2008年8月
2008/08/31
2008/08/29
親に甘すぎ
ライオンは子どもをがけから突き落とすんでしたっけ?
修羅場を経験しない人間はダメだと思う。親なら自分の子どもをがけから突き落とせ!
と、極端なことを書いてみたのは、昨日の「格差世襲」の記事を読んだ時にも感じたことでもあり、今日ある方が送ってくださったメールを読んでまた強く感じた事でもあるからです。親子共依存に対してみんな優しすぎる。なんでそんなに優しいんだろう。特に子どもを私物化する親に対して優しすぎです。
がけから突き落とすことが出来なければせめて「可愛い子には旅をさせよ」。子どもの自立心を養ってあげること、生き延びる力をつけさせる事、自分で考え判断するチャンスをあげる事。これが出来ない親なんかくたばっちまえ。あなた方が子どもをだめにし、ひいては共同体をもだめにしていくんだと思う。今「かわいそう」だから手助けすることが10年後20年後その子どものためになっているだろうか?「かわいそう」と思うのは親であるあなたの主観であり、子どもにとって大きなお世話である事が多いと思う。
自分の加入している生命保険の担当者さんは、ゆくゆく息子さんが自分の作った営業地盤を引き継いでくれることが夢でした。しかし息子さんは引きこもってしまった・・・。自分はその話を聞いて「最低5年はかかりますよ」と話したら「5年も?」といわれました。でも本人にとって自分自身を見つめなおし再構築して、勇気を出して社会に出てくるのに1年・2年なんていう時間はあまりにも短すぎると思うのです。年齢的に大人になってしまう前に一度突き落としておくべきでした。そしたらリカバリーも早いし、結果として親なんかに頼らない生き方が早くから出来たと思う。親と共依存関係で生きるすべも親頼みの子どもはいつか壊れると思う。彼らが親になった時かもしれない。子どもの突き放し方が分からないということになってしまう。そのうち社会が壊れてくるのではないか・・・というか壊れてきたから通り魔事件が多発するのでは。
格差が世襲され、自分が自分の力で生き延びるチャンスがもう無いと悟った子どもたちは、通り魔ではなくカルトに洗脳されてテロを起こすようになるのでは。サバイバルナイフが爆弾になる日は目と鼻の先かもしれません。
世間は親に甘すぎです。
2008/08/28
格差世襲
今週の週刊ダイヤモンドは特集が政治家や公務員、官僚、企業経営者の世襲問題を取り上げています。これは皆さん図書館などで良いので是非とも読んでください。コネとカネが無ければこの国ではもはや浮き上がるのが極めて困難な事がビシビシ伝わります。こんな国で良いのか考えてみるべきだと思います。
本当はしゃれにならないけれど
我が家の大掃除をしています。もちろんあさってのベトナムからの来客のためです。ここだからつぶやきますが(といってもこのブログは知人友人がほとんど見ているので人知れずつぶやくことにならないな)、しゃれになりません。九州へ出かける前から問題ありの部屋だったのですから、すごいです。とりあえず朝ゴミ袋2つ、午後3つ出してようやくなんとか終わりが見えてきました。
これでも人を呼べるほどものをバンバン捨てられるからまだ精神状態はいいほうなのでしょう。全然捨てられない、片付けられないという人は男女問わず多いものです。最近は専門の部屋片付け業者なるものもいて、たまにチラシが投函されていたりします。
一番最初の主治医は自分に「人の家へ行ってはいけない。そして人の家に行ってもいけない。なぜなら人の家に行くと自分も人を呼ばなければならなくなるが、そのために部屋を片付けなければならない、それはキミみたいな病気の患者にとってはとても大変だから」といいました。たしかに「うつ」の続く場合はそうでしょうね。
でも自分の違うところは、捨てられない大荷物を持って引越しした経験があるところかも。これは福岡への転居の話。パニック発作を起こして帰郷するわけですが、その都度「一間の荷物の量ではないですね」と言われました。九州へ荷物を往復させて数十万円を無駄遣いしました。だから「これはあとで使うかもしれない」ではなく「これは万一引っ越す時大金をかけてもって行く価値のあるものか」を基準として怒涛のように捨てていきます。この作業はしかし「お客さんが来る」という緊張感の中で徹底的に自分を追い詰めてこそ出来る作業です。そういう意味で自分にとってたまに我が家にゲストを呼ぶというのは物の要不要をとにかく決めてしまうのにとてもいい方法なのです。時間が決まっているということがまた余計な事を悩まずに済む秘訣です。結局捨てて後悔したものなんかほとんど0なんですから。
でもそれをまじめにはなしてもみんな引いてしまいますから、きれいな時の写真を撮っておいて「こういう状態でもてなしました」と冗談交じりに話して笑ってもらったほうがいい。インドのニラージュが来た時も、イランのハミッドさんが来た時も、スリランカのアジスさんが来た時もこうやって片付けてきました。
その昔、まだ今のように決断が早くなく荷物も多かった時は、友人が来るとなるととりあえず徹底的にやるのですが捨てきれないものを風呂場に隠したりしていました。最近はホームステイで、風呂場もトイレも使いますから隠す場所はないです。
まあ、こんなわけで済んでしまえばあとは笑い話にしてしまうのが一番です。くれぐれもみなさん内緒ですよ。あと、ご心配の方もいるかもしれませんが我が家に「ムシ」はいません。隣で飼っていたらしい「ムシ」が引っ越してきても我が家に居場所は無いので(流し場はまめに掃除していますし)即日駆除しています。大丈夫!
