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2010年2月

2010/02/28

知らなかった津波警報

先ほど京浜東北線に乗ったら津波警報で桜木町より先の根岸線内が運転見合わせのためにダイヤが乱れていて、それで初めてチリ沖地震の事を知りました。

マスメディアはこの話題であふれているでしょうが、元々テレビは無いし、ラジオも控えているのでホント知らなかった!でも大事な情報は伝わったので、自分のマスメディアとの付き合い方はこの程度で良いのだと思いました。

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2010/02/25

募金終了

先日複雑な思いを抱えつつ、バナーを貼って紹介した寺町さやちゃんを救う会の募金1億4千万円あまりが多くの方の思いが形になり、目標額を達成しました。これ以上いただく訳にはいかないので口座はすでに閉鎖となったそうです。ただブログにはお礼のメッセージなどもありますので、バナーもそのまましばらく残しておきます。

心臓移植手術の資金はできましたが、これからが本番の手術、異国での手術は本人にもご両親にも相当な負担だろうと思います。そうしたことも乗り越え、無事に生きて帰ってきてほしいと思います。

彼らの心境を少しでも察したいと思い、積読になっていた「小さな勇士たち 小児病棟ふれあい日記」(NHK出版 2003年)を読んでみました。この本は東京の聖路加国際病院小児病棟で繰り広げられる重病(重傷)の子どもたちのふれあいや生き様が書かれた本で、NHKスペシャルで放映されたものがベースになっています。読みながら泣いてしまいました。子どもたちは大人の想像もつかないほどたくましかった。本に登場する子どもたちも親御さんも、関わるみんながたくましくなる。亡くなってしまう子も、その存在は同じ病室から生還した子の中に生きている。

自分も病気に鍛えられた一人です。

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2010/02/24

今週末の国道122号

今週末の122
南鳩ヶ谷駅付近に速度自動取締り機らしきものを取り付けています。またそこから少し南の朝日町歩道橋が週末夜間に撤去されるそうです。中居歩道橋に続き誰も使わない古い歩道橋は撤去されていくようです。鳩ヶ谷変電所の歩道橋もいつしか無くなるかもしれません。逆に武南警察署前の122号と第二産業道路の交差点の歩道橋は、エレベーター付きで「豪華」との批判もありますが、あそこは歩道橋がないと渡るのが難しいポイント。歩道橋も時代を映す鏡の一つかもしれません。

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2010/02/23

今を生きるということ

べてるの家の向谷地生良さんが、「安心して絶望できる人生」(NHK出版 生活人新書199 2006年)で、「自分が今の子どもたちの世代を生き抜く自信がない」という趣旨のことを書いているのですが、自分もこれを読んでまったくそう思いました。

以下は「インド 解き放たれた賢い象」(グルチャラン・ダス著 友田浩訳 集広社)p348からの引用です。

もう一つの実験がある。NIITの調査部門の責任者スガタ・ミトラは、デリーのスラム街に一台のコンピュータを設置した。彼はそれをタッチパッド(キーボードなし)と一緒に境界線を固定した。彼はまた、状況をモニターするため隠しカメラを樹木の上に取り付けた。一週間以内で、正式な訓練は何も受けていない非識字のスラムの子どもたちがネットサーフィンをしていることが分かり、さらに三ヶ月後には一千のフォルダーを作っていた。最も熱心な利用者は六歳〜十二歳児で、彼らは独力でコンピュータの使用法を身に付け、ウェブサイトを閲覧していた。ディズニー・コムが、ゲームのせいで最も人気があった。子どもたちはまたマイクロソフトの画描サイトを好んだ。貧しいので紙と絵の具を使ったことがない子どもたちが、今や紙なしで絵が描けるのだ。そして彼らはいったんデジタル音声ファイルのmp3を発見するとヒンディ語の映画音楽をダウンロードし始め、一日中それを再生していた。

