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2010/03/13

まず手紙から12年をたどる

昨日の1000円札の重さの余韻は、日ごとに増すようです。今日は今まで特にお世話になった方々へ、お礼の手紙を書くために、レターケースに眠っていたかなりの数の手紙や年賀状などを読み返しながら整理する作業に一日を使いました。ただし頭を使う作業なので途中風呂場の大掃除を1時間ほどやって運動し(ジムなんか行くよりよほど健康にいいですよ)、最近mixiで偶然出会ったお茶の専門店で買った紅茶をゆっくりと味わいながら飲みました。このお茶屋さんのことは後日書きたいと思いますが、自分がこの12年の歩みの中で出会った本物のお茶(日本茶なら八女茶の、特に山間の星野村や黒木町産のものが日本一です。紅茶は自分が行ったインドのシッキム地方のお茶が世界最高級です。本物のダージリンティのさらに上を行く幻のお茶の産地が自分の行ったインド・シッキムだったのです。日本では今回自分が買ったお茶の専門店でなければ、買えないだろうとのこと。その専門店でも現在品切れ中だそうです)のことを考えながら、このお茶専門店との出会いも因果を感じ、お茶をこれからの趣味にしようと思いました。おいしいお茶のいれ方にはこつがあり実に深い世界です。別に茶道のように型から入らなくとも、本気でおいしいお茶を味わおうと思ったら本気でお茶に向き合う必要があるのです。

いただいた手紙の中で、今でも大事にとってあるものにはそれぞれ大きな意味合いのあるものが多かったです。その中から分かってきたこととして、うつ病発症から「親の面倒なんか見なくてもいい、自分の幸せをみつけていいんだよ。むしろ自分自身をもっと大事にしなさい。あなたがあなたの人生の主役なのですよ」というカウンセラーからのメッセージが、本当に自分自身に響き始め、人に甘えるということをやりだすまでに4年かかっています。ヒプノセラピーや様々なカウンセリングをうけ、当時の主治医からも貴重な習慣付け(克明な日記をつけること)をもらっていましたが、結果として当時の知人から紹介された岩手県のカウンセラーと話す中で納得がいったようです。ただ、4年の時間があったからこそ、このカウンセラーとの話が意味をもったようです。言われていたことはほとんど従来のカウンセラーさんと同様なのです。

それから今に至るまで自分をよく理解し、「この年齢でありながら」いい意味で甘えさせてくれたのは主に母方の叔母でした。次に母方の実家を継いだ叔父でした。この2人がいなかったらおそらく自分は命を絶っていたでしょう。

次の4年をへて「べてるの家」と出会います。べてるとの出会いがいかに大きかったかは4年くらい前の「社会復帰ではなく社会進出をする」という宣言で、このブログからも読み取ることが出来ます。ブログというものを教えてくれたのは学生時代から関わったパフォーマンス集団「電気曲馬団」で一時期一緒にすごした方で、このかたは就職後やはりうつ病を患ってしまいましたが自分ほど重症ではなく、職場を退職せず休職して若干リバウンドしながらも今はかなり順調に歩みを進めておられるようです。このかたは今でも細々とブログを続けておられます。様々な事情でブログを閉じてしまう方が多い中で、細々とでも続けてくださっているおかげで過去記事を読むことが出来ます。その中にはいろいろと参考になることが書かれています。ブログやホームページを開かれている方には、ぜひなんとか痕跡も消してしまうのではなく、細々とでも続けていただければ・・・と思います。

「べてる」との出会いがきっかけで徹底的に割り切り、いっさいの仕事をやめ精神障害者手帳を取得し障害年金も申請して障碍者としてデイケアに通う生活に切り替えました。かなり吟味をして通うのに1時間ほどかかるデイケアを選びましたが、これは正解でした。最初はプログラムに参加するどころか、場の人数の多さだけで疲れてしまうほどで、試行錯誤と相談の結果、通常のプログラムが終わってから夕食まで食べて帰るナイトケアの時間だけの通所に切り替えました。柔軟な対応のおかげでひきこもらずに出かける場所が出来たことは大変幸運なことでした。そして一時の入院先だった大学病院の主治医が異動のため、デイケアの患者の診察にあたっている今の主治医になったのが2年ほど前。この時点で一点の光のようなものがさし始めたようです。それから少しずつ薬も減らしリズムを調整することを主眼に日々を過ごしてきました。インドや韓国へホームステイに行くことをやめさせなかった病院やデイケアの主治医の方々の慧眼はするどかった、そのことが復活への大きなモチベーションとなりました。

昨日の重い重い1000円札1枚は、一点の光だったものがはっきりとトンネルの出口として認識できるほど明るくなってきたことを示します。

しかし、大切な友人知人たちの教訓は、まだまだそう簡単には事が運ばず、まだ何度か転ぶこともあるだろうということを示唆しています。ただ、転んでも今の回復プロセスから外れることはなく、衝撃も自分でクッションを作って吸収できるようになるはずです。

12年もうつ病をわずらい、会社も辞め、ついには仕事も辞め、障碍者となる中でたくさんの人が自分から離れていきました。しかし、頻度は少なくとも大事な時には援助をかって出てくれる方がいました。そのうちのお一人が年明けに「本を出版された」ということでご紹介した古沢保さんでした。高校時代趣味の同人誌を作る同士として知り合った古沢さんの文章は、ほんとうに当時からファンが多かったのです。電気曲馬団時代はお客さんとして何度も足を運んでくださいました。ご自身は一時就職されたようですが、縁で書き物をするようになり、連載をもたれていましたし、キオスクで買える雑誌の記事を書かれたこともあります。新しい出会いもありました。その中にはご自身が障碍をかかえていたり、ご家族に重い精神疾患を抱えた方がおられるケースもありました。「なんちゃんだから話すね」という方が何人もおられたのです。

電気曲馬団のつながりが野口体操、パイプオルガン、キリスト教会、とつながり、お世話になった教会の中で得た出会いもありました。この中にも良き理解者がいます。

とにかく書ききれないのですが、4年ごとに大きな転機があり、その度にがらがらと殻を破りながら過ごしてきたのだということが少し分かってきました。明日はお礼と報告の手紙を書く日にしようと思います。多分一ヶ月くらいはかかるでしょう。

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