

昨日は午前中から暗くなるまで一日外出していた。途中横になって休める場所で数時間休んだりもしたが、本郷から四ッ谷まで片道1時間ちょっと歩いて往復したりもした。そういうことができるようになった。どのくらい疲れが出るかと思ったが、寝付けなかったせいで起床が遅くなったくらいで意外に元気だった。選挙中あえて避けていた市内の散歩(用事があって)もしてみた。

なんだか大丈夫。

明日は診察だが、そろそろ「次の一手」を考えることになると思う。

毎日が新しいことのチャレンジ。チャレンジの積み重ねで新しい「日常」や「当たり前」を練り上げる。

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2010/10/24

きょうの「一段落」

実は、今日は鳩ヶ谷市長選挙と市議会議員選挙の投票日。だいぶ前からそういう匂いを感じていたが、そのことが頭にふわーと響きかなりつらかった。以前だったらここに「あーでもない、こーでもない」と書いていたかもしれないが、そんなことを考えるとつらくなる。それ以前の状態。

せっかく外出時に(必要時以外は)めがねをかけないようにして情報をしぼっているのに、少し前からは街頭宣伝も始まり、家にいられない。昨日までの一週間は最悪・・・となるところだったが、今週になってひと山越したおかげで英語のラジオなら聞くことができるようになった。ラジオ音で外の音を消しながらすごしていた。

結果的に昨日不在者投票もすませた。先週は「今回ばかりは棄権しよう」と思っていた。

選挙も「一段落」。そしてなかなか厳しかった今回の「壁破り」も「一段落」。生活リズムをもっとよくして、さらに一歩を踏み出すため、次の「ラクチン」探し。それは結局「自分探し」。

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2010/10/23

きょうの「そのときはそのとき」

週末は厳しい体調の日が多くて、どうなるかと毎週ひやひや。

でもとりあえず今週は何とかなりそうな気がする。

だめならそのときはそのとき。眠れない日もそのときはそのとき。

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2010/10/22

きょうの「切り拓く」

火曜日頃から少しずつ「ラク」になってきた。

「ラク」になるとそれまでは考えることすらできなかった「思い煩い」がまた少しずつでてきていて、「きつさ」は少しずつ強くなっている。でもそれをはね返すようにデイケアへの通所時間が少しずつくり上がっているし、疲れてくるまではメンバーさんと普通に会話できるようになってきた。

これだから主治医も大きく処方を変えて薬でカバーしようとはしないのだと思う。きちんと「辛抱」して「じっくり」這い上がって行けば、それが後々の力になる。「みらい」を切り拓く力。

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2010/10/21

きょうの「きっと」

昨日より多少きびしかったが、なんとか同じような過ごし方で一日終わる。音楽が少しだが聞けるようになって、外部の音を遮断できるのが先週とずいぶん違う。

心理的なケアは、まだ続きがあるとわかる。主治医が春頃の診察で「『自己肯定感』がもてるとラクだよ」と言っていたがいまいち良くわかっていなかった。それがやっと見えてくる。「自己肯定感」とは「今の自分自身が好き」でいられることだった。

すぐにはムリだが、これを練り上げるときっとどこへ行っても大丈夫。「うたれ強さ」はそれが基礎になる。「きっと」。

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2010/10/20

きょうの「一歩前へ」

人間の心理というのは意外なもので、もっとラクになる過ごし方があってもそれを拒否したりすることがある。自分みたいなものでなくても、長くかかった病気やけがのリハビリ過程で「もういい」と拒否する人もいる。大変だった経験も長くなると「これがラク」と感じる時もある。人間とは変化や新しい環境を本能的に恐れる動物なのだそうだ。だからこそ「一歩前へ」を習慣づけることがとても大事。ただ、プロセスを踏み外してやみくもに突き進むと「できない自信」をつけてしまうので要注意なのだが。

この「辛いけれど一歩踏み出すよりはラクチン」と「一歩踏み出してもっとラクチン」の区別は、本人には見分けが難しいこともある。毎日書いているこの「ラクチン」探しでも、多分2通りのラクチンの間をさまよっていると思う。