2008/08/27
川口住宅公園
川口の122号沿いにあった住宅展示場は鳩ヶ谷駅近くに移転して今は跡地にマンションが建っていますが、今度は川口陸橋の脇にABCハウジングの川口住宅公園ができるそうです。ここはガソリンスタンドの鹿島屋本社があったところ。年季の入った建物だから機会を見つけて写真に撮ろうと思っていたらいつの間にかなくなっていました。川口の風景はどんどん変化していくので追いかけるのが大変です。
巨匠の絵画が川口市に
川口で鋳物業を営んでいた旧家から横山大観など、巨匠の絵画17点がでてきたそうです。家族は川口市へ寄贈を希望し、市も受けたとの記事が昨日のネットニュースに紹介されていました。
確かリボンシティにある美術館は常設展示を行うようなものではなかったと思います。市立文化財センターというのが創設され、国道122号の坂口バス停そばに旧田中家邸宅というのが保存されています。ひょっとするとそちらで公開されることがあるかもしれないですね。
2008/08/25
今度はベトナムから
8月30日~31日の一泊ホームステイ受け入れが決まりました。今回は日本の大学の院生として再来年まで日本におられる方なので、うまく気の会う方ならば国内でもいろいろとつながりが出来る可能性があります。国籍はベトナムからで、今まで受け入れた中では一番若いです。10歳以上違います。部屋の掃除の件ですが、おそらく留学中の彼の部屋も似たり寄ったりだろうと思うので、掃除は大規模にしますが、あまり思いつめない程度にしておこうと思います。思いつめるとろくな事がないですからね。
ベトナムも今経済的にはとてもホットな国です。でも旅行記などを読むとのどかな国でもあるようです。いろいろとお話してみたいです。鳩ヶ谷エリアでは他にモンゴルの方とフィリピンの方が来る予定です。
わかった
昼間寝ていたので今日はこんな時間まで起きています。ふと調子の悪い原因が分かりました。
完璧を求めているから
当たり前だと思うかもしれないけれど、自分は忘れていました。
インドでは人によって言う事が全部違います。ですから完璧を期すことが難しいです。特に時間。
だから自分はインドに存在の可能性を見出したのかもしれません。
しかし日本にいると、それは当たり前ではありません。
誰に聞いても同じ事をいうのが普通です。
インド行きの飛行機手配を始めて、いらいらしてしまったのは、代理店によってみんな言う事が違うから。
ありえないだろう、こんなこと。
ある代理店では「インド国内線が月・金しかない」という。
ある代理店では「日曜日以外は運行する」という。
値段もまちまち。ホテルの値段や選び方もまちまち。
日本ではローカル列車の旅でも一分単位で時間が読めるし値段も読めます。
その「日本の当たり前に毒されている自分」に気がつきました。
もっとおおらかにいきます。
出来ない事は出来ない。
分からない事は分からない。
感覚を大事に。
2008/08/24
絶不調!!
