いまだに私物
先週からのどたばたで、自分が感じたことがあります。
自分は未だに「親の都合のいいときに都合のいいように心配される対象なのだ」ということ。つまり相変わらず私物なのです。母親のペットだと感じていた時期もありましたが、最近の父親の様子を見ていると「父も都合のいいときに都合のいいように心配するのだな」とつくづく思います。親が子どもの心配をするのは当たり前じゃないかという方もおられるでしょうが、うちの場合は自己正当化や自己満足のためにこどもがある、その度合いが極めて強いと感じます。インドへ行って消息を絶ってしまうのがいいのかもしれませんね。だって、そうやって私物化されていることは、言い換えれば自分自身がまだ親に依存していることの裏返し、共依存状態であることの証明のようなものです。病気がよくなるわけないじゃないか。
なんとかしなくちゃ。
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