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2009/09/23

八ツ場ダム・川辺川ダム計画中止に思う

このダム計画中止はとっても大きな意義があります。動いてしまったプロジェクトは止められないとの既成概念があり、とにかく動かすことが利害関係者にとっては重要でした。すでに数千億円がつぎ込まれていようとなんだろうと、その先にさらに無駄な支出をする必要はないです。地元住民の反発はもっともです。数十年にわたる大型公共工事によって生活をずたずたにされてしまった地元の人たちにとって「何をいまさら」と思うのは当たり前。有明海の干拓事業のように、漁業で食べていた人たちが干拓の悪影響で食えなくなって土建業者になって生計を立てているために容易に事業を中止できないという本末転倒の事態も起きています。「地元住民」が「必要」というのはそもそもおかしな話。地元のために作っているわけではないからです。手段が目的化している例のひとつで、この種の誤謬が日本社会には満ち溢れています。集落移転にまつわる補償金などのお金をどうするのか、建設工事に従事する地元の人の雇用をどうするのかといった、本質的ではないけれどきわめて重要な問題を解決する必要があります。

しかしダムに「治水の役割」が担えないことははっきりしてきています。「利水」の役割しか担えないダムには「山の栄養分や土砂を海に運び込み河口部の生き物を支える」自然の生態系を壊すデメリットを超えたメリットがあると考えられる場合にのみ作る必然性があり、しかもその評価が変わってきた場合にはいつでもストップする柔軟な対応が欠かせないと思います。

ここで対応を誤れば無駄に国土を傷める建設行政が軌道修正できないということになってしまいます。逆にすでに着工済みの大規模工事でも状況の変化に応じて中止する前例とノウハウをつくることは、低成長あるいはマイナス成長の日本という国が身の丈にあったしなやかな対応をあらゆる場面で行うモデルになりえると考えます。そういう意味で自分の鳩山政権と前原国土交通大臣への期待は大きいです。

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