うつの発作
今日午後3時くらいまでは元気だったのですが、そこから気分が急降下。めったにないくらいの憂うつ気分に支配されてしまいました。メールを書いたり年賀状のお返事を書いたりしなければと思いつつまったく手につかず、鳥山敏子さんの「ワーク」の本を読んだり、性犯罪に巻き込まれた人の手記を読んだりしてますます絶望感が増してきていたたまれなくなってきてしまいました。「これはまずい」と思って、起きていることを日記に書き取って「これを診察のときに伝えよう」と思ったら少し楽になってきました。まだまだこういう発作みたいなものが突然やってくるんだなとびっくり。いつ買ったのやら小林美佳さんという方の手記がうちにあって、読んでいくと「自分とまったくではないけれど同じ」ところがたくさんありました。自分が人間として扱われていない感じ、それが昂じて自分を無価値に感じてしまう心境、犯人をどうこうするよりまず自分をケアしてほしいという切実な気持ち。とにかく周囲に自分が人間であることを認めて無条件に丸ごと受け入れてほしい。それがとても難しいのは周囲の無知のせいで誰も攻められない。
いたたまれなくなるまで読み込んでしまいました。こういう毒になる本は早く捨てろとまた主治医に言われるだろうなあ・・・なんておもうところまでなんとか落ち着いてきました。でもトラウマのない人は逆に読んでほしい本だと思いました。
重ねて書きますが、嫁姑問題というのは姑が自分の伴侶に男を感じられず自分の息子に男を感じることから生ずる三角関係なんですよ。心理的問題の影には往々にして性の問題がからんでいるようです。DVがこれだけ問題になっていて、でもまだまだ氷山の一角だと思われるし。性のことを知るというのは生き抜くための必須条件だと思います。心理学でこういう問題がよく取り上げられるのは当然といえば当然なのかもしれません。
ついでだから書きます。って、いうのがちょっと異常テンションだと自分で感じつつ書いちゃいます。たいしたことではないです。
自分はほぼ毎朝NHKラジオのラジオビタミンという番組を聞いています。その番組のインタビューコーナーにずいぶん前に出た作家で佐川光晴さんという方がいます。インタビューを聞いてその方の代表作だという「金色のゆりかご」という小説が読みたくなり、買ってしかし「積読」にしてありました。先ほどからこれを読んでいるのですが、舞台が与野ということもあって引き込まれています。高校三年生の女の子が望まない妊娠をして7ヶ月になり、胎盤剥離しそうになってコンビニに駆け込むところから物語が始まりますが、その主人公須藤まりあが子どもを生む気でいるのに世間体の大事な母親から、違法を承知で堕ろすか生まれた子を母に託して人の知るところとならない形で幕引きをはかることの2択を強要され、「まりあは、あらためて、自分が孕んでしまう性であることにおそれを感じ」てしまいます。日本の女性はそういう危険からあまりにも無防備なままにされていると感じます。「できちゃった」婚(最近はおめでた婚というそうですが)が世間的にほぼ容認されてしまって、ほんとうに怖い。最近どこぞのお医者さんが「生むって事は死ぬかもしれないということ」だとブログに書いたら大騒動になったそうです。でも赤毛のアンだって、アンが孤児なのは母親が体が弱く、アンをこの世に生み出すと同時に亡くなっているからだし(おとうさんもごく小さい頃に病気でなくなったことになっています)、アン自身も初産のとき命を危うくしています。最近妊婦のたらいまわしが問題になっていますが、その中には産科を一度も受診していないためにリスクが大きすぎて受けられない妊婦が多いのだとも聞きます。
命が大事だというのならば、こういうリスクを包み隠さず知らしめるべきです。性のことはタブーで、でも生まれた子を育てられないために熊本の病院に託すのは許せないなんて・・・!こういう倫理のゆがみがこの社会での生きづらさを助長しているように感じられてなりません。
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