今日は一歩前へ進んだ「ラクチン」だったと思う。その証拠に「これでいいのかな?」と一瞬思ったから。新しい「ラクチン」には戸惑いがつきものなのだ。

伸び悩んだこの数週間だが、多分今週は一枚壁をぶち破る気がする。

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2010/10/19

きょうの「手がかり」

数日前から、さすがにここに書いている内容も「から元気」?という感じになってきていた。エネルギーもだいぶ回復してきたのに「まだ〜〜、へろ〜」と伸び悩んでいるから。

しかし今日の診察で「手がかり」がみつかる。日曜日あたりから夕方になると少しラクになる。これは日照時間が短くなってきたために一時的に「ゆううつ感」が強くなっている、一般の人でも多少は出る状態が強く出ているのでは?との診たて。で、若干薬をいじることになる。

診察後デイケアの看護師さんが「この処方は安易にラクにするのではなく、先を見据えて打たれ強さを目指しているのだと思う。とてもしんどそうなので他の人なら薬を追加するところだと思うが、今までもこらえて伸びてきたなんちゃんだからこそ、あえてそうしていると思いますよ」とのこと。

これは気休めで言われているわけではないことは分かる。「へとへと」とか言いながら日中の活動に備えて弁当づくりにチャレンジしたりしている。何しろちょっと厳しい山を越えても、翌日は最悪お昼から一日を始めている。翌日まるまる沈没したりはしないのだ。毎日の食事の中身も日を追ってグレードアップしている。

「手がかり」らしきものがつかめただけで、展望が見えるようで少しラクになった。さらに周囲の「想い」を感じて少し気力が湧いてきた。がっちりつかんで「あす」へつなぐ。

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2010/10/18

きょうの「へとへと」

少しずつ秋が深くなってきた。その気温などの変化に対応しようとして身体がまたエネルギーをつかっている気がする。

朝から「きょう」を「やりすごす」のに必死。

やっと「へとへと」に疲れて終了。

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2010/10/17

きょうの「だんだん」

今日はおもいきって外出。「へろ〜」とする時間もあったが、幸い休憩場所があってそこで休んだら時間とともにラクになってきた。行きはとにかく出てしまうことを意識して地下鉄利用。帰りは赤羽岩淵から歩く。これが逆パターンの時もあるが、赤羽岩淵や赤羽まで歩いて行くのは平気になってきた。春先はリズムづくり優先のため、大事を取ってあまり歩かなかった。

歩いていないと足だけでなく心臓も弱るような感じがしてきていたが、もともと歩いているから調子が戻るのは案外早い。

「戻るのは案外早い」のだから、ラクチンにならないのは次々あたらしい状態になって「だんだん」伸びているから。もっと「無責任」に「バサバサ」捨てて次の「ラクチン」を「たぐりよせる」。

薄紙一枚の「だんだん」

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2010/10/16

きょうの「ひとやすみ」

今週はいろいろやりすぎ。

今日はいろんな意味で「ひとやすみ」。

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2010/10/15

きょうの「たいせつな場」

確かに昨日よりはいいが、散歩どころではない感じ。

「考えない」ように、なるべく気を紛らわす方向で一日一日なんとかやりすごしている。しかし、その「考えない」でいることによってあたまの中がマグマのようにぐつぐつしてきた。思いきって「言葉」にして書き出してみるが、少し整理がつくとその次が「わさわさ」と出てくる。きりがない。

そのうちに混乱してきて体調がどうなのか良くわからなくなってきた。

そこで、思いきってヒッポへ。
「いるだけ」でよし。
だめなら「Uターン」。
そんなつもりだが、行ってしまえば案外なんとかなる。「オラー」(一応スペイン語)とくり返し挨拶してくる小さな子に、笑顔で何度でも「オラー」と挨拶を返したりできる。日中混乱していたのがうそみたい。

今、こういう場が自分にはとても大事。

デイケアでもそんな場所を探してくれているが、そう簡単にはみつからない。

「過去」なんかいらない、「みらい」だけで十分。と思うが、結果的にやってきたことが「財産」。

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2010/10/14

きょうの「にじみ出る」

いっぺん動き出すとクールダウンするのは案外難しい。体調が万全でも休める時にきちんと休まないとだんだん疲れがたまって、やがて電池切れみたいになる。

昨日は思ったよりクールダウンに時間がかからずに寝付くことができたが、今日はデイケアも含め2日分の疲れで動きが緩慢。「休む日だな」と観念して暗くして横になっていると、最初はそうでもないのだが、まるでサウナで汗をかくときみたいに、だんだん疲れがにじみ出てくる。瞑想(メディテーション)とあわせ技にすると効果的。何かするのはムリ。

