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2010年7月

2010/07/28

丹沢表尾根

一時的に薬を増やしました。端から見たら頑張りすぎてエネルギーがしゅーっと抜けているように見えるでしょう。しかし診察の際主治医にもいわれ、カウンセラーの友人、他の経験者の友人からも言われていますが、成長の坂なのだそうです。

丹沢の塔の岳(だったか)に登るルートはメインが2つあるのですが、表尾根の縦走というのがとても気持ちがよいコースだったのを覚えています。一旦三の塔(たぶん)という山へつづら折りの坂を登ると、「ここで十分」というくらい視界がひらけ嬉しくなるのですが、実はそこからが難しくて、一旦岩場を「こんなに降りてしまうのか」というほど慎重に降りなければなりません。さらに登ったり下ったりを数度繰り返すと、いよいよ三の塔の昇りよりきついと思われる坂をじりじりと登らなければなりません。そして視界が開けると関東平野が一望できる素晴らしい山頂に出るのです。

この山頂まで辿り着けば、自分は自分の母をがっちり自分の腕で抱きしめてあげることも出来ると言われています。その日は近いと何人かの方から励ましてもらっています。大丈夫だ!と。なので今はひたすら登ることに集中しています。

きつい昇りでエネルギーが少ないです。電話でお話も出来ない時があります。ラジオもヒッポCDも音楽も、あらゆるものが聞けません。部屋は日中暗いままです。夜はかろうじて電気をつけますが。

今日これだけ書いたのも、明日起きるのが怖いと思って、少し書いてみようと思ったから。朝、目覚めの瞬間から考え事が始まるので、「考えない」を徹底的にやるのです。呪文のように「ほけ〜」「でろ〜ん」「考えない練習だよ、練習!」などと自分をどやしながら、本当に練習しています。

この記事は推敲しないで載せちゃいます。またいつ更新できるかは分かりませんが、かけそうなら「いきていま〜す」とだけは書きます。

はい、もうかんがえな〜い!

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長い7月

なんとか生きていますよ〜。あまりいろいろ書けませんが、なんとかやってま〜す!

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2010/07/22

あれから1年

父がなくなってから1年がたちました。あの時よりも今のほうが堪えています。何人かの方の話を聞くとどうもそういうものらしいですね。快復のテンポが早かったこともあってちょっとばて気味です。毎月ターニングポイントみたいなものを感じ、壁をメキメキバリバリとやぶっている感じがします。ヘアピンカーブの坂を登っているようです。何とか耐えて生きています。

先日書いた記事でやはりあまりにも失礼だと思ったものを削除しました。

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2010/07/16

手相

1999年ですから、もうかれこれ10年前。なんの拍子か、手相の本を読んでいました。その当時の自分の手相にあてはまる記述は次のようになっていました。

たいへん慎重で内向的な性格。一つのことが気になると、なかなかそれを忘れられなくなる人。ものごとに失敗するとその失敗から立ち直って気力を取り戻すのに時間がかかることが多い。このような頭脳線の人は自分でくよくよ悩むよりアドバイザーに意見を求めたり、周囲の協力、援助を受けながらチャンスをつかんで行くタイプ。人気運の強い人に多い。
やや神経質で内向的な性格。地味に努力型で冒険を好まない安全第一主義です。30歳前後から素晴らしい才能を発揮する大器晩成タイプ。転勤、移転、出張などがあなたの人生にプラスに影響してくることを意味しています。また、長期的な海外旅行を計画する時にはこの支線(これは何のことだかわからず)をチェックして、旅行の体験があなたに良い影響を与えることを暗示しています。

これを読んで、自分のことを知っている方はどう思われるでしょうね?

