「命の大切さ」と「避妊」はセット
成人の日に「命の大切さ」を訴える番組がいくつかありました。NHKラジオでもやっていたのですが、強い違和感を感じました。なぜなら「避妊」についてひとことも触れられていないからです。
「命の大切さ」は道徳として日本社会には受け入れられやすいです。熊本の赤ちゃんポストが大きな議論を巻き起こしたのは記憶に新しいですが、赤ちゃんポストを設置した病院は「様々な事情で親が育てられない子どもを引き受ける」ことこそ「命を大切にする」ことになると考えたのです。熟慮に熟慮を重ねたと思います。それでも「育児放棄は罪」のような論調が出てくる。なぜ育児放棄しなければならない人が子どもを産むのか、そういう社会の負の側面に踏み込むような議論はあいまいなままです。なぜ女子高校生がトイレで出産して大騒動になるようなことが繰り返されるのでしょう。
産む産まないは女性が選ぶ権利です。それが「命の大切さ」ということとセットで語られないのはおかしい。むしろ胎児の写真を見せて女性が中絶をためらうような方向へ誘導しがちです。女性が「望まない妊娠」にさらされるリスクがとても高い日本社会においては単に「命の大切さ」を訴えるだけではダメです。
バングラディシュで活動しているあるNGOは貧困撲滅の為、女性の地位向上が必要と考えて行動しています。女子教育を進めるとともに避妊することをセットで教えています。
命の大切さを訴えたければ避妊はセットで訴えるべきです。そして青少年に本能として湧き上がる興味に答えるような性教育をするべきです。それをしないから青少年雑誌や漫画やネットで子ども達は不正確な性知識を取得してしまいます。
お題目だけ唱えるのはいい加減やめにしませんか?
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