タブーをなくす
日本ではお金の話題と性の話題はタブーととらえられ、なかなか大きな声で話せない部類のことです。しかし万葉集などを読むと、昔は性の話題については随分オープンだったのではないかと思われる節があります。つまり世の中の変化に応じてタブー視される必要のあるもの、そうでないものがあるということです。
現代はインターネットで様々な情報が瞬時に検索され知ることができる時代です。そういう意味では「隠す」ことはむしろ逆効果になるケースが多いのです。子どもたちに見て欲しくないサイトをフィルタリングするだけでは対処療法のいたちごっこで、結局悪用する人間がたくさん出てきて問題解決方法としてはダメだと思います。
日本人の買春ツアーのように海外にまで恥をさらす、傷を負わせる人たちを、あるいは世界的に糾弾されている日本の児童ポルノに対する規制の甘さなどを根本から変えていくためには、私たちの社会そのものを変えてこれらのタブーをなくす必要があると自分は強く考えています。
まず性の問題に関するタブーに関して、見方を変えていただくために「デンマークの子育て・人育ち」(沢度夏代ブラント著 大月書店 2005年11月)の中身を引用します。
ひと昔前のこと、デンマークを含むスカンジナビア諸国は「フリーセックス」の国と、少々わいせつさを含むレッテルを貼られていた時期がありました。これは、日本人の大きな勘違いで、誤解が一人歩きしていたようです。(中略)その本来の意味は「偏見なく性について話す」ことであり、その大きな目的は、性感染を防ぎ、個人の家族計画を可能にした上で、「望まれた子」の誕生をめざすことです。(中略) どうも日本では一般的に、「性」という言葉は、「陰」にとらえられる傾向があり、発言はタブーに近いところがあります。しかし、性の問題は、人権問題を含む男女平等の発達、妊娠のコントロールを可能にする、エイズを含む病気の予防、社会的な犯罪の減少など、広い分野に大きな関係があることを認識したいものです。幼子から思春期そして青年期に、「正しい性の情報提供」を行うことが子どもたちの健全な成長を促し、やがて健全な社会生活を営む基盤の一つのなっているように思えます。(中略) 私のデンマーク生活が始まって間もない1970年当時、テレビの番組で全裸シーンが放送されていました。しかも、まだ夜の8時代、日本では目にしなかったシーンが、子どもたちもまだ起きている時間に放送されていて、テレビ局の無神経さにあきれたり、驚いたり、目のやり場がなくて困ったのを覚えています。私は「こんな場面を、子どもが起きている時間帯に放送するなんて信じられない」と話し、すっかり夫が同意すると思っていました。ところが彼は「人間の裸は現実だし、隠せば覗きたくなるのは人間の心理でしょう。いつも見ていれば、悪質な興味とならないのでは」と、反応してきました。「うーん、なるほど」と、私がそれまで馴染んできた考えと全く逆の発想だったので、ちょっとしたデンマーク社会入門時のカルチャーショックでした。(中略)
書きかけですがとりあえずここまでで一度公開します。あとで書き足します。
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