集団の中の好奇心の強い子どもは、コンピューターの基礎的操作を、正規の教示なしに自分たちで覚えるということをこの実験は示唆している。そのことをは、子どもたちをインターネットに接続させれば教師の効率は何倍にも増大するということを意味している。ミトラ博士が別の実験で発見したところでは、一部の九年生(日本の中学校三年生に相当)は教師の助けなしに、自分たちで直接、インターネットから「粘性」といった物理学の概念を覚えることができた。教師の仕事はだから、子どもたちが正しい質問をするよう手助けするだけになるかもしれない。スラムの実験はまた、英語ができないことはある程度まで障害にならないことを教えている。ミトラ博士の<スラムコンピューター>はヒンディ語のインターフェイスを備えており、子どもたちは自分たちの言葉でウェブサイトに接続できた。だが子どもたちはすぐにその使用をやめてインターネットエクスプローラーに戻った。ボース博士は言う。子どもたちは英語の言葉の辞書的な意味は知らないかもしれないが、彼らはすぐに機能的な意味は理解したと。彼らはファイルの発音はできなくても、そこにファイルを保存したり開いたりするオプションが入っていることを知っていると。自転車の乗り方の習得に似ている。彼は言う。「どうやって乗り方を覚えたか、誰も君に聞かない。君はただ覚えたのだ。」彼の望みは、コンピューターがインドでいつの日か自転車と同じくらいに普及することだ。」

あなたはこうした子どもたちを前にしてどういうことを感じるでしょうか?

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2010/02/17

鹿児島のタコスバー

自分の鹿児島の友人がメキシコのタコス料理をメインにしたバーを始めました。
http://www.aqz.biz/Gracias_web/gracias.html

彼は親の転勤でメキシコに住んだことがあり、タコス料理は自宅へ来た友人やお客さんにずっとふるまっていたので多くの地元の人たちの舌にあうはずです。鹿児島へお出かけの節はお立ち寄りください。

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手あれ

先月中旬から、毎日家事が出来るようになり朝9時からは家事タイムになっていますが、疲れがだんだんたまらなくなってきたのとは裏腹に手がどんどん荒れてきています。10代まではものすごいしもやけのひどい子どもで夜も指先に血液が回らず冷たくて眠れないので湯たんぽを入れていましたが20代になってからは冬場にハンドクリームを買っても、少ししか使わず残ってしまうのが常でした。それがこのところは一日3回以上塗っています。掃除は汚れやほこりまみれになるので当然手を洗いますし、炊事は衛生面を考えるとやはりきちんと手を洗う必要があります。洗濯は、洗濯機で出来るものもありますが、結露をとった雑巾洗いも含めやはりよく手を水に浸します。

従来こういう家事労働は女性が担うケースがほとんどだったわけで、スーパーで渡されるビニールの口が開けられない人が多い訳がよく分かって来ました。体質ではなく家事のおかげで手から普通分泌される脂分がないのでつるつるしてしまってあけられなくなるのですね。

6日に換気扇を洗ったときは油汚れを落とす洗剤が一本空になるほどでした。その時は掃除中に指が荒れて出血してしまいました。それで炊事用手袋を使うようになりましたが、極めてやりずらい。

「主婦は家事が出来て当たり前」という考え方は根本から見直す必要があると、自分もあらためて思いました。

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2010/02/16

臓器移植手術

一昔前、商工ローンの取り立てでよく脅し文句に使われたのが、「腎臓売れ」でした。最近では宮崎あおい主演の映画「闇の子どもたち」で指摘されたように、貧しい家庭の子どもが臓器売買の犠牲になっています。日本で15歳以下の子どもの臓器移植手術ができないのは、臓器売買という人間存在の権利を脅かす裏取引を無くすことが出来ないという事実からせめて子どもだけでも守ろうという判断があります。臓器移植手術が開いたのは、生存の可能性を開く事ではなく、人間の醜さでした。金や権力や人脈などの財産の多い少ないで全て決まるのです。

だから臓器移植手術の募金にびた一文の金は出さない。その金でいったいあしなが育英会なら何人の子ども達に金銭的心理的サポートが出来るでしょうか?

