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2010/03/28

関係性の病気だったうつ病

30冊の日記の読み返しを少しづつしています。

2004年に、大宮で精神障碍の子どもをもつ親御さん向けの講演会があり、それに当事者ながら参加したことが書かれていました。その当時の感想を読んで驚きました。「参加している親御さんたちは自分達の子どもの病気をどう治すかに夢中で、そこに集中することでかろうじて夫婦としての関係性を維持している。夫婦としての関係性が構築出来ていないから、叱ることやフォローを入れることという人間の親としての役割がこなせておらず、そういう脆弱な関係性の中で一番弱いところにストレスが集中し、病気として顕在化するようだ」と書いていました。そして「この親御さんたちはみんな我が家の両親と同じだ」とも書いています。子どもさんに求めていた価値観が「いい学校に入り、いい会社に入って、幸せになってほしい、自分達みたいにならないでほしい」なのです。びっくりするほど共通で、いい学校とは何なのか、いい会社とは何なのか、定義が不明確で、しかしそれは自分達親の対極にあると考えているのがそっくりでした。

自分の両親は、子ども(なんちゃん)がうつ病を発症しても自分達の関係性を見直すことはほとんどありませんでした。ただ自分の子どもの病気を治したいという点だけで利害が一致していて、やたらと自分に「今の医者では治らないから、どこそこの病院がよさそうだ」とか「食事をきちんととりなさいよ」とか「お金は何とかなるから」とか、どんどん甘やかすのです。それもそれぞれがそれぞれのやり方でやるので、自分自身相当混乱していました。

このように父と母の間に二重規範があって整合性がとれていない場合、ほんとうに子どもは混乱します。親はお互い離婚すれば他人になるかもしれませんが、子どもは違います。どちらも同じように大事なのに、「こっちへこい」「こっちへきなさい」とやるのです。離婚するしないの議論すらできないほど関係が希薄だったりします。議論ができないから消極的に現状維持ということです。

その講演会の参加者はほとんど、さらに自分よりさらに症状の重い統合失調症のお子さんを抱えていて、家庭の崩壊度合いももっとすさまじかったようです。統合失調症の患者さんが、10代後半から20代の自我確立過程で発症するのも、子どもから大人への大事なプロセスを踏ませてもらえないところから、家族の問題は自分にあると抱え込んで無理に無理を重ねた結果そうなるのだと思いました。全く驚くほど、子どもさん以上に親御さんご自身が問題を抱えていると、講演会当時強烈に感じているのです。

うつを治そうと思ったら、自分の身近な家族の関係性をよくしていく、具体的にはお互いがお互いを尊重し合う関係性の構築が絶対必要だと感じました。お子さんに健やかに育ってほしいと思ったら夫婦の信頼関係を揺るぎないものにするのが大事で、症状だけ取り出してなんとかしようとしてもダメなのです。

自分のうつ病は、症状が出たときに始まったのではなく、それ以前の家族の関係性が原因であることは感じていました。しかし、ここまで人間同士の関係性が影を落として病気を悪化させていたとは思いませんでした。子どもは親が考えている「子ども」というものの十倍くらいの密度で親を見つめ、その関係性を良くしようと必死になっているものです。なぜなら親の関係性は自分自身の生死に直結する重要な問題だからです。具体的な言葉が出てこない頃から、親の関係性維持に最大の努力を払い、良い子を演じ、それが失敗すると「自分のせい」だと責めるのです。下手すると結婚も子どもを作るのも親のためだったりします。これはほんとうに悲惨な結末に至ります。しかし思春期で辺りで、よその家族を見て「脱出しないとダメだ」と察する子も中にはいて、あえて進学や就職の際に無意識に脱出を図る人もいます。しかし、30歳を過ぎてすでにうつ病を発症していた頃でさえ自分は「ガスコンロの火をつけっぱなしにしたまま(両親の関係性を例えたもの)自分がこの家を出て行くことは怖くてできない」と書いていました。そしてその一方で「一生この親の面倒を見続けるのかと思うとぞっとする」とも友人に言っていました。この手の問題を抱えたことのない方には理解しにくいかもしれませんが、自分は子どもの頃から親の面倒を見続けてきていたのでした。そのことを「ぞっとする」発言は示唆しています。

ほんとうの意味での回復が進んできた今の自分に、免除されていた親や親族への義務が発生しようとしています。今、そこまで考えなくてもいいのかもしれませんが、就労訓練をその都度毎日ふりかえってみると、作業をすすめる過程で、よく考えれば自分が引き受ける役割ではないものを引き受ける癖が抜けていないのを強く感じます。反射的にやってしまうこの習慣は、今の日本の会社や組織で働く中でいつしか自分を見失い、病気を再発させる危険と隣り合わせだと感じています。社会規範に関しても、自分自身を活かし育てるために必要なものと、必ずしもそうでないものがあるような気がしています。先回りをして相手の意図を汲んで行動するAC体質が染み付いているようです。

あえて自分は「こうあるもの」という価値観からの逃避をはかる必要があるようです。そうしないとまたつぶれる、そう感じています。

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