土曜、日曜と連続で寝込んでしまいました。久しぶりの落ち込みぶりです。
今週末の一泊ホームステイ、来週末のヒッポ合宿、再来週末のぜんせいれん大会に加えて、インド行きの飛行機やホテルの予約活動も始めていて(今回はHISだけでなくあちらこちらの代理店から情報を集めていて、結構大変です)、それぞれ自分の中で「ここまではやらねければ」という理想があるので、結果として抱えすぎの状態です。少しそぎ落とさないと、結局全部駄目になってしまうという危機感があります。
とりあえず、明日の月曜は予定が無いのでもう一日のんびりしつつデイケアに行って看護師さんと相談したりしてこようと思います。
2008/08/23
今日の体調
今、ブログを書いているくらいだから「今日はこいつ、調子はまあまあかな」と思われるでしょうが、なんだかとてもゆううつです。布団をたたんでしまう事ができません。メールのお返事がかけない状態です。買い物にも行けない。うなるほどではありませんがしんどいです。
愛のボイスレター展
今月は地元ねたが少ないのでちょっと書きます。
先月から書こうと思っていた話題です。実はスキップシティでD(デジタル)シネマフェスティバルをやっていた先月の今頃からやっていたのですが、31日まで本田美奈子・愛のボイスレター展が開催されています。本田美奈子さんは自分と同じか少し年下でしょうか、パンチのある歌を歌っていた歌手でしたが、白血病で亡くなりました。吉井玲さん(この過去記事3年前ですがぜひ読んでみてください)みたいにほとんどよくなるケースもある病気だけに残念だったと思います。春先には本田さんの写真を使ったポスター(公共広告機構の骨髄バンクへの登録を呼びかけるもの)が電車内に掲示されていましたね。
このイベントでは本田美奈子さんの日常写真や、最期のコンサートのドキュメント写真、着る事の叶わなかったステージ衣装、出演したNHKの番組の集大成などを見ることができます。ファンだった方だけでなくとも、ちょっとお出かけになってみてはいかがでしょうか。自分も行こうと思いながら行けていませんが・・・。今月いっぱいです。
2008/08/22
2008/08/21
エール
今日も引用から。但し、今日は翻訳のさらにまたびきなので正確ではないかもしれません。言わんとすることは伝わると思います。日記帳に書き抜いておいたもので、どこから引き抜いたのかメモし忘れていました。多分日経新聞だと思います。
ジャン・ジャック・ルソーの「エミール」から。
自然のままでは、人間はほとんど考えない。考えることは、ほかのすべての技術と同じように、人間が学んで身につける技術で、しかも学ぶのにいっそう骨が折れることだ。わたしは、男女いずれに対しても本当に区別されるべき階級は二つしか認めない。一つは考える人の階級で、もう一つは考えない人の階級だが、この違いが生ずるのはもっぱら教育によるものといってよい。
日本に考える能力のない人間が多いのは考える教育がなされないからだと言い切ってよいのではないでしょうか。確かに九九の暗算のように、最初のデータベースを暗記で頭の中に作っていくことは重要だと思いますし、そのことで日本の教育が成果を上げた時代もあるのです。しかし、今は完全に逆効果となっているようです。学ぶことに心が入っていない。学ぶことに意味を感じていない子どもたち、あるいは大人がとても多い。知識と言うのは選別の為にあるという以上の意義を感じていないようです。しかし、人間社会を生き抜く上で「考えること」はきわめて重要な能力です。長い間うつ病や引きこもりを経験した人は、自分というものの存在について考えすぎと言うくらい考えていると思うのです。自分とは何者か、自分で自分自身に価値を見出していくことはとてもつらくて厳しい「修行」だと思います。だからこそそこをくぐりぬけてきた人は強い。ヒッポで1年間留学してきた子どもたちが精神的にとても強いのは、違う文化の違う家族の中で暮らすから。ずっと同じ家族の中で過ごしていると家族の価値観が唯一無二の価値観になってしまいます。家族の中にきちんとした価値観が育っていない場合、子どもは厳しい環境におかれると見て間違いないでしょう。ACはそういう意味で大変だと思う。違う価値観を知ることで考える素地が生まれるのだと思います。そして自分自身は親のものでもなんでもない、唯一無二の自分だと認識できるのではないかと思います。
考えることは自分で自分を変えていける能力でもあります。そして変化していく能力でもあります。自分の座右の銘を何度でも言いますが、古き泉は新しき水なのです。つまり存在し続ける為には常に新しく自分を変えていかなければならない。滞留したらそこで終わりです。
自分の限界というのは自分で作っていることが多い。自分はそのことを高校時代の恩師に教えてもらいました。何度も同じことを指摘してもらって気がつきました。自分にはたいそう大きなのりしろがあるということ、それを生かすも殺すも自分しだいだと言うこと。
