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2010/04/28

幸運に恵まれ尽くした自分のうつ病と回復

おかげさまで最近は「疲れの発作」が時々出るものの大きなリバウンドもなく、順調と言っていい回復ぶりだと思います。先週の診察で薬がまた減りました。ほとんど生活リズム作りの問題がメインで、落ち込むこともなく過ごしています。

勤めていた時代から自分はシティバンクに口座をもっていて、外貨預金や投資信託を購入していました。シティバンクには通帳が無く、毎月送られてくるお取り引き明細書で現預金を把握するしかありません。それを一度捨てたことがあるのですが、2002年以降はきちんとファイルして保管してありました。最近エクセルファイルを利用するための練習の一貫として、その明細をすべて打ち込みどういう投資行動がどういう結果を生んだか、それはどういう理由か、残高の上下した理由は何だろうか?と実に細かく分析をしています。行き当たりばったりの投資はほとんど成果に結びつかないかマイナスの成果となるということが分析の結果分かってきました。それ以上にうつ病発症当時、自分に資金的余裕があったことが、その後の展開に大きな影響を与えてきたなあ・・・と強く感じます。1軒目のクリニックで今の自立支援医療制度にあたる精神通院医療費公費負担制度(当時通称32条と呼ばれていました)を申請したおかげで、医療費そのものは低く抑えられました。しかし薬の副作用や運動量の低下とともに内蔵脂肪がすさまじくなりました。この治療費薬剤費負担は一般同様3割でしたから結構な額になりました。

それ以上に「生活保護でもいいや」と割り切り、仕事をいっさい辞めて治療を考えたころからの生活費の累積額たるやすさまじいものがあります。親との同居が、即症状の悪化につながる(それだけ頑張っていたようです。当時のカウンセラーからは「あなたのやってきたような親の面倒の見方は普通できない。逃げ出す方が普通」といわれていました)ので、鳩ヶ谷のこの小さなアパートを自分の城として維持する必要がありましたが、それだって家賃も安めとは言えばかにならず、割り切りを進めて障碍年金をもらえるようになったことは大きかったと思います。

完治を目指すためには親との共依存関係(お互いがお互いの面倒をみることを生きる目的と考えている状態・・・これはすさまじく苦しいものですが、それでも多くの人が抜け出せないのは新しい環境に飛び出す勇気をもてないからのようです)を断ち切り、親と子どもそれぞれが自分の生き甲斐を別に作る必要があります。しかし経済的な裏付けがないとこれは困難です。

精神疾患からの回復と経済問題は切っても切れない問題です。公的サポートにしろなんらかの支援にしろ限界があります。自分は周囲の理解者も多かったですし、勤めていた頃の貯金が結構な額でしたし、模索の中でしたが親からの金銭的支援もあるときを境にうけいれ、それが亡き父の職業能力の関係(定年以降も技術を活かして勤め続けられた)で結構な金額だったからこそ、今に至るといえます。

自分が模索とチャレンジを続けた持久力もあるとは思いますが、それも裏付けとなるお金があったからこそでした。なまじ力があったために親の苦境を普通以上に支えられたことが、無理のし過ぎにつながり、病気の程度を重くしましたが(うつ病で障碍等級2級というのは、やはりすさまじかった)結果的には経済的サポートなしにはここまでこられなかったでしょう。

うつ病とは「こうすれば治る」という答えが、他の疾患以上にその人の属人的要素や環境に左右されるので、「答えはない」と言った方がいいくらいのものでした。ここまで良くなった自分はやはり幸運でした。

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