とても難しい「できるけれどやらない」
今年の自分の目標は「できるけれどやらない」です。なんじゃそりゃ?というかんじですか。
今までの自分は「自分でできることはやる」がモットーでした。そしてその結果として週に2日くらいは完全沈没(トイレしか行けないで寝たきり)の日が出ていました。それを何とかしようという意識は希薄でした。普通の人並みにできて当たり前で、結果として沈没する日があることが自分の「障害」ととらえていたのです。しかし昨年主治医が変わってからこの方針は積極的に直すように言われてきました。波をおだやかにすべきだ、そうでないと社会進出以前に日常のベースとなる生活ができないではないか。
そういわれても自分をセーブできない時間が長く続いていました。セーブできないことよりも人並みのエネルギーで活動できないことのほうが自分にとって大きな障害と考えていました。実際ひっぽの活動に参加するのはかなりのエネルギーを消費するので、ある程度テンションをあげないと、特に初対面の人が多いケースではこなすことができないです。基本的にやっていることは一緒なのですが、それでも初参加の地域ではどんな流れになってもついていく柔軟性が必要です。学校ではないので自主性がもとめられるからかな・・・。
先日買った「発達障害当事者研究」(医学書院 2008年)はアスペルガー障害(自閉症のひとつ)の当事者が、自分の感じている世界を言葉としてつむぎだした画期的な本で、日々をすごすことのどういうところが大変なのかがものすごくよく分かります。その執筆者があとがきで「しかし、家事、具体的には『買い物、炊事、洗いもの、片付け』、この四つは特に、情報を絞り込みまとめあげる作業そのものであり、(中略)私に多大な負担をかけるのである。それらの仕事を、わたしは決してできないわけではない。『ゆっくりていねい』でよければ、むしろ人よりうまくできるかもしれない。しかし日々の生活というのはそういうわけにはいかない。朝ごはんは七時一五分までに作らなければ家族が遅刻してしまう。(中略)母親が苦もなくこなしているのを見てきて、自分も当然できるのだろうと思っていたし、実際、自分もなんとかこなしていたので、実はそれが自分に多大なる負担をかけていることに気づかなかった」そうです。そこで「がんばればがんばるほどできる範囲は広がるし、『できるできない』の境界線があらかじめ引かれているわけでもない。だから『できるできない』の二択ではなく『できるけれどもどれくらいの負担が伴うか』と量的に伝えて『できるけれどもやらない』と周囲に伝えることが大事」とアドバイスを受けています。
長々引用しましたが、まさに自分の問題はこれだと思いました。「できる」からなんでも引き受けているのではダメで、「できるけれどこのくらい疲れるからやらない」という判断をつけること、それを周囲に伝えることが自分の本当のリハビリであり課題であると認識したのです。
こんなに小難しく納得させないと自分は動けない。頭でっかちといわれればその通りです。ただ前掲の本で「健常者と障害者、あるいは障害者どうしもスペクトラム(グラデーション)になっているので『同じでも違うでもない』という人と人との相互理解が必要だ」とあって、「なるほど、別に障害ととらえて小さくなる必要もないか」と思ったら、本当に自分の個性として伝えていく、それでも受け入れてくれる人たちともっとつながりたいと考えられるようになって、「できるけれどやらない」と周囲の人に言って休みながらこなすことに抵抗が薄れてきたような気がします。実践するのは難しいのですが、今年の新たなチャレンジとして取り組みます。
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