自分で自分を変えていく能力のある人は常に自分自身の現在能力に不満を持っていて、それを克服する為に研鑽し続けることでしょう。自分を鍛え続けられる人が自分はとても好きだし感動させられます。オリンピック(自分はあまり見聞きしていないのですが)に出るような人たちは、限界というものは自分でつくってしまうものだとわかっていて常に研鑽しつづけているのだとおもいます(もちろん肉体的な限界と言うのもあるでしょう)。
がんばらなくてもいいのです。でも動き続けることが重要です。旅立つ人へエールをこめて。
2008/08/19
これが自分だった・・・。
いきなり引用からいきます。これは長く読んでいると自分の体調を崩す方面の本なのです。
では親とは一体何なのかと問うとき、簡単にいえば(中略)子どもが子どもとして生きることを保障できる人、子どもの命を守る人、子どもが安心していられる場所をつくることができる人(強調はなんちゃん)だといえるでしょう。 子どもが自分の身の危険を感じたり、自分がいいたいことがいえなかったり、したいことがどういうことかわからなくなったりということでは、その子にとって親はいなかったことになります。子どもが子どもとして受けいれられる、また、無条件に(強調はなんちゃん)、その存在を肯定される、生まれてきたことが祝福され、その存在がとても大切に思われて、そこにいる。そういう居場所があってはじめて子どもが子どもとして存在できるのです。親とは、そういう居場所を保証することのできる人のことだと思います。ところが、そういう大人の親がいないと、小さな子どもでも、子どもでいることができずに、親を守ろうとする親にとっての保護者になってしまいます。たとえば、こんな話を高校教師の和人さんがしてくれました。和人さんが遅くなって帰ってくるのをまだ一歳にならない、十ヶ月ぐらいの赤ちゃんである真里ちゃんが、待っているというのです。真里ちゃんは、お父さんの帰りが一時、二時であっても、小さな鍵の音で目をさまします。そして起き出して玄関まで迎えにくるというのです。真里ちゃんは両親が大げんかにならないようお母さんにもお父さんにも気を配り、ヨチヨチ歩きで、お父さんを機嫌よく迎えに出てくるのです。真里ちゃんは、お父さんである和人さんと小学教師のお母さんである多津さんの仲が悪いのを察知していて、いつも不安でたまらないのです。深夜、和人さんが帰ってくるたび、イライラしているお母さんの心を感じとって、二人が何とかぶつからないようにしているのです。
お母さんがお父さんを怒鳴って、また遅かったのねということから、いさかいが起きていくことに対して、おびえているわけです。二人の緊張を緩和するために、まだ一歳にならない赤ちゃんが起きてニコニコしながら、お父さん、お帰りなさい、という、あまり舌が回らない状態の赤ちゃんが、ニコニコ微笑みかける。そんな小さな子どもが、赤ちゃんではいられないのです。一時や二時まで起きていたい赤ちゃんなんかいません。眠くなったときには眠るのが赤ちゃんなのだけれど、赤ちゃんとして生きることができないのです。
そのように、子どもが小さい頃から緊張する、家の中で不安に過ごしているという例は枚挙に暇がありません。しかし、こういう子どもたちのほとんどは決して親を悪くいいません。親の苦しさを思い出しては涙し、自分の要求を押し殺して親を守ろうとし、守れない自分を責めたりさえもするのです。
10ヶ月の頃からやっていたかどうか定かではありませんが、この赤ちゃんと自分はほぼ同じことをしていました。30過ぎてうつ病で布団から起き上がれなくなっても、いさかいを始める親の間へ体をずるずるひっぱっていって間に入りました。こんな状態の自分が出て行けばケンカを中断するしかないだろうと思って、そうせずにはいられなかったのが自分の親の家でした。
心の痛みを我慢して痛みを感じないようにする為にわざと感覚に鈍感になるようにしました。すると心だけでなく体の反応も鈍感になるのです。自分が小学生の頃に歯医者へ行って、歯科医が神経まで達してる虫歯を発見して「これ、痛くなかったの?」と聞いてきたことがあります。初めは痛かったけれど、痛いのを我慢しているうちに痛くなくなったのです。
こんなことを30年やっていたのですから、多少神経がおかしくなっても仕方なかったでしょう。
書いているうちにやはりからだが緊張してきてしまいました。今日はこの辺でやめておきます。ちなみに引用した本は「居場所のない子どもたち」(鳥山敏子著・岩波書店・1997年)です。
2008/08/18
免許証もICカード
今日免許証の更新の為、武南警察署へ出向きました。事前の案内で承知していましたが、今度からICカードになりました。また暗証番号を2つも登録するのです。暗証番号やパスワードが多すぎて訳わからなくなります。写真はその場で撮るので、前回より明らかに人相が悪くなったような…。パスポートなら写真館でイメージ良くアドバイスしてもらいながら撮れるでしょう!両方並べてみるとずいぶん印象が違います。これから年のお付き合いです。
2008/08/17
どんなふうに感じるんだろう?
