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2008/08/19

これが自分だった・・・。

いきなり引用からいきます。これは長く読んでいると自分の体調を崩す方面の本なのです。

では親とは一体何なのかと問うとき、簡単にいえば(中略)子どもが子どもとして生きることを保障できる人、子どもの命を守る人、子どもが安心していられる場所をつくることができる人(強調はなんちゃん)だといえるでしょう。 子どもが自分の身の危険を感じたり、自分がいいたいことがいえなかったり、したいことがどういうことかわからなくなったりということでは、その子にとって親はいなかったことになります。子どもが子どもとして受けいれられる、また、無条件に(強調はなんちゃん)、その存在を肯定される、生まれてきたことが祝福され、その存在がとても大切に思われて、そこにいる。そういう居場所があってはじめて子どもが子どもとして存在できるのです。親とは、そういう居場所を保証することのできる人のことだと思います。

ところが、そういう大人の親がいないと、小さな子どもでも、子どもでいることができずに、親を守ろうとする親にとっての保護者になってしまいます。たとえば、こんな話を高校教師の和人さんがしてくれました。和人さんが遅くなって帰ってくるのをまだ一歳にならない、十ヶ月ぐらいの赤ちゃんである真里ちゃんが、待っているというのです。真里ちゃんは、お父さんの帰りが一時、二時であっても、小さな鍵の音で目をさまします。そして起き出して玄関まで迎えにくるというのです。真里ちゃんは両親が大げんかにならないようお母さんにもお父さんにも気を配り、ヨチヨチ歩きで、お父さんを機嫌よく迎えに出てくるのです。真里ちゃんは、お父さんである和人さんと小学教師のお母さんである多津さんの仲が悪いのを察知していて、いつも不安でたまらないのです。深夜、和人さんが帰ってくるたび、イライラしているお母さんの心を感じとって、二人が何とかぶつからないようにしているのです。
お母さんがお父さんを怒鳴って、また遅かったのねということから、いさかいが起きていくことに対して、おびえているわけです。二人の緊張を緩和するために、まだ一歳にならない赤ちゃんが起きてニコニコしながら、お父さん、お帰りなさい、という、あまり舌が回らない状態の赤ちゃんが、ニコニコ微笑みかける。そんな小さな子どもが、赤ちゃんではいられないのです。一時や二時まで起きていたい赤ちゃんなんかいません。眠くなったときには眠るのが赤ちゃんなのだけれど、赤ちゃんとして生きることができないのです。
そのように、子どもが小さい頃から緊張する、家の中で不安に過ごしているという例は枚挙に暇がありません。しかし、こういう子どもたちのほとんどは決して親を悪くいいません。親の苦しさを思い出しては涙し、自分の要求を押し殺して親を守ろうとし、守れない自分を責めたりさえもするのです。

10ヶ月の頃からやっていたかどうか定かではありませんが、この赤ちゃんと自分はほぼ同じことをしていました。30過ぎてうつ病で布団から起き上がれなくなっても、いさかいを始める親の間へ体をずるずるひっぱっていって間に入りました。こんな状態の自分が出て行けばケンカを中断するしかないだろうと思って、そうせずにはいられなかったのが自分の親の家でした。

心の痛みを我慢して痛みを感じないようにする為にわざと感覚に鈍感になるようにしました。すると心だけでなく体の反応も鈍感になるのです。自分が小学生の頃に歯医者へ行って、歯科医が神経まで達してる虫歯を発見して「これ、痛くなかったの?」と聞いてきたことがあります。初めは痛かったけれど、痛いのを我慢しているうちに痛くなくなったのです。

こんなことを30年やっていたのですから、多少神経がおかしくなっても仕方なかったでしょう。

書いているうちにやはりからだが緊張してきてしまいました。今日はこの辺でやめておきます。ちなみに引用した本は「居場所のない子どもたち」(鳥山敏子著・岩波書店・1997年)です。

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