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2009/01/05

今こそ「古き泉は新しき水」

今日発売の経済週刊誌のうち2誌の特集がデフレ。読んでみると「資源価格高騰で一時的に物価が値上がりしたように見えたが、実はそれまでのデフレから脱却しておらず、連続して物価は下がり続けている」というのが一致した見方のようです。物価が下がるのは何しろ売れないから。それはそうでしょう。賃金は上がらない、正社員採用されないので将来的な安心を持ってお金を使えないのだから。需要はあるのです。医療・介護・教育です。特に介護は切迫しています。夫婦の合い方が倒れたり認知症になったり、あるいは親がそうなったりするとお金も労力もほぼ全部そちらに費やさなくてはなりません。自分の親のことを「早く死んでほしい」と思わなければならないほど切迫している人が大勢います。

人に貸していて手元にないのでだいたいの記憶で書きますが、べてるの家にまつわる本を何冊も出している、元共同通信記者の横川和夫さんが「その手は命綱」というタイトルで出している本があります(太郎次郎社)。新潟で介護を有料ボランティアの互助で行う仕組みを作った方がいて、それを取材したものです。その方は大阪で仕事をしていたのですが親御さんが倒れて要介護になった結果、仕事をやめて新潟へ。そして24時間の介護で疲れきってしまい、こうした互助組織を試行錯誤の結果作り上げました。その方の話の中に「介護で疲れて親を恨むようになるのは悲しいこと。介護は別の人の手を借り、葬式のときに心から残念に思える仕組みが必要」というのがありました。

そもそも医療から介護だけが抜き出されたのは医療費の膨張を抑えるため。それまで今の「介護」という概念のことは医療の中で行われていたのです。国の財政が持たなくなるからといって高齢者医療を「介護」という形で別枠にし、介護保険という仕組みまでつくったのに「金がない」といって支給を抑制する。それは家族崩壊を助長し、能力のある人を家庭に囲い込み、不幸を助長するのです。

「社会保障費の膨張は国を滅ぼす」というのが厚生労働省の考え方です。しかし経済の仕組みをストレートに考えれば、必要ないものが淘汰され需要のあるところにビジネスチャンスや雇用が生まれるのです。いかに柔軟に物事を考えられるか、仕組みを変えられるかが問われるのです。

「100年に一度」の経済危機といわれますが、最初に使ったとされる前FRB議長グリーンスパン氏は、実は「世紀に一度の信用津波」と言ったので、それをマスコミが勘違いして使っているようです。「100年に一度」という言葉が2009年の流行語として名を残すのではないかというほど、何かというと枕詞に使われます。しかしこの程度の不況が、次に来るのは100年後なのか?そんなわけはないです。社会の仕組みが人々の求めていることと合致しなくなったとき、またこうした不況が来るはずです。アメリカ一国が主導したとよく説明されるグローバリゼーションも、「不都合が多いから元に戻す」という選択肢はないのです。現にインターネットが発達し、航空輸送網が発達しました。人と人、地域と地域を線で結ぶ時代から点と点で、しかも圧倒的なスピードで結ぶ時代になったのです。それに対応した産業やサービスを興し、雇用を生まなければなりません。

こんな風に考えるようになったのはインドの影響が大きいです。インドでは仮に空調の効いた快適なオフィスで、高い給料をもらって働いている人でも、一歩町へ出るとそこには「貧困」という言葉に象徴されるもので満ち溢れています。多くの人が「この国をもっとよくし、貧困をなくしたい」という気持ちで新しい産業を興しあたらしいサービスを提供しているのです。だから人々の目がきらきらしている印象があるのです。自分がひきつけられているのもそこなのです。もちろんうつ病をひとつの個性ととらえ、この状態のまま社会進出することが自分の目標ですが、インドと出会ったことで「子どもたちに希望と生きるすべをあげたい」と思うようになったのです。自分ひとりでできることには限界がありますが賛同者は現地にたくさんいます。そういう人たちと手をつなぎよりよい社会を作りたい。仮にそういう目標がかなえられずテロで不慮の死をとげたって、日本で家賃分にしかならない障害年金をもらいながら「役立たず」のままこの先10年も20年も生き続けるよりよっぽどましだと思ったのです。

おそらく日本が高度経済成長を成し遂げることができたのは「敗戦」という大きなショックがあったからでしょう。今のインドと少し似ています。ショックがエネルギーになるのです。

もちろん日本で自分のようなものでも働けるしくみができればまた別でしょうが、そのときは現地で培った英語やヒンディ後やその他の言葉という道具を使って、もっといろんな分野に尽くせるような気がします。

同じ水がよどんでいてはダメなのです。泉が泉であるためには常にこんこんと新しい水が湧き出す必要があるのです。京都の御室仁和寺で出会った言葉です。だから数百年同じメッセージが発信されているのです。こんな時代だからこその「古き泉は新しき水」だと思います。

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