今日は久しぶりに涼しく、エアコン無しで過ごす事ができました。金曜日なんか西日がばんばんあたって暑いの何の。屋根に水をためておいたらさぞかし風呂向けのいい湯が出来るだろうと思いましたが・・・。
このおんぼろ・・・というか、一応外からの見た目はそれなりの我が家。築10年くらいでしょうか。先日上の押入れの戸が外れてしまい、釘で止めてあったのでうまく元に戻らないのでそのままにしています。今まで我が家にホームステイした3人のJICA研修員はみんな我が家の本の多さにびっくりしていましたが、日本人から見ればそんなたいそうな数ではありません。むしろ衣料の多さに目が点になるはず。収納ケースからあふれるTシャツの山、山、山。入りきらないんですよね。着ないものを捨てればいいのですが、というか結構捨てたのですがまだある。夏は毎年Tシャツ10枚は買っていますね。昔の仕事上の習慣だからやめられないですね。
こんな内情を書いているのは2週間後に留学生がホームステイに来る予定だから。受ける時期に応じて大学は決まっているのですが、どこの国の人が来るかは未定。べてるでいくら「そのまんまがいいみたい」と言われても、さすがにこの部屋なんとかしないといけません。でも彼ら留学生自身の部屋も似たようなものかなあ?
というか、何とかするためにゲストを呼ぶのが自分流。ほどほどに自分を追い込んでいきます。ほどほどにね。
2008/08/16
8月15日
日本では8月15日といえば終戦の日。「終戦」というか「敗戦」というか議論もありますが、平和のための祈りをささげる日と定義してもそれほど異論は無いだろうと思います。
ところで、インドの友人ニラージュの娘さんメグがお父さんのニラージュにGmailの専用アカウントを作ってもらったそうで、なんとメグから直接メールが来ました。いろいろと書いてあったのですが、興味深かったのが「8月15日は独立記念日なので家族全員で民族衣装を着ます」と書いてあったことです。独立記念日ってシッキム州の成立日のことかと思ったらインドの独立記念日だったようです。だから昨日のムンバイ株式市場は休場になっていました。
日本にはないんですよね、独立記念日って。それ自体がすごい事なんだなと、思いを馳せました。戦争に負けたのにね。もちろん北方四島の問題や賠償問題など敗戦にまつわる国際問題はいろいろあって、というか問題があることを認めるかどうかという入り口でもめている事柄もたくさんありますが。
独立記念日に民族衣装を着るというか正装をするのでしょう。そういう「記念日」に対する気持ちが日本はあいまいだよなと思いました。建国記念日というのはありますが、神話の世界の話でしょう。それを建国記念日と認識するのかどうかまでもめる上に一般の人にとってただの休日という日本という国の、自分たちにとっては当たり前だけれど海外から見たらとてもユニークであろう事なども考えさせられました。
インドは非暴力・不服従によって無血で独立を勝ち取ったのに、ヒンズー教徒とイスラム教徒の間の対立で何度も血を流しています。今のパキスタンやバングラディシュだってインドだった時代があります。それが一時はお互い核爆弾を作りあうような緊張関係になったりしている。むずかしいですね。
うつ病で終わる30代
実は明日誕生日です。今日が30代最後の日。ホント良くも悪くもうつ病で終わります。すごいなあ、こんなに長引くとは発病当初思いもしませんでした。でもうつ病で終わることイコール不幸な30代だったかといえばそんな事はないです。20代は会社で修行、30代はうつ病で修行していい意味で成長したなと思っています。いやー、しかし大変だった!決してこれは過去形ではなくこれからも大変なのでしょう。楽は出来ないのが性格ですから。
2008/08/15
たったの10日で九州モード
今朝何にびっくりしたかって、夜明けが早くて本当にびっくり。5時にはすっかり明るい!それで今すっかり暗いので夜8時頃かと思ったらまだ7時になっていませんでした。順応性が高すぎです。昨年インドへ行った時も、帰国してからお腹を壊しましたし…。
2008/08/14
おかげ様で
無事帰宅しました。小田原で同じホームの反対側に高崎行きの湘南新宿ラインがとまっていて、簡単に乗り換えできて赤羽までスルーでこられたのはとてもありがたかったです。今までなら東京で乗り換えて広くて長い通路を歩き京浜東北線に乗り換えて、立ちんぼで赤羽まで来なければならないですから。