でも「にじみ出る」疲れにきちんと対処して休むと、翌日は案外歩きに行けたりする時もある。「ちゃんと休む」が「たいせつ」。

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2010/10/13

きょうの「ひと山」

今日はかなり大きな山をひとつ越した。ムリせずもうちょっと先でもよかったくらいの山だが、今日越してしまってよかった。ラクにならないとこういうことができないのが良くわかった。もっと放り投げてラクにラクに。

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2010/10/12

きょうの「台所」

診察のためデイケアへ。それ以外の時間はほとんど台所で何かしていた。皮をむきやすくするために里芋を下茹でしてから出かけ、帰ってからはまた里芋やれんこん、ごぼう、にんじん、こんにゃくと鶏肉で煮物を作る。切ってむいてあとは煮るだけだが、これが結構時間のかかるものでよけいなことを考えず集中できて、今の自分にはちょうど良い。料理は作業療法的意味合いもあるとのことで、ムリが無いならと勧められてもいる。

つい先日まで、壁一面の本棚など様々な「意味」を伴うものに過敏になってしまい、部屋にいられず玄関先のせまい台所でじーっとしのいでいることが結構あった。台所にはほとんど道具しか無い。「意味」はそんなにない。でも動けば何か作れる。そういう単純なことから少しずつ「あたりまえの毎日」を練り上げる。

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2010/10/11

きょうの「シンプル」

昨日はかなりいろいろなことができるようになった。しかし調子に乗ってしまい夜になってもクールダウンできず眠れない。やっと夜更けに寝付いた。

今日はお天気で気温も上がる。部屋を暗くして過ごしたが、寝付きが遅かったのに洗濯その他の時間を繰り上げることができて、洗濯物もよく乾いた。

横になる時間も多いが、ここに何を書こうか考え込むくらい「シンプル」な時間の過ごし方になってきた。それはリズムをまた取り戻してきているということだと思う。思い煩いも減ってきて、瞑想(メディテーション)のときもいろいろ心に引っかかっていることがでてこない。「ラク」な実感はあまりないが、先週に較べれば明らかに「ラク」。もっともっと「ラク」でいいのだ。「ラク」になれ〜!

「シンプル」「あたりまえ」を作り上げるのはとても大変だが、一歩ずつ「一日一日」を積み重ねて練り上げる。「ラクチン」のかすかな実感をいくつもたぐり寄せていく。

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2010/10/10

きょうの「たぐりよせる」

夏以来つかめなくなっていた「このくらい動けばこのくらい疲れる」「このくらい休めばこのくらい動ける」という感覚が少しつかめてきたような気がする。科学者が実験と観察を続け「トライ&エラー」を重ねるうちに「このラインは行けるのではないか?」と手がかりをつかむのと似ている。いや科学者に限らず、昨日よりも今日、薄紙を一枚一枚積み重ねる営みは「トライ&エラー」の積み重ねでしかない。「けんだま」「楽器」と同じで失敗した分だけうまくなる。

やっとみえてきたラインを「たぐりよせる」。その積み重ねできっとまた新しいラインがみえてくるはず。

今日は本郷の東大の中を少し散策できた。先日友人に教えてもらった三四郎池へ行ってみると、秋のやわらかな陽射しがこもれびになってとてもきれいだった。いちょうの大木の周りから、かすかに銀杏の香りがした。

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2010/10/09

きょうの「ながす」

一日一日をようようしのぎながら過ごした夏以降。この間、勇気をもって一日を始め、不安・恐れ・過敏をやり過ごすために編み出した技は数知れない。主治医が言うようにたいして薬は増えていない。薬では対処できない事柄の方が多かった。ということは、これらの対処法はこれから生きていく中で遭遇するであろう「しんどい」「辛い」シーンですべて応用が利くということである。