それでも今回札幌のさーやというニックネームの子どもへの臓器移植手術の為の募金バナーを貼った苦渋を察していただければ、と思います。臓器移植手術に金を出すのではない。お金の為に娘を殺したという罪悪感を感じなくてすむように。

臓器移植手術なんてものを確立した医師連中を恨みます。

追記:臓器移植に限らず、多くの方の支えで、あるいはお金がかかったけれどお子さんが今では元気に育っている、巣立っているという方は多いでしょう。そんな方はぜひ左サイドバーの下の方に「さやちゃんを救う会」のリンクバナーがありますのでサイトをご覧いただき支援いただければ幸いです。

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2010/02/13

総合スーパーがダメな訳

最近就労を意識するにつれ、以前働いていた総合スーパー(ゼネラル・マーチャイジング・ストアを略してGMSと言われます)での様々な思い出がよみがえってきました。その中でGMSが苦戦している、あるいは部門によってはそれなりの業績を保っているところの差がどこにあるか、おぼろげばがら分かるようになってきました。もちろん以前からこの「商業・サービス業」カテゴリーにはその手の記事が多くあります。しかし、表からでは分からないだけでなく業界の専門誌を読んでも分からない理由が思い当たるようになりました。

GMSがダメな理由は、部門で好業績をあげるとどんどんマネージャー、店長、部長へと昇進していきその分野の専門家が育たないからです。だからこそ、そこにユニクロ、ニトリ、ヤマダ電機などといった専門店がその分野に特化した人材を育て、一からもの作りをすることで消費者の支持を獲得してきたのでした。以前書いたかもしれませんが、私の父は製パン会社に勤めていて50代の頃は知らない人のいないくらい有名な大手スーパーの焼きたてパンコーナーの運営指導をしていました。焼きたてパンというのは大きな製パン会社の工場で生地を焼き上げる直前の状態で冷凍して店へ運び、そこで焼き上げます。前の記事で出てきた「スワンベーカリー」はタカキベーカリーと提携していますが、焼きたてパンの店は大手製パン会社から冷凍生地を買って自店で焼き上げていることが多い。特にスーパーの中にある店はすべてそうです。生地まで自前という店は相当のノウハウが必要なのでケーキ屋さんなども兼ねて相当の修行を積んだ技術者が経営していると思います。父のぼやきの中には「担当者が2年3年かけて育ったと思うとすぐ異動してしまい、また1から指導しなければならない」というジレンマに基づくものが多かったです。

それでも総合スーパーで食料品がそれなりに今までもってきたのには理由があると思いました。他の売り場に配属されると、利益計算も、商品知識(どのシーズンにどういう商材がどのくらい売れるかや、ある商品がどのように作られるのかといったもの)もないままOJT(オン・ザ・ジョブトレーニング=現場で教わる)という名目で現場に配属され、遥かに時給が下だけれども年齢と経験は豊富なパートさん(多くは主婦)の中にひよこのまま送り込まれます。OJTとは言いますが、上司は数字をあげるのに精一杯で新米を1から教育する時間もノウハウもないのです。仮に教育したとしても1年も経てば店や会社の都合で異動してしまいます。特に高卒の新入社員は全くなにも知らないまま、自力で何かをつかむ力のない子は1年経たず脱落していくのです。ところが食品だけは違います。徹底的に現場で仕込まれるのです。数字も商品知識も売り場の管理法も。なぜなら特に生鮮食品は鮮度が勝負だし、衛生面でほんのちょっとでも隙があれば食中毒事故を起こし会社そのものの信用を危うくするからです。産直品は鮮度をアピールするために欠かせませんが利益率が低いので、利益率の高い加工品とミックスして利益額をきっちり稼がなければなりません。そのために丁稚並みに仕込まれるのです。休日出勤や無給の時間外労働はは当たり前です。食品部門の労働時間と非食品部門の労働時間にはすさまじい差があります。加工作業を外注できるようになったのはごく最近のことでしょう。昔ほどは食品部門の労働時間はひどくなくなったと聞きます。