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夏祭り

今週末は鳩ヶ谷氷川神社の夏祭りです。日曜日は本町のバス通りが通行止めになります。

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2010/07/12

同じを見つける能力

人は決して一人では生きられないのに、時代の変化は個を切り離す方向へ少しずつ確実に進んでいきます。一人が持ち得る知識や経験の量なんてたかが知れているのにです。

そんな中、どんな人間にも言葉にも文化にも「同じ!」を見つける力は生きる能力としてとても大事なものになるなぁと思います。

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2010/07/10

なんとかひとことだけでも

実は先週から一周忌がらみというだけではなく、毎週自分観察のワークシートの目標が変わっていくという回復テンポの速さゆえに若干ムリがきて、少々エネルギーが落ちています。しかし、昔から「ひま」が苦手な上、朝目が覚めると同時に頭がぐるぐる回転しいろんなことを考え出し、行動に落としていかないとそれが不安感になってしまうので起きざるを得ないのです。「亡くなった肉親を思い出すなんていうことは相当のエネルギーだから今週は南の島にいったようなつもりでゆっくりしてください!」なんて主治医に言われたのですが、全く出来ません。生きているということは悩み考えることなのだなあ、と思わずにはいられません。

エネルギーが落ちている・・・といっても昨年同時期とは全く違うレベルの生活の質(医師がよくQOLと略して使う意味)が維持できています。

なんとか「大丈夫ですよ~」とお伝えするために、記事の更新をします。

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2010/07/07

天の配剤

空飛ぶ馬のあと、文春文庫の「ダライ・ラマ自伝」を読み始めたら、また「天の配剤」という言葉が出てきました。「配剤」という言葉はパソコン付属の辞書にはないようで、一度では変換できません。「天の恵み」と意訳すればいいのでしょうが、ニュアンスが微妙に違います。「ダライ・ラマ自伝」でこのことばを使ったのは訳者の山際素男さんで、古代インドの大叙情詩「マハーバラタ 全9巻」の翻訳で日本翻訳出版文化賞をとられた方だそうです。翻訳の分野にもそういう賞があることを初めて知りました。

ダライ・ラマが「天の配剤」としたのは「ヤク」というヒマラヤ、チベット地方で家畜として飼われている動物のことでした。

今の自分には刺激的でなく、かつ示唆に富むこうした書物が自分にとってまさに「天の配剤」なのかもしれません。

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空飛ぶ馬

直木賞を獲得された作家の北村薫さんが自分の母校の先輩であり、かつ自分が所属していた落語研究部の当時の顧問をなさっておられたことは以前にも書いたでしょうか。先生の古文の授業も受けていましたが、落語のような授業だったなあという印象があります。語り口に落語独特の「間」を感じさせるところがありました。もっとも、今だからそんなことを思うのかもしれません。

北村薫さんのデビュー作が「空飛ぶ馬」でした。それを今夜するっと読む機会がありました。短編なのでほんとうに「するっ」と読めてしまいますが、後味はとても良いです。お住まいの埼玉県東部の街の描写もあり、なんだか懐かしい気分にさえなってきました。

「天の配剤ということをあなたは信じますか」・・・16章に出てくるせりふです。運命の好意といった意味で使われています。普段の生活の中ではなかなか信じられないことが多いですね。しかし、「純粋で真剣な思いをどこまでも守ってやろうといういたわり」(同章)がある、と信じてみるのもいい。そう思えたとき「どうです、人間というのも捨てたものではないでしょう」(同章)と思えるのかもしれません。

端から見れば憧れの職業に就いている人ですら、実は報われないむなしさを感じているものなのだ、とある方からのメールを読んで感じました。仕事も人生もです。人の善意を信じてプロジェクトや集いを主宰されていて、いつの間にか多数の方が音信不通になり赤字の額も大きくなるということは往々にしてあるもののようです。それでも「捨てたものではない」と思える人との出会いが次へ進む勇気になるのかもしれません。

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2010/07/03

滞っている更新

このところ更新が滞り、ご心配をおかけしています。

日常生活のクオリティはかなり上がってきています。以前の体調のバロメータはコーヒーをいれるためのお湯がわかせるかどうかでした。それは朝起きる時の当たり前になっていて、毎日できていてその時間も繰り上がっています。

このところのバロメータはいくつかありますが、このブログが書けるかどうかというのもかなり大きなバロメータの一つです。

5月に大きな変化があり、今度はあまりにも分かりすぎるところが逆に障碍になっています。それがはっきり認識できました。情報を遮断してバランスをとることが今の課題です。古い歌を久しぶりにデイケアで歌ったりすると、昔は分からなかった歌詞の意味の行間が読めてしまったりもするのです。なぜこういう歌が作られたのかまで感じてしまう今の自分には頭がからっぽになることが調子の良さです。からっぽにできないのは父の一周忌が迫っていることも理由のひとつのようです。

とりあえず、なんとかやっています(笑)

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