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2010/06/11

迷子からの道しるべ

5月後半の困惑は、トンネルの外からの明かりが急激にはっきりしてきたために目がまぶしさに耐えられなかったことが原因のようです。そういう書き方をこのところずっとしていましたが、目がなれてくるにつれ、やはりそういうことだったのだという気がしています。あまりにも不安感が強いので一時的に薬をもとに戻してみましたが、そうするとさらに歩みが確かになり起床時間が繰り上がり、かつ夜の活動も少しずつ再開可能になってきました。

自分を知る人の中に「これだけの文章が書けるのだからもっと書きなよ」という声が多数あります。昨日でそういうことを言う人が10人を超えました。その10人の後に声にはしないけれどもそういう風に考えてくれている人もいるだろうことを考えると、トンネルの先のひとつの道しるべとして、「書く」というキーワードは重要のようです。実際うつで抑えられていたエネルギーが解き放たれてきているようで、ブログ記事にはしていませんがものすごく書いていて、それは自分でひねった文章だけではなく本の抜粋もあるのですが、3ヶ月足らずで日記が終わってしまいます。

それともう一つは言葉です。書くと似ていますがちょっと違います。今日は英語が話したくて、夜間本郷教会の英語ディスカッションに参加したのですが、たまたまテーマのひとつが「英語以外に話したい言葉」だったのです。多くの方がヨーロッパの言語をあげ、音楽や美術へのあこがれをその理由とするなかで、ヒンディ語、ネパール語、韓国語をあげ、その理由はホームステイさせてもらった友人やホスト家族ともっと話したいからなのだと、参加者の目をぐるっと見回しながら話したとき、そこから話題が広がたのです。自分はスワヒリ語の「ありがとう(ア サンテ サナ)」もするっと話してインドでの英語はブリッジランゲージであって、公用語だけで15とか18とか(今、ちょっと正確に把握していません)あるから何でも友人の話す言葉が話せるようになりたいのだと言うと、他の参加者も「スワヒリ語のこんにちはは「ジャンボ!」だよね」とか「実は私も友人の話すタガログ語(フィリピンの英語と並ぶメインの言葉)を話せるようになりたい」などと話題が広がってとても盛り上がったのです。いつの間にかそういうことができる自分になっていました。

そして、今までは具合が悪くなるときがあるのであまりじっくり読めなかった、会社員時代の日記まで読み返した時、実は「できるようになってから」役割が回ってきたのではなく「役割に任じられ、訳が分からないまま誠心誠意ベストを尽くすと三年くらいでそれができるようになり、そうするとさらに次のまだできない役割が回ってきてまた二〜三年でできるようになり、そういう積み重ねが自分を育ててきた」ことが分かったのです。分からない中にどぼんと飛び込むことばかりやってきていたのです。

今の自分は医療や福祉の分野で患者や利用者として存在していて、そこでは「できるようになってから次のステップ」というのがとても大事なのです。確かに病気の回復は自然現象でもありますからプロセスを踏み外すと再発やリバウンドとなって戻ってくるため、きちんとステップを踏んでいくことは大事です。今はまだそのエリアにいる自分だと思います。しかし医療も福祉も1人の人間の人生そのものをデザインすることはできません。ですから自分にとっては「もう大丈夫でしょう」という段階になったとき、次に飛び込んで行く世界をイメージしておくことは、今日も起きあがって不安を押しやってとにかく1日を大事に過ごすためには必要なことなのだと分かりました。

いみじくも先週、デイケアの主任看護師さんが「なんちゃんは、心は健康だったんですね」と言ったのです。ご本人は多分そのことを深い意味で言ったわけではないと思いますが、すごい言葉だと思います。なぜなら「うつ病」は一般的に「心の病」と言われるからです。そのことは理屈では主任看護師さんも分かっているはずなのです。ここには深い意味があるような気がしますが、あまり考えすぎると眠れなくなりますので今日は敢えて追わないことにします。一歩一歩確実な歩みをすすめています。

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