そこまで仕込まれている人材がいるから、かろうじて食品部門だけが崩壊を免れていると言えます。自分が商売の「基礎のき」である簿記も知らずに「粗利益」「営業利益」「経常利益」の区別も教わらず10年も仕事が勤まったのは奇跡的です。労働組合の役員をやらされ(自分のいた会社はユニオンショップ制といって正社員は自動的に全員組合員になる仕組みでした)、下駄履き(無給労働)で様々な教育を受けなかったら、今でも何も分からないままだと思います。10年間の会社員生活で、自分が「分かった!」と本気で納得できるようなことを教えてくれた上司は組合も通じて3人だけです。そのうち2人は、自分がうつ病の悪化で退職した頃、別の理由で会社に見切りを付けて辞めています。

専門家も育たないし、マネジメント職も社内政治に長けていないと業績が上がらないので、マネジメント力のある人は少数です。社内政治のすさまじさ。社長や実力のある経営幹部が店の現場を回る時には、事前に人事部や管理部から知らせが行きます。店長は総力を挙げてそれらの人がなにを聞くか、なにを見るか予習して、それに対する模範解答を出すよう部下に強要します。まるで先日の日経ビジネスで元新日鉄副社長が現場に出向いて道路公団の管理職と話をするときの「お役所体質」と揶揄した情報ネットワークが民間の、消費の最前線で繰り広げられていました。利益を出すことより自分のぼろを出さないことに注力する中間マネージメント層が大多数という体質の会社の経営が悪いのは当たり前でしょう。小型店で人的パワーが少ないのに毎日2時間、会議と称して社員のつるし上げをやっている店長、それをしらないふりをする人事・管理部門、本気で問題にしない労働組合。みんな共犯です。

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障がい者就労支援制度の全体像 その2

その1では中身に全く触れないままでした。

障害者自立支援法が出来るまでは、統合失調症などの障がいを抱えている人の就労先は授産施設か作業所しかありませんでした。これらは「福祉」の枠組みという建前があり、都道府県別の最低賃金以下の給料でもいいことになっていました。これは今でもそうです。ヤマト運輸の元会長だった故小倉昌男氏はその実態を「福祉を変える経営」(日経BP社 2003年10月)の中で指摘しています。そして1993年に保有していたヤマト運輸の株式のうち200万株(当時の時価で24億円)を拠出し「ヤマト福祉財団」を設立、役所の福祉制度のもとでは障害者は自立できないと福祉施設の施設長や職員を対象に経営セミナーを開くほか、「スワンベーカリー」という焼きたてパンの店を広島のタカキベーカリーと共同で立ち上げました。この「スワンベーカリー」は大変好評で業績もよく、今はフランチャイズで店舗を広げていますがフランチャイズ1号店が十条店(東京都北区)でした。スワンベーカリー十条店の取り組みは、今や多くの北区民に知られており、埼京線十条駅前に最近出来たNPOのカフェ&集会場でも朝の通勤客に焼きたてパンを販売して好評です。

しかし、そうした先進的な取り組みにも関わらず福祉施設のほとんどは未だに中身があまり変わっていません。が、障害者自立支援法はその状況を少し変えました。現在授産施設や作業所は公式の名称が次のように変わっています。

就労移行支援
就労継続支援A型
就労継続支援B型
自立訓練(生活訓練)
生活介護
地域活動支援センター
身体障害者通所授産施設
知的障害者通所授産施設
知的障害者通所更生施設
精神障害者通所授産施設
精神障害者小規模作業所

このうち上の3つが就労へのステップとして大きな役割を持っています。就労移行支援施設とは2年を限度に就労することが前提の福祉サービスです。この施設の運営主体は当事者一人当たり1日7828円の費用を受け取り就労に向けての訓練を当事者に施します。サービス内容は個々に応じてアレンジされます。そして2年以内にサービス利用者が就職し、5ヶ月以上就業が続くと運営主体と雇用企業に補助金が出る仕組みになっています。

