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2009/02/08

3週間で変わるものか

先週の日経ビジネス特集

セブン&アイの破壊 鈴木敏文会長、最後の大仕事

セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長が「破壊」を始めた。
前例主義という過去の破壊、成長限界の破壊、セクショナリズムの破壊――。
そして100年に1度の不況破壊に挑む。

だって。読んでみてあまりにも「上から」目線なので苦笑してしまいました。日経の雑誌がセブン&アイを取り上げるとき、すべて鈴木敏文視線になっている。馬鹿馬鹿しくってしゃれにならない。

だって、この特集が組まれた日経ビジネスを読んでもまだ現場を変えられないどころか変える気のない営業部長・商品部長・店長がごまんといるのですよ。ある店を先週訪れたら店内放送がかかっていて「ヴァレンタインコーナーへぜひお立ち寄りください」とのこと。店の入り口にどかんと構えているのに店内放送しなければならないほど客がいない。売り場では「お買い得品の一例として・・・」とラジカセのテープだかなんだかに吹き込んでエンドレスでずっと流している。たまに社員がエスカレータ口に来て「タイムサービス」といって衣料品を値下げ価格からレジにて5割引にするという。どうせ5割引にするなら客がいないないんだから営業時間中ずっとやればいいと思うのにそうはしない。これはつまり店長に向けて「私は仕事しています」とアピールしているわけです。店長は営業部長クラスから「3週間で店は変わるんだ。3週間で成果を出せ」と檄を飛ばされている。そんなこといったって権限もアイデアも、もっといえば自分で考える能力も時間もない店長ができることといったら部下のつるし上げです。「客がいないからといって遊んでいるんじゃない。3週間で店は変わるんだ。何でもやれ」と怒鳴る。するとさらに時間も権限もない社員や売り場のパートさんがすることはラジカセの吹き込み、店内放送、タイムサービスの「不振店の三種の神器」に走るわけです。

ちなみに「3週間」とはなんのことか。売り上げ不振の西新井店を「ザ・プライス」というディスカウント店にしたら売り上げが2割以上増えたので、それに続く川口店(旧イトーヨーカドー川口駅前店)を3週間の突貫工事でイトーヨーカドーからザ・プライスに変えたらやはり売り上げが上がったという話です。

3週間で変えたのはいいけれど変える前に扱っていたごみ在庫は捨てるはずもなく、どこか別のイトーヨーカドーに移動しているはず。入荷したときから明らかに不良在庫な商品を移動された店はたまったものじゃありません。各店長は「川口駅前店からの在庫移動は一切受けるな」と社員に口すっぱく言っていたはず。それでも商品部にごねられて無理やり移動されちゃうのは何もわからない入社数年の社員が担当する店。当然店長はこの若い社員に大目玉を食らわします。「会社の政策」なのに・・・ですよ。会社の政策なのにそれに従わない店長はじめ中間管理職がたくさんいるのは「抱えているノルマ」はなにも変わっていないからです。だから全体最適より部分最適に走るわけです。しかも今の店長クラスはイトーヨーカドーが全体主義で「どこのイトーヨーカドーに行ってもすべて同じ売り場ができている」と問屋や玄人筋の雑誌から絶賛されていた時代に売り場にいた人たちです。この人たちは「上司の言うとおりにしていることが、上司の意図を汲んで120%以上言われるとおりの売り場をつくる」ことが一番の美徳だった時代を過ごしているのです。0から商売を考えられるわけないじゃないですか。しかも多くの管理職がこの業界特有の事情、つまり「土日休めない」ことから、社内結婚しているのです。よそからの視点は限りなく0。会社の政策も「今週の日経ビジネスでこんな話になっているけれど」と外部の雑誌から知る。「だから営業部長が3週間、3週間と目を三角にして言うわけだ」。・・・てな状況でしょう。

組織の問題をないがしろにしてトップマネージメントや「できる社員」だけが飛び回る姿はカリスマと呼ばれた藤巻バイヤーが「pbi」をつくって大失敗したのと酷似する状況です。イトーヨーカドーの中間管理職は今、鈴木敏文会長の言うことを真に受けてなにかやって失敗したときにこうむる自分の惨状を想像して「やっているふりだけしよう」と強く心に決めているでしょう。

3週間で変わるわけがない。

トップダウンでなんでも変わる「成功体験」から抜けられないのは他ならぬ鈴木敏文、その人なのです。

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