理念なき小売業
個別の店の名前を書いて、何か書くようなことはやめようとここしばらく思っていました。しかしながら、今回書いてしまいました。いろいろ考えさせられたからです。
日本はお店が多すぎる、いわゆるオーバーストア状態です。これだけ小売店があるのに、なぜ人という資源を大事に出来ないのだろう・・・。大手小売店で働いた体験から、この気持ちは増す一方です。笑顔で働き甲斐を持って働けるチェーンストアはごく少数しかありません。むしろ従業員を数字でがんじがらめにし、それをネタに上司が部下をいじめ抜くというのがほとんどです。だから上を向いてしか仕事ができないし、言われた仕事以上のことをするのが難しいです。
自分はその理由のひとつは理念の欠如、あるいはその共有化プロセスの欠如だと最近思っています。この仕事の目的は何なのか?お客というよりも社会に資する仕事なのか?自分がつとめた会社で、配属先の上司は商品知識と同じ、いやむしろそれよりも重点的に教えてくれたのが伝票のごまかし方、架空売り上げの計上の仕方、上司の機嫌が悪い時の「やっていますよ」というふりをするための商品の仕入れ方、売り方でした。それが出来ないと会社の中で生き残っていくことが難しいのです。自分は伝票をごまかすようなことをするかわりに、上司の付け入る隙の無い売り場を作ろうと朝から晩までしゃにむに働きました。やっている「ふり」ではなく、ほんとうに手を抜かずに要求にこたえようとしました。自分のうつ病は、ベースは崩壊家庭の親の期待にこたえることでムリすることから生じましたが、無茶な働き方をしたことも一因です。
今通所している就労支援センターではさまざまな障碍を持つ人たちが就労訓練をしています。みんなの中で同じ障碍者として作業をしていると、「自分も含めこの人たちの意欲があれば相当のことができる」と思うのです。問題は導く人にあります。「この作業が難しいならこういう風に作業を分解すればいい」など、その気になれば工夫できることはいくらでもあります。数を数えるのが苦手な障碍をもつ人のために必要なロット50個でちょうどいっぱいになる容器を作ったあるメーカーは、障碍を持つ人だけでなく全員の数え間違えがなくなり、不良品率が限りなく0になりました。ものづくりの現場にはこうした「前提を見直し、最終的な目的をはっきりさせ、そのための無駄を省き、部分最適ではなく会社全体、さらには社会全体に資する」という発想のあるところがいくつもあるのです。
ところが小売業ではそういう発想で事業が運営されているところはきわめてわずかです。だから日本は製造業中心の高度経済成長をとげたのでしょう。内需が伸びないのは、需要が無いのではなく小売業の非効率性、硬直性が原因だと思います。だれにどういう商品を提供するのが自分の店、会社の使命なのか。それがあいまいなので、扱い商品のラインナップや陳列場所がまとまらない。だから「店の売り上げが上がらない」「利益が出ない」ということ以上に売れなくなってしまう商品そのものが廃棄されたりする。どんな大量生産の品物でも、人が介在する以上作り手がこめた想いがあります。それを無駄にしてしまう。利益が出ないからと言って人使いが荒くなる。従業員は私物ではないのです。むりは続きません。赤字はいつまでも続けられません。借金はいつか返さなければなりません。理念と目標がよく練り上げられていなければ、商品の陳列棚が省エネでも、それ以上の資源とエネルギーの無駄遣いをしていることになります。
同僚が今でもたくさん働いている流通業界。しかしその潮流が人を大事にする発想にいっていないどころか逆戻り、絞り上げる方向にいっているのを憂慮します。社会に資する小売業の理念をトップが練り上げ、その理念をお題目ではなく実現するにはどうしたらいいのか考えて欲しいと思います。一時的なブームとしてのエコではない、本当の目指すべきものを考えていきたいです。
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