病状の事、疲れの最高潮は7日~8日にかけてきましたが友人あきゅのの配慮で、あちこちで横にならせてもらうことができて本当に助かりました。昨日一昨日とほとんど40時間くらい動き通し(ムーンライト九州では結局柳井駅を通過するまで眠れませんでした。岩国を通過したのは覚えていなくて、起きたのは三宮ですからそんなに寝ていないですよね。その後大阪、米原、浜松、島田、沼津、熱海、小田原と乗り換えましたが、米原~大垣間と沼津~熱海間は通勤電車並の混雑でした。浜松からの接続列車も通勤ラッシュ並みでしたが、ここは20分後の列車に計画変更してなんとか座ってきました。大変だったです。帰宅してからは死んだように眠っていました。でもリカバリーが早くなり、今日18時頃から動き始め先ほどコーヒーをいれブログがかけるようになりました。
このあとは30日から31日にかけてアジア各国から早稲田と東京農業大の大学院に留学している留学生を2人(6畳間に3人雑魚寝だ!)ホームステイ受け入れします。夕食の準備も必要なのでこれはかなり難関だと思います。その後は9月12日~13日にかけてのぜんせいれん全国大会に神経を集中します。煩瑣な日常がやってきます。でもインド出発までもう3ヶ月をきりました。こちらの準備もぼちぼち始めなければなりません。
2008/08/13
変な名前
今度静岡空港が出来ますが、富士山静岡空港という名前らしい。富士山とは縁のない静岡と浜松の間に出来るのに変な名前で誤解を招きます。この空港は開港イコールそんぼうの危機。1日2便予定の福岡空港が移転騒ぎの真っ最中で今の便利な位置から移転すれば、乗る人もいないだろう。地獄のような維持管理費を負担するのは空港建設で儲けた連中ではなく静岡に住む私達と同世代の人やその子どもたち。日本中でこんな愚行が繰り返されていて、腹もたたない。脱力して思考停止です。
2008/08/12
ムーンライト九州
最近は夜行バスが人気なので夜行列車は減る傾向にあります。やっと帰路につきムーンライト九州に乗っています。この列車は臨時列車で、車両は14系という国鉄時代から臨時列車として使われている車両です。この列車は特に、スキーが流行っていた頃にシュプール号として使われていたようで、なんとスキー置き場があります。いつまである列車でしょうか。今日は満席だそうですが、時代とともに近い将来なくなる列車だと思います。
行きに使ったムーンライトながらと同様に冷房が効きすぎで上着が手放せません。
2008/08/11
この旅の先にあるもの
今回の旅も終わりが見えてきました。現在博多です。駅ビルで高菜チャーハンのお弁当を買ってきて食べたところです。明日ヒッポの九州事務所でのワークショップに参加した後、北九州の若松と門司港を訪ね歩いて、夜行快速ムーンライト九州で帰路につきます。
いったいこの10日間で何人の人に会っただろう!それぞれの人が自分にかけがえのないメッセージ、アドバイス、アイデアをくれました。それらを少しずつ整理しながら、11月のインド訪問にむけて着実に進んでいきたいと思います。
2008/08/10
日本人の精神年齢
エルメスのラジオ番組のポッドキャストを聞いていました。デザイナーの山本耀司さんのインタビューだったのですが、山本さんはこう言っています。
日本人の二十歳は小学生と同じ。四十歳を過ぎてやっと成人になる
自分は確かにそうだと思いました。大人とは自分で自分の事を分かっていること、自分で判断を下せることです。下手すると四十歳でも誰かの金魚のふんのまま何も自分で考えられない、人の意見を自分の意見にしてふわふわ浮いている。パリのデザイナーたちと長い間競って切磋琢磨した山本さんには自分の母国の人達が極めて幼稚に見えるのです。なぜか?
日本人は子どものことを親の私物だと思っていて、先回りして生き抜くために必要な苦労の種を摘み取り、代わりに幼稚な自分達の世話を押し付ける。子どもたちは生き抜く力がない上に人生に疲れ切って希望も持てないのはそこに原因があると思います。安定した仕事、安定した人生を送ることで親に最後まで尽くして欲しいと思っている。これでは大人になれないし、なりたくなくなるだろうと思うのです。もちろんこれは一つの側面であって、もっと色々な原因が複合的に重なっているでしょうが。
2008/08/09
2008/08/08
オープン予定
新聞によると越谷レイクタウンイオンが9月(なんと122号川口元郷駅前に看板があります)、ららガーデン川口が10月だそうです。そのほかイオン土浦が来年6月、イオンモール筑紫野がこの冬オープン予定だそうです。来年イトーヨーカドーとホームセンターの複合型ショッピングセンターが市原市の五井地区に出来るそうで、これはアリオではなくピアラシティ三郷みたいなイメージだと思います。昨夜はネットの使えないホテルに泊まっていますのでメール等のお返事できません。
2008/08/07
車掌はいないけど