この就労移行支援サービスは2年の限度があるため、生活リズムが整っていて毎日決められた時間に通所出来ることが要求されるらしいのです。自分の場合は次のステップというイメージです。

就労継続支援サービスは期間の定めのないタイプになります。A型は雇用契約となり法定最低賃金が適用になりますがB型は工賃契約で、事業(多くは内職のような一つあたり○銭という仕事です)収益に応じて通所者に分配されます。

これらのサービスを受けるためには利用料がかかります。就労移行支援の一日あたり7828円の費用は市町村が利用申請した当事者に対し現物支給する形になっています。ただし、費用の1割は自己負担なのです。通所すればするほど費用がかかる仕組みになっています。これが「自立支援ではなく自立阻害」と言われるゆえんです。世帯の所得に応じて減免制度があり、自分は一人世帯で障害年金生活なので上限は支払うのに問題ない程度の額ですが、何らかの理由で世帯分けできない場合、例えば夫婦の一方が利用者という場合はもう一方が生活を支えるために稼げば稼ぐほど費用負担の上限が高くなります。

分かりにくい話なので図を使いたいのですが、ブログに図を埋め込む方法を調べる余裕がなさそうです。今日のところはここまで。

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2010/02/11

日記30冊分のうつ病記録

今日、自分の快復をはっきりと認識しました。とうとう明日はどうなるか分からないというのではなく、間違いなく朝問題ない時間に起きられるという自信をもって、朝7時に起床、朝食のしたくも手早く、ただしいつもよりかなり早いので少しゆっくりし、それでも7時40分には家の掃除を再開しました。すさまじい「片付け」を午後3時までやりました。掃除と片付けは違うもので、大掃除と片づけをいっぺんにやろうとするとものすごいことになります。片付けは古い書類や手紙、本などレターケースや本棚、収納箱をすべてひっくりかえし、「今も必要かそうでないか」の区別をつけていく作業です。その過程でレターケースにたまったほこりもとりながらやりましたので、掃除機を何度かけたか・・・、ほこりとりで手も真っ黒、ほこりとり用の化学雑巾が一束なくなりました。

これだけやったら、今までなら翌日完全に沈没、起きられず寝込んだことでしょう。

すべてのレターケースをひっくり返したら、10年以上前の会社勤務時の会議録やら当時手伝っていたダンスパフォーマンス集団(劇団とはもう定義できない時代でした)「電気曲馬団」の会計簿や企画書、今は封鎖された郵便振替口座の通知書まででてきました。何年に一度かは目にするものが多かったですが、「まだあったんだ、こんな物」というような会社関係の書類まで出てきました。そのなかに大量の日記がありました。8年くらい前からは無印良品のドット方眼のノートに統一されていますが、12年で30冊くらいありました。その中の一部、8年前埼玉スタジアムでワールドカップがあった頃のものを読んでみると、苦闘のあとが読み取れました。ただ、すごいのは診察で当時の主治医に話した内容、カウンセラーに話した内容とそれに対する主治医やカウンセラーの反応、そして自分の気づきや感想が克明に記載されていることです。これはうつ病を発症してから当時の主治医に徐々に習慣付けられたものです。

どうも30冊を振り返るなかで、今も陥りがちな人間関係上の失敗を振り返ることも可能なようです。親に対する気持ちも、少し前までは読むと気持ちが悪くなることがありましたが、今は大丈夫なようです。

今ならこの30冊を紐解きながら、自分自身というものを再認識・再構築していくことも可能でしょう。そうすれば、単なる社会復帰ではない新しい地平が見えてくるような気がします。長い12年、あるいは発病にいたるまでのプロセスを含めれば数十年の格闘の記録から、見えてくるものは案外単純なことではないかという予感がしています。

