「問題」のありか
昨日の「問題はあなたです」の記事を読むと、ちょっと配慮が足らない気がして付けたしです。が、別記事にします。
「べてるの家」が全国的に有名になったおかげで、「べてるの家」や浦河赤十字病院には全国から様々な人が押し寄せるようになりました。自分ですら浦河まで行っているくらいです。ところが、中には誤解をしている人もいるようです。「べてる」は決してユートピアではありません。「べてる」にいけば問題が解決すると思っている人がとても多いらしいです。たとえばお子さんの統合失調症を治そうとして両親が当事者とともに浦河赤十字病院へ受診しに来るケースもあるそうです。そんなとき病院の川村医師は「どちらから先に手をつけようか」と思うのだとか。つまり当事者よりもむしろ治そうと必死になる親のほうがずっと病的だということです。べてるの本をよく読めば分かるはずですが、あそこはむしろ問題だらけなのです。病気という現実と徹底的に向き合わされる場所。だから「病気」のカテゴリーにない、いわゆる健常者でさえべてる流にいえば「病気が出てくる」のです。メンバーはもちろんスタッフもほとんどが当事者ですからいざこざは絶えないし、「安心してサボれる会社作り」なんていうのが理念になっている以上世間の常識はほとんど通じないと思ってもいいでしょう。「べてるの家」は「それはあなたの問題でしょう?」ときちんと返してくれると言う意味で画期的なのであって、悩みだってむしろ増えるかもしれない。あそこでやっていくのは相当大変だと思います。
「べてるの家」を自分でやる、つまり浦河でなくとも自分自身をとりかこむ現実と徹底的に向き合うと言うことのほうが「べてるの家」のメンバーになることよりずっと現実的なのではないかという気すらします。
自分自身のたな卸しをするのは、経験者でなければ分からないほど実に厳しく大変な作業です。精神病のほんとうの大変さは薬でなんとかなる部分ではなく、あるがままの自分をごまかしなくすべて自分自身でうけとめられるようにならざるを得ない、その修行のようなところです。
ですから昨日の記事に書いた「問題はあなたです」の「問題」のありかは、親であること以前に自分自身ときちんと向き合えていますか?ということなのです。自分自身が嫌いな人が親になると、自分のいやな部分を自分の子どものなかに見ることを嫌います。だからまるで消しゴムで消そうとするように子どものもっている性質を消そうとします。それはしかしあるがままの子どもを受け入れていない・・・つまり愛していないということにつながるのです。だから子どもに無理がかかるのです。親が自分自身を受け入れていられれば、自分の子どものことも無条件に100%受け入れることができます。
そこが見えずに外部に何かを求めてもむなしく時間が過ぎるだけです。そういうことを言いたかったのでした。
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