このいさぶろう号には客室乗務員がいます。東京近郊の普通列島グリーン車のように、車掌ではありませんが検札もして観光案内もして弁当や飲み物も売ります。JR東日本のグリーン車乗務員のように早朝深夜の乗務がないですから、その点はいいかもしれません。
2008/08/06
ぐるりのこと
なぜか熊本では映画を見ることが多いです。今日の移動距離は短いのでホテルのチェックインまでかなり時間があったので前回熊本へ来た時と同じ新市街(というアーケード商店街)のフレッシュネスバーガーの2階にある映画館で映画を見ました。いや映画なんか見るつもりは全くなかったのに、ふらふらとお昼も食べずに入ってしまいました。前回は「かもめ食堂」でしたが、今回は「ぐるりのこと」。一組のカップルが家族になっていく過程を描いたといえばいいかな。自分にとって見るに耐えないくらいのつらい経験をかいくぐり、お互いが精神的に成長してホントに分かり合える家族になる。生きるってこういうことだなと思わされた映画でした。
前回熊本に来た時は、実はある人に対しておせっかいを焼きに来たのです。あれはでも結果的によかったかな。熊本に来る時って、なにかしら自分にインパクトのある出来事が起こるのです。
有明海が見える
写真には撮れないですが有明海が少し見えます。ここは南荒尾です。有明海はこの国の矛盾がすべて凝縮されているようなところです。先ほどは自分の知らない巨大な橋が建設されていました。誰も止められない。政治家とゼネコンと地元有力者が国の金を分けあうために不毛な営みが続きます。
2008/08/05
種さん熊野古道を歩く
種ともこさんのブログを見たら、なんと熊野古道を踏破したそうです。写真満載です。ぜひここから見てみてください。音楽の話はこの記事には書いていないけれど、ついでに種さんのミュージシャン生活もご覧あれ。
実は最近種さんの歌がまた聞きたくなっています。種さんの歌をデビュー以来20年以上聴き続けて、エッセイも何度も読んでぼろぼろになってしまったくらい。最新アルバム「おひさま」を聴いて「あれっ、違うなあ」と思ってしまい聴けなくなっていたのですが、最近少しずつ気持ちが種さんに戻りつつあります。ファンクラブ「種の友」も終了したらしい・・・。そりゃそうだ、以前はファンクラブ会報でしか知る由の無かった種さんの音楽的日常やライブ情報をブログで簡単に知ることができるのですから。
2008/08/04
この数年増えたもの
間違いなく葬儀式場です。西日暮里駅近くの結婚式場がセレモニーホールになったので気になっていましたが、日本列島西に千キロ来て、以前はパチンコ屋が目に付いたけれど、今回はパチンコ屋は当たり前の風景になり葬儀式場がホント増えたと思いました。何かの空き地だったところに○○メモリアルホールなどというのがたくさん出来ました。
実は自分が八女に住んだ頃、農協が葬儀ビジネスに本格参入しはじめた頃なのです。八女農協でお茶売りのルートセールスをしていた時驚いたのが、葬式のお返しとして使われるお茶市場の大きさでした。毎週北九州まで高速道路を使って納品するのです。葬儀の運営に農協が関わっているから当然お茶の注文も八女農協にくるわけです。
今思えば農協ビジネスは幅広くて、能力があればかなりいろんな事が出来ます。あのままパニック発作を起こして入院しなければ、八女でそれなりに楽しくやりがいももって仕事していたかもしれません。
たらればの話で過去を懐かしんでいてもはじまりませんけどね!
本気でメンテナンス
山陽線を下って下関へ向かっています。目に付くのが並行する山陽新幹線の高架。はっきり言ってボロボロです。もちろん鉄筋コンクリートの強度はそれなりにあるのでしょうが、これではコンクリート片がたびたび剥がれ落ちるのも当たり前だろうと思います。山陽新幹線が開通してから30年以上。この構造物があと20年もつだろうか?新しいものを作るより既存設備のメンテナンスをしっかりしないと20年後社会資本がボロボロになるでしょう。少子化で経済成長も見込めないのに。本気でメンテナンスをしよう。
ドラッグストア・コスモス
山口県内にはドラッグストア・コスモスが進出してきました。このコスモスが関東まで来たら既存の郊外型ドラッグストアは脅威でしょう。前も書いたかもしれませんが圧倒的物量と安さ、販売員の人数の少なさとレベルの高さ、どれをとっても既存の郊外型ドラッグストアは勝てません。都市型のドラッグストアとしてはマツキヨがダントツでしょうが。
2008/08/03
赤穂線
姫路から岡山までは以前座席確保が大変でした。1時間おきにしか列車がなかったからです。最近は米原からの列車が播州赤穂行きになったので、少し時間が余計にかかりますが赤穂線回りで岡山まで出ます。相生で山陽線に乗り換えるのは大変なのです。赤穂線からは入江になった海が時折見えます。ここ、日生(ひなせ)もそうです。フェリーも見えました。瀬戸内沿いをのどかに進みます。