このところ特に週末、厳しい「ばんそうこう」や「壁」との葛藤があって憔悴することが多かった。しかし、この連休はなんとか「ながす」ことができるのではないか、と言う気がする。とりあえず一日「ながす」ことができた。

こういうのも薄紙一枚の価値。

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2010/10/08

きょうの「なごみ」

内科でもらった薬を一包化して飲みやすくしてもらうため、デイケア近くの薬局へ行く。ついでにデイケアにも立ち寄る。

7月以降はプログラムに参加するどころか、わさわさした部屋の中にいられずにベランダでじーっと時が過ぎるのを待つことも多かった。ベランダではプログラムの一環として、夏場は特に網目のひさしを用意し、にがうりとあさがおで緑のカーテンを作り、またミニトマト、ピーマン、なす、にらなどを栽培していた。プランターや鉢植えの花も多彩。そうした植物とのふれあいはこの手の病気のリハビリにはとても良いらしい。今年は自分も今まであまり興味のなかったベランダ菜園が、ほんとうに心和む場になっていた。植物だけでなく、どんな小さなプランターにも虫たちがいろいろな形で関わっているのも新鮮な驚きだった。目を凝らすと、枯れ枝に見えていたものが動き出してみたり、土のかたまりに見えていたものがダンゴムシのようなものだったりして、生き物の豊かな世界があった。それは久しく忘れていたものだった。

だいぶ落ち着いてきたがまだ少しわさわさ感じる時があり、今日も少しベランダで過ごす。にがうりやあさがおのつるが巻きついていたひさしを取り払ってしまったので、だいぶさびしい感じになっていたが、それでもまだ鉢植えのピーマンの実がいくつかついていた。

トマトは枝も実と同じ香りがすること、あじさいは花が終わったらざっくりと剪定してしまうこと。いろいろなことをこの夏教えてもらった。

本棚に満載の本を読まなくても、大事なことは実はみんなが知っていた。街なかのささやかな空間に感じる「なごみ」。

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2010/10/07

きょうの「深み」

7月のほぼ梅雨があけた頃に吉祥寺へライブ演奏を聴きにいっていた。ライブハウスというよりジャズの生演奏をおいしいお酒と食事と共に楽しむようなところで30人は入らない。いろいろな縁がつながって聴くようになったチェロ奏者の橋本歩さんのライブ演奏で、学校の先輩でもあるというピアニスト太宰百合さんとのコラボレーション。

今日も同じお二人の演奏を聴きにいく。今日は比較的近く街の、ほんとうに隠れ家のような場所。20人も入らない。「感性を解き放つような休み方はむしろしたほうがいい」と言われているので、少々のムリは承知。

7月のとき、演奏を聴きながら数年前日本中を旅した頃の記憶がよみがえった。夏の北海道で、原野の中を走るワンマン列車ですごした時間や、やはり夏の北九州の、大きな橋のたもとを渡す船からみた虹。旅で味わったとても上質な時間の記憶。演奏の間だけ別世界のようだった。

それからかなりしんどい時期を乗り越え、「今日」。

ジャズの巨匠がアレンジしたという「G線上のアリア」から始まり、それは「音楽の深み」「人生の深み」いろんな「深み」を感じさせる演奏だった。

大変な時期を越してこなければ、そこまでは感じなかったかもしれない。

でも「深み」も感じつつ、「まだまだひよこ」のような気もした。

きっと「みらい」はもっと「深み」を感じるものになる。そんな予感。

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2010/10/06

きょうの「遠くはない」

この数ヶ月、自分と似た体調を乗り越えて今は普通に暮らしている(何が普通か、は難しいけれど置いておく)複数の人から「そのうち普通になるよ」と言われている。「そんなに遠い先の話ではない」と言われるのも共通。明日「普通」になるわけではないが、「神経過敏」の質も変化して、街の風景や音や文字などすべてのものが洪水のように押し寄せるような感覚はだいぶ落ち着いてきた。今日も内科へ受診に行くまでの時間、掃除や洗濯のため部屋は普通に明るくし、疲れたら真っ暗な台所ですごすといった感じでメリハリ?をつけている。今頃になって「父の生涯」なんてことも考えたりするが、内科の先生は「そういうことが考えられるだけ余裕ができたっていうことだよ」という。なんだかそんな気もする。

