自分を感じる
人間みんな生まれたときは親との一体感があるのだと思います。それが成長するにしたがって自我が育ち、やがて親離れしていけるのですが、母親のペットだった自分(これは感情で書いているのではなく客観的にみて)は自我がなかなか分離しなくて、そのせいか「これをやりたい」という気持ちがなかなか育ちませんでした。中学校のころから演劇に興味を持ち、高校では演劇や落語をやっていましたが両親とも良い顔をしませんでした。成績も悪かったので事あるごとに「部活をやめろ」といわれました。強制的にやめさせられなかったのは幸いでした。
今でこそ「たくさんの情報をとりこんでそれを分かりやすく人に伝える」というのが自分の得意な事であり、だからこそ小中学校ではクラスの同級生に勉強を分かりやすく噛み砕いて教えてあげる事で、実はそれが自分自身の勉強法だったことも分かっています。新聞を書くのが大好きで中学校でも日刊の壁新聞を書いたり高校生からは同人誌(死語ですね)を書いたり、今こうしてブログを書いたりしているのは習性といってもいいでしょう。
自分が親から切り離せなかったとのと同様、他人と自分の違いをくっきりと認識できるようになったのは大学受験のとき。普通の問題は答えがありますから勉強すれば同じ答え(正解)が出てきます。しかし小論文はいくら書いても同じものが書けない。書いても書いても書けないので「なぜだろう?」と真剣に考えて、結果「自分は自分なんだ」と悟った経験があるのです。めちゃめちゃ遅いですね。
みなさんはどうやって「自分が自分であること」を悟りましたか?
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