蝉しぐれ
今年は、なのか、木がないからか、鳩ヶ谷や都内ではわずかしか聞こえない蝉しぐれが滋賀県に入ったらうるさいくらい聞こえます。電車からそれだけ聞こえるのだから相当すごいのでしょう。猛暑が続く西日本だからというのもあるのか、本当に度々聞こえます。今日も暑いぞ、ばてずに行きます。
米原を出ました
昨夜のムーンライトながら91号で出発しました。初めて柳井に行った時は指定席ではなかったので男3人で夜9時から品川駅でビールのみながら列車を待ちました。椅子も直角のお見合いシートでとても窮屈でした。同行のSさんは当時仲の良かった子と結婚してもう何年もたちますが、直角の椅子に耐えられず、沼津あたりからデッキに新聞紙をひいて寝ていました。昔の大垣行きはホント通路に丸太のように人がゴロゴロ寝転がっていたものでしたね。今は全車両座席指定で往年の面影はありません。座席もリクライニング。でもいろんないでたちの人が乗っているのは相変わらずでしょうか。
2008/08/02
金魚ちょうちん
約5年ぶりのJRグループ・山口キャンペーンです。今回も柳井の金魚ちょうちんがポスターになっています。前のポスターの方が風情あったなあー!でも柳井のこの風景は何度見ても和みます。柳井には8月4日に立ち寄り昔の演劇仲間と再開する予定です。またこの金魚ちょうちんはインドのニラージュが我が家に来たときお土産に渡したので、なんとインドシッキムのニラージュ宅にも飾られています。もちろん我が家にもあります。完全手づくりなのでお盆休みを過ぎると買えないとか。
またあがったガソリン
昨日は朝から病院3つ掛け持ち。待ち時間が(いつもに較べて)短かったのが幸いでした。行きに地下鉄を使ったので気がつかなかったのですが、帰宅時に赤羽からバスに乗ったらびっくり。沿道のガソリンスタンドがまた31日の価格より10円値上げしている!180円を突破していました。この辺で一番安いGSは122号沿い川口本町ロータリー近くのセルフ給油所だと思いますが、7月1日に値上げしてからじりじりと安くなってきて、7月31日には172円までいったのです。それがまた10円上がったでしょう?旅行やお盆の帰省を列車に切り替える人が増えそうです。それと最近顕著なのは軽自動車が激増している事。以前このあたりで大宮ナンバーの軽自動車なんかほとんど見ませんでしたが、最近は軽自動車が目に付くようになりました。買い換えている人が多いようですね。
ガソリンに付随して困っていることがひとつ。いよいよ11月のインド行きにむけて旅行会社で飛行機の値段を聞いてみたのです。まだ11月の値段は出ていなかったのですが、いわゆる燃油サーチャージが去年の2.5倍の3万5千円くらいになっていました。全日空の正規格安料金でタイのバンコクへ行くと料金と燃油サーチャージが同じくらいになるのです。それに加えて資源と穀物の値上がりでインドではかなりのインフレが進んでいます。ホテルも去年と同じ値段で泊まれるかどうか・・・。インドはいわゆるBRIC'Sのひとつで経済が急発展している国ですが、インドの特徴は案外資源が少ない農業国で、経済も資源高でむしろ経常赤字が増えているのです。他の中国・ロシア・ブラジルと較べて決定的なのが資源の無い事。先日爆弾テロの話を書きましたが、あれは宗教がらみの犯行声明が出ているけれど、むしろ貧しい暮らしをしている人たちが食料価格の高騰に音を上げている側面があるのではないかと思います。自爆テロではなく時限爆弾を使っているところから、背景に思想的なものではなくもっと現実的な不満をぶちまけているグループの犯行なのではないかと感じます。明らかに去年と違う感じがします。
2008/08/01
誰がばらすのか!?再び
平塚の通り魔事件に関する記事を新聞で見てびっくり。また「精神科の通院歴があり責任能力も含めて捜査」とのこと。
いったいどこから「通院歴」が漏れるのですか?しかもかなり早い段階でそれが分かっているじゃないですか。万一自分が何か事件を起こしたら「精神科入院歴があり」と書かれるのでしょう。それは誰がばらすのか。どこの病院・クリニックで受診していたかが分からなければ医者だってわざわざ申告しないでしょう。
人間である以上誰にでも「責任を取る権利と義務」があります。精神科に通っていたかどうか、入院していたかどうかなんて全く関係ありません。それが憲法で保障されている「基本的人権の保障」でもあります。責任能力なんて診断する精神科医の「主観」です。こんなものに客観性はありえません。
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