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2010/02/10

順調ということ

うつ病の回復において、「順調とは、こういうことか!」と思い始めています。

主治医の指示で寝る時間を早め23時に。それをさらに最近22時に繰り上げています。以前は繰り上げても目が冴えて眠れず、夜中にブログを書き出すのが関の山でした。睡眠薬は使っていますが、以前のようなすごい量(今だからそう思える)ではありません。

すると一年前には「コーヒーを飲むためのお湯が沸かせるかどうかが調子のバロメーター」だったのに、そうではなく、起きるとまずお湯を沸かし、朝食のコーンフレークに牛乳をいれて電子レンジで暖めているあいだに沸いたお湯でコーヒーをつくり、コーンフレークと一緒に朝食にします。食べ終わるまで30分。ここから布団を干し、洗濯機をまわし、一回目の掃除機がけ。様々な片付けをして気分が良ければガスレンジや換気扇、冷蔵庫、風呂場の湯垢とりにいたるまで大掃除的なものをしながら脱水の終わった洗濯物を干し、片付けの後のゴミを再度掃除機がけしてきれいにしてから昼食の支度をするかデイケアにいくのです。昼食後週3日は就労支援センターへでかけ、作業所の人々と軽作業、掃除で15時まで、デイケアならプログラムと掃除で15時まで。プログラムも10月までなら診察だけで疲れ果ててなかなか参加できなかったのが、落とすことなくすべて参加できています。15時以降はデイケアでは夕方のプログラムの時間以外は読書(主に英語雑誌TIME)、自宅でも一息ついてから読書に集中して17時半になると夕食の支度をしてごはんを食べるのです。デイケアの場合支度がない代わりに夕方のラッシュにまみれて帰宅するのに1時間かかります。

今までならば18時からが活動時間で特にブログ書き、メール書きにエネルギーを使っていました。ヒポを始めてからはヒッポにエネルギーを使っていました。これらは「こなくても、やらなくても問題は起きない」活動で、体調が悪ければドタキャンをしていました。8年前の日記が出てきて読んだら、派遣の仕事が最長でも2ヶ月しか持たない頃で、やはり本質的には同じような生活でした。出来るときは人並み以上に出来るときもあるけれど、すぐに電池切れ、波が激しくあてには出来ない。昨年まではそういうときの体調がいい時に出来ることが増えることが「順調」なことだと考えていました。

しかし順調な回復軌道にのった(らしい)今だから言えるのは、「体調がいい時」にいくら出来てもダメだということでした。人の信頼を勝ち得ることは出来ない。悔しいけれど病人は病人でした。大相撲で横綱がけがをして長期休場しているとき、周囲のプレッシャーに負けて万全でないのに場所に出て連敗すれば引退でしょう。うつ病患者も同様で、一時的に就労しても長続きしなければ元の木阿弥、それどころか仕事が長続きしない理由を突っ込まれて、面接を受けてもだんだんヒットしなくなってきます。回ってくる仕事も下働き的でどんどん質が悪くなり、そういう場所ではうつ病への理解も薄いケースがほとんどなのでどんどん悪循環に追い込まれていきます。相当のものを犠牲にしてでもきちんと休まないとダメだと思います。

屈辱的なことですが、一度リングを降りたらまた1から信頼を築くしかありません。人と人との信頼関係の中でしか人は評価されないからです。評価と信頼関係がなければ自力で生活費を稼ぐことは無理です。

障がいや病気の種類によっては一生それを背負わなければならないこともありますが、うつ病は違います。違うんだー、と分かってきました。もう一度昔たっていたのと同じリングにたつことが出来るかもしれません。もちろん1からやり直しですが、やり直しの中にも可能性があります。

但し、もう二度と同じ仕事はしないでしょう。長いうつ病生活のなかで、社会復帰は社会進出のためのステップに変わりました。体に無理な負荷をかけないためにも自分には社会進出が必須です。

