はっきりした限界
木曜日の診察で、「チチタオレル」を知ってからの心の動きを全部はなそうとしました。そしたらびっくりするほど動揺してしまいました。診察といえば長くても5分勝負と思っている自分は、このブログに書いた自己分析やその他の記事をまとめて印刷して持参しました。で、待ち時間のあいだに読み返したのです。これがよくなかった。一気に動揺が体を襲い、診察室の前でもうろうとしてきてしまいました。結局診察では印刷してまとめた記事をそのまま渡して読んでもらうしかありませんでした。特に数日前に書いた「責任感の強さがあだ」の記事がわかりやすかったです。で、主治医が「これはいつも言っていることだけれどもやっと分かったかな?」というので首を縦に振ると「人に心配や迷惑をかけるから『やらない』のではなく、すべて自分を主語にして動くべきです。誰かの為、あるいはみんなのためにやるというのはやめましょう。こういう言い方がいいならドクターストップです。」といわれました。
それでわかったことがあります。インドへ行く準備だって結構大変なものだけれど、その準備はすべて「自分」が主語なんです。自分がインドへ行って、あわよくば生活して、本を寄贈する・・・全部自分の夢。だから負担感は無い。合宿で失敗したのは「自分が楽しむ」ということをすっかり忘れていたから。合宿へ参加した人たちは口々に「楽しかったー」と言っていました。何のためにそれぞれ家庭や仕事の忙しい合間をぬって準備するかといえば、みんなが集って一泊2日の日程を楽しく過ごすため。そのように認識できれば合宿をドタキャンしなくて済んだかもしれない。「認知の仕方」に問題がある様な気がします。
「自分が生きのびる、楽しむ」と認識できなかった事柄は、その時点で自分にとって「実現不可能」な事になってしまうということです。疲れやすいとか、朝が苦手ということ以上に自分が障害者である現実はここにある、と思いました。
診察後、デイケアでもずっと寝ていました。昨日もほとんど寝ていて、やっと今日こんなふうに頭の中がまとまってきて、そうしたら動けるようになりました。
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