« すねかじりの時代 | トップページ | 山梨で起こっていること »

2008/04/11

農業政策の180度転換を!

日経夕刊水曜日に載る立松和平さんのコラム。この人はほんとうに現場で色々なものを見てきた人だなといつも思わされます。作家だから文章が秀逸という事以上の目の鋭さを感じます。

今週のコラムは「日本の農業への提言」というタイトルでした。以下一部を引用します。

昭和四十年代以降、日本の農村は米の生産調整に苦しんできた。米はまだまだできるのに、つくれなかった。収入を充分に得られず、村は疲弊してきたのである。減反は耕地面積の約四〇パーセントで、四〇パーセント分の収入が、手をこまねいていたのでは減るということになる。余った耕地の米からの転作、つまり他の作物をつくることに成功したところが、よい産地に育ってきたのである。

日本中を旅行していると日本人の米作に対する執念に驚かされます。山また山のさらに山奥に何代もかけて開墾してきた棚田が広がっているし、冬は(以前は)氷点下30度が当たり前だった上川盆地(旭川のある盆地)のさらに北、名寄盆地に広がる田んぼを見たときの驚きといったらないです。どちらも極限に挑んできた日本の農家の偉大な成果だと思います。しかし米があまり、減反。苦労に苦労を重ね転作がうまくいった所はまだ良かったです。土地の性質上米しか作れないところもたくさんありました。あるいは山口県の油谷半島の棚田。先祖代々継いできた棚田を泣く泣く牧草地にした人たちは、牛を田んぼに入れたらもう元には戻らないと分かっていながらそうせざるを得ませんでした。この半島はJR山陰本線の車窓から見ると実に美しいです。

日本の農業カロリーベースの自給率はとうに四〇パーセントを切り、なお下がりつづけている。世界の食糧事情も逼迫し、日本の経済力もかつてのように絶対ではない上に、資金があれば食料が買えるという時代ではなくなった。それなのに日本農業の偉大な潜在力を眠らせたままにしておいていいのだろうか。眠っているつもりが、いつのまにか死んでいたとなりかねない。 近い将来、車は石油で走るのではなく、穀物からつくられたバイオ燃料が主力となる。米はコストさえあえば、飼料にもなる。牛は藁まで食べる。農業にありったけの力をふるえるようにすべき時代がきたと、私は確信するのである。

食料自給率にも色々な説があって、ある人は「カロリーベースで見るのはナンセンス。金額ベースでは70%以上確保できている」といいます。しかしそれでも70%。先だって(4月1日号)の週刊エコノミストでは国際農林水産業研究センター研究戦略調査室長(長い肩書き!)小山修氏が驚く指摘をしています。曰く「人口一億人以上の国はみな自給率が高い。人口が多い国は海外からの穀物安定的大量調達は困難」とのこと。人口一億人以上の国というと中国、インド、ロシア、ナイジェリア、パキスタン、インドネシア、バングラディシュ、メキシコ、アメリカと日本だけ。うち7カ国の穀物自給率は90%以上、最低のメキシコでも64%。対して日本の穀物自給率は28%。これは異常なことで、国際市場における食料過剰(あくまで市場)時代(80年代)に、貿易交渉において日本が有効な反論が出来ないまま輸出国主導の国際機関に迎合してきたからだと指摘しています。

最近日本が批判の矢面に立つことも。「日本の水輸入量は看過できない」というものです。水を輸入?ミネラルウオーターの話ではありません。食料を生産するのに使われる水の量が話題になっているのです。というのもアラル海のように灌漑で水資源を使った結果その先に水が行かずに干からびてきている土地が増えているのです。水が資源のひとつとして台頭し値段が高騰しているのです。実際インドでは我々のような旅行者はミネラルウオーターを飲むのが普通です。自分が買ったミネラルウオーターの値段は大体1リットル10ルピー。1ルピー3円くらいなので30円です。しかしインドでは年収が20万ルピー(60万円弱)で、耐久消費財を買い始める中流階級との位置づけです。デリーのような都市なら水道もありますが、日本のようにどこの家にも水道が引かれている(ごく一部は井戸でしょうが、それでも安全な水である事が保証されているはず)わけではないのです。

農業を単なる世界的コスト競争にさらして良いわけが無い。それは分かっているつもりでも消費の現場では99円のアメリカ産ブロッコリーと198円の国産ブロッコリーがあって、明らかにアメリカ産のほうが売れています。先日書いたように米も価格崩壊が進んでいて、魚沼産コシヒカリでさえ採算に合わないほど安くなっているのです。自分も「米を食べるのが一番安くて合理的」と思っていても、幼少から続けているパン食が止められません。輸入小麦価格の上昇でパンの値段が跳ね上がっていてもパンを見るとつい買ってしまうのです。パン職人の息子だからしょうがないのか・・・。

農地をこのまま荒れ放題にしていいのか?あるいは道路や公共事業用地にしていいのか?インドの山の中に何百枚と作られている棚田が食べ物をはぐくむのを見て、またインドの農産物が100%国産と聞いて(実際はいくらか輸入もあるでしょうが、基本的には国産)日本は農業に対する考え方を180度変えないとダメなのではないかと考えてしまうのでした。

|

« すねかじりの時代 | トップページ | 山梨で起こっていること »

オピニオン」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

海外」カテゴリの記事

経済」カテゴリの記事

コメント

この今の事態がどうして何故こうなったのか、その発端から考えてみるといいかもしれないですね、50年とか100年のスパンで。

はい、おせっかいのバウでしたあ~

投稿: ばう | 2008/04/11 08:46

○ばうさん

ちょうど今週発売の週刊エコノミストに、100年サイクルで見たときのグローバリゼーションと保護主義の転換を論じた記事が出ていました。グローバリゼーションというのは今に始まった事ではなく、基軸通貨がイギリスポンドだった時代からずっと起こっていて、それが行き過ぎると保護主義になり、そのゆがみが戦争を引き起こしという、まるで経済の波のような循環を繰り返しているのです。この論じ方は300年、500年というスパンでも通用する気がします。おせっかいどころかいいとこを突いて下さいました。

投稿: なんちゃん | 2008/04/12 21:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« すねかじりの時代 | トップページ | 山梨で起こっていること »