社会復帰ではいけない理由。自分にとっての「社会復帰」という言葉は、組織に戻ることと同じ意味をもっています。組織の中には政治力学があり、それをクリアしていくのは相当のエネルギーを要するからです。自分が10年間の会社つとめの中で本来的な仕事以外にエネルギーを使わざるを得なかった企業の政治力学に関して、書けたら近日書きます。

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2010/02/09

いまさら知る「谷根千」終刊

谷根千休刊
谷根千という地域雑誌はこの谷中、根津、千駄木というエリアを東京のローカル教養人にとって特別のエリアに仕立てるのに大きな力を発揮しました。古本屋でも欠品した谷根千の号には高値がついています。

今日、日暮里の本屋で谷根千の休刊を知りました。

追記:谷根千は2007年2月に「2009年発行の93号を最終号とする」と宣言していたのだと「ベスト・オブ・谷根千」(2009年2月・亜紀書房)を手にとってはしがきを読んで知りました。まだ町屋堂さんでご好意でお手伝いをさせていただいた頃かもしれません。「ベスト・・・」の再版を機に品揃えをし、売り場の前面で展開するエキュートの中の書店「LIBLO」は、すごいものだと思いました。

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2010/02/07

中国は民主化が先

数日前基軸通貨が移る可能性について書きました。確かに中国はGDPで今年度中に日本を抜きアジアで最大規模になるだろうとダボス会議で竹中平蔵氏が断言した(TIME誌)そうです。さらに日本のように「もう発展はいいや」という態度ではありません。すべての国民に富が行き渡るようにさらなる発展を求め続けるでしょう。経済の規模からいって、NYLONKONの地位はもう揺るがないでしょう。

しかし、言論の自由が保障されない国の通貨が基軸通貨になるとは考えにくい。通貨とは人々が信頼してものやサービスの対価として受け取ることが前提です。当たり前ですね。言論の自由が保障されず、いつなんどき政府の態度が変わるか分からない通貨をみんなが受け取るかといえばNOですね。まず民主化と言論などの統制からの自由化が絶対に必要です。インドはアメリカと並ぶ世界最大の民主主義国家です。昨年の総選挙でも日本の10倍の人口がいるにもかかわらず投票翌日には結果が判明し、選挙結果をすべての党が受け入れています。選挙プロセスに不正があったと主張する党はありませんでした。中国がそういうレベルに達するのにいったい何年かかるのでしょう。それまでは結果として人民元が基軸通貨になることは無いでしょう。

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2010/02/04

今年の確定申告会場

今年の確定申告会場
川口税務署と西川口税務署管轄地域の確定申告会場は昨年まで川口駅西口のリリアだったので、駅から近く便利でした。しかし今年は会場がスキップシティに変更されるそうです。車で行く方は楽になりますが公共交通を使う方はバス利用になるので少々手間になりそうです。

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2010/02/03

雪の鳩ヶ谷

昨日朝の雪で鳩ヶ谷の交通はかなり混乱しました。八幡木方面から川口駅へ向かうあずま橋で雪による事故があり交通規制が敷かれたことで川口営業所管轄の国際興業バスに大幅な遅れが生じました。バスロケで見ていたらバスによっては50分遅れなどという表示もあり、後続のバスの方が先に来ることも多かったようです。国際興業バスのホームページにおわびのメッセージが掲載されるほどでした。自分はたまたま時間的な影響は受けなかったのですが、先発のバスが実質運休だったため大変混んでいました。

バスはこんな状態で、頼みの地下鉄ですが、白金高輪駅でホームドアが故障して一時運転を見合わせたため埼玉高速線内にも影響が出ました。意外に京浜東北線などこのエリアのJR各線は普通に動いたようです。