陽が出ているのに部屋を毎日暗くせざるを得ないのは、まだエネルギーが十分ではないということだと思う。決して近くはないかも知れないが「遠くはない」。そんな気がする。

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2010/10/05

きょうの「にやり」

あいかわらず大変で昼間でも部屋の雨戸を閉め真っ暗にしたり、過敏で家にいられずひたすら歩いたりしている。「しんどい」毎日であることには変わりない。が、最近ごくまれではあるが、歩きながら思わず「にやり」としてしまうことがある。「この一年はほんとうに大変だったなあ(まだ現在進行形ではあるが)」、「きっと生涯忘れないだろうなあ」と思った瞬間に、つい「にやり」とするのだ。

きつい山登りをするとき、自分はとりあえず息があがるまで、とにかくひたすら前へ進む。迷いやすいなだらかな道よりはつづら折りでもひたすら登る道はある意味ラク。そして視界が開けてきた頃ふっと小休止して景色を見る。登った分だけのことはある景色が目の前に広がると「にやり」として、また前へ進む。目的地まであとどくらいあるかは考えない。歩いていればいつか着く。

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2010/10/04

きょうの「前向き」

インドの知人からメールをもらう。この方は2回ホームステイを受け入れてもらったヒマラヤ山中に住む友人とは別で、ヒッポのイベントで知り合ったムンバイの大学の先生。ほんとうにささやかなきっかけが今に至るまで続いている。ご両親を亡くされた時はやはりしんどかったとのことで、「乗り越えてしまえば、たくさんのエネルギーと能力を伴って戻って来れるよ」とのこと。そのために一番いい方法は「前向きに考え前向きに行動すること」とのメッセージ。

「前のめり」ではなく「前を向いて一歩一歩」。「みらい」はそこにある。

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2010/10/03

きょうの「ぶちあたる」

どうせいつかやらなければならないことを「先延ばし」するのはいや。越えなければならない山をぐずぐず「先延ばし」するのはいや。

でも「ラクにいく」つもりが「やってラクになろう」という意識になり、物理的精神的に余裕をもっていけるラインの、ほんのちょっと上を目指してしまう。せっかく「ばんそうこう」をはがしてもそういう部分が「ラク」できない。

確かに少し前だったらできなかったこと。

しかし「ラクにできる」ようにならなければ、その次へ進めない。「先延ばし」できないのが実は壁。

ちょっと「辛抱」すれば、もっと簡単。足りないのは「辛抱」。

あせらなくても「地球はまわる」。まわっていれば「みらい」もひらける。

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2010/10/02

きょうの「考えない」

うだうだ考えない。
とりあえず起きてみる。
明るいのがしんどければ雨戸をしめて真っ暗。
眠りそうになったらせまい台所で暗い中座ってしのぐ。
昼になったら表に無理やり出てみる。ダメだったら帰るつもり。
ランチを外で食べてみたが、お店にいるうちにどんどんあたまが「ふわーっ」と過敏になってきてしんどくなって切り上げ。
しかし、今年になってからぐんとやせたので体型がどうなるかわからず買い控えていた衣類を、思いきって少し買ってみる。
それができたら、もう少し突っ込んで、懸案だったよもやまに少し手が付けてみた。
そろりそろり。
できたら次。やる前に「考えない」。そうしたら「できた」
きょうも薄紙一枚。

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2010/10/01

きょうの「やらない」

ねまきは着替えない。洗濯はしない。晴れてきても、乾いていない昨日の洗濯物を外に出さない。掃除もほとんどしない。ふとんは日が出れば少しでも干すところとうとう敷きっぱなし。

家にいるかぎりは、普段ならしんどくてもこれらをあたりまえにすべてやっている。していたほうがイロイロ考えなくてラクなのだ。一日寝ていることはとても難しい。といっても昨年はまだ、毎日はできていなかったことが多い。

しかし今日はどうにかやらずに一日終えられる。よほど昨日まで「ムリ」がかかっていたのだろう。

しかし食事の支度だけはちゃんとしている。ベーコンエッグをつくる。これには2〜4種類の温野菜の付け合わせがつく。鮭を焼く。作り置きしてあった鰤やさといもの煮付けにちゃんと火を通して食べている。

生活がちゃんとしている感じがしてきた。

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