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2010/02/01

NYLONKON

このタイトル、なんのことだか分かりますか?自分も先週はじめてこの言い方に出会いました。

これはアメリカのニューヨーク・イギリスのロンドン・そして中国の香港を合成した言葉で、意味は世界金融の中核を担う三都市という意味です。

バブル絶頂期、日本円は国際通貨としてはばたく可能性がありました。実際アジアにおける金融センターの役割は、東京が担っていました。しかし日本円はローカル通貨として徐々にその価値を落としつつあります。一方中国の人民元はすでに東南アジア諸国では米ドルよりも通用しやすいというレポートもあります。

日本が不景気であえぐ中、韓国経済は絶好調です。GDP伸び率は日本の10倍の一方、インフレ率は2%台と安定しています。

日本を代表するといわれる企業の凋落ぶりが著しいです。トヨタはプリウスしか売れていないと聞きますが、それは国費を投じて補助金と減税による優遇策を講じているから。トヨタの工場で生産にあたる工員があのプリウスを買えるか、自社の従業員が買えないような値段のものを国費で若干安くして売れているといったってたかが知れているでしょう。日本のほとんどの製造業がこのような事態に陥っています。フォルクスワーゲンと提携してインドをはじめとした新興国(もっともインドはイギリスが来るまで世界貿易の2割を占める大国でした)で売り上げを稼ぐスズキがそのうち日本一の企業になるのではないかという予感がします。トヨタは今のままではアメリカのゼネラルモータースと同じ道を歩むでしょう。プリウスを安くしないのは、せっかくの技術なのだから最初は高く売ってもとをとろうと思っているからだと思います。それは今までなら当然の投資回収の仕方でした。しかし中国もインドもその他のいわゆる新興国も、経済成長のスピードは日本のそれの7倍から10倍以上の速度で進展しています。車を買える人たちがものすごい勢いで増えている、その市場に食い込んでいるところが伸びている。韓国経済が好調なのはその市場にがっちり食い込んでいるからです。

インドのタタモーターが開発した2000ドルカー「ナノ」は、当初その値段でぎりぎり買える層が基本装備で買っていくと思われていました。しかしふたを開ければ、ほとんどの買い手がオプション装備をつけて自分流にカスタマイズしています。先日ソニーの広告で「余分はいらない、十分が欲しい」というキャッチフレーズがありました。しかし、ソニー製品は余計な装備がとても多くてカスタマイズしにくいです。ウオークマンは明白にI podを意識していますが、I podにかなわない。それはソフトウエア(アプリケーション)を囲い込んで、利用者が自由にカスタマイズできないようになっているからでしょう。

TIMEを読んでいると、アジア版であるにもかかわらず日本の記事の少ないことに衝撃を受けます。観光ガイドの記事として沖縄が紹介されたり、コラムで自殺を思いとどまらせる相談役がいるという話題で福井県の東尋坊が取り上げられたりしていました。

世界中がグローバルにつながって様々なうねり(プラスもマイナスもありますが)を起こしているというのに、日本人の関心は少ない国内の利権の奪い合いに終始していて、将来的にもっと成長するというモチベーションがほとんどありません。世界の中で主導的地位を築こうという大局観に基づく動きが全く感じられません。

米ドルが世界の基軸通貨である時代は終わりを告げつつあります。イギリスポンドからアメリカドルに基軸通貨の地位が移るまで30年くらいかかりました。米ドルもそう簡単には基軸通貨としての地位を譲らないでしょうが、徐々にその時代が終わりつつあることは間違いなく、その肩代わりをするのはどうもユーロではなく、最近よく議論される合成通貨でもなく、どうやら中国人民元になりそうです。「NYLONKON」という造語(ネーミング)はその事実を如実に物語ると感じます。

日経新聞で数ヶ月前、日本有数の大企業の会長が「自宅で何がどこにあるか分からず、妻に怒られ、人に怒られるというのはこんなにストレスを感じるものなのだと改めて思い知った」と書いていました。そんなコラムがどうどうと掲載されること自体に幻滅します。日本航空が抱える問題は多かれ少なかれ日本の大企業や役所が抱える問題です。甘い再建策で再破綻が噂される日本航空の姿は、この国そのものの姿を暗示していると思えてなりません。

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