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2008/01/07

安全でない家庭

新年のミサでベネディクト16世が出したメッセージではこのようなことを言われています。

男と女の結婚に基づく、いのちと愛の親密な交わりである自然な家庭は「個人と社会が人間らしくなる第一の場」であり、「生命と愛のゆりかご」です。それゆえ家庭を第一の自然な社会とすることは適切です。家庭は「人間の人格の生命の基盤となる、神の定めた制度であり、あらゆる社会秩序の原型です」

神が定めたかどうかは別にして、家庭が社会秩序の原型であることは疑いを入れません。

もう少し続けます。

実際わたしたちは、健全な家庭生活の中で、平和のいくつかの根本的な要素を体験します。すなわち、兄弟姉妹の間の正義と愛、両親が示す権威の役割、若さや高齢によって弱い立場におかれた成員に対する愛に満ちた配慮、生活に困った時の助け合い、進んで人を受け入れ、必要な場合はゆるす姿勢です。だから家庭は「なくてはならない第一の平和の教師」なのです。

確かにそうですが、皆さんの周りを見ても家庭生活がこのような理想的姿で運営されていないケースが多いとお感じになるでしょう。実際自分の育った家庭はこんな理想的なものではありませんでした。

それゆえ家庭内で暴力がふるわれることは、何よりも許しがたい事です。(中略)家庭は自然が若者のために準備した「巣」です。この「巣」以上に、若者が平和の本来の「味」を味わう事をゆっくりと学べる場があるでしょうか。家庭について語ることばが、平和について語ることばです。わたしたちは平和を語ることばを失わないために、つねに家庭からことばを学ぶ必要があります。さまざまなことばがあふれる中で、社会はたえず家庭の「文法」に耳を傾けなければなりません。すべての子どもは、ことばを覚える前であっても、母親や父親のまなざしとしぐさからこの「文法」を学ぶからです。

ここで言われる暴力のなかには言葉の暴力(セクハラモラハラ)も含まれるでしょう。

したがって、たとえ無自覚にであっても、家庭という制度を攻撃する者は、国内的な次元でも国際的な次元でも、共同体全体における平和を脆弱なものとします。

ここでいう「家庭という制度を攻撃する者」には、働く人を長時間拘束して彼らが親たる時間を奪う、人事管理がいい加減な職場も含まれると思います。

このメッセージはもっと長いものなのですが、読めば読むほど私たちが実際に生活を営む「家庭」との乖離が大きすぎて絶望的な気持ちになってきます。もちろんここにかかかれているような理想的家庭が多数派ではあると思います。しかし家庭より安全だからといって自ら児童相談所に飛び込んでくる子どもたちもいるくらいで、家庭が安全を保証していないケースは枚挙に暇がありません。そんな「危険な家庭」で平和がはぐくまれるわけがないと思います。特に両親のいずれか(多くは女性)がモラハラセクハラの犠牲になっているケースではなおさらで、母親が自分の安全のために子どもを危険にさらすことすら発生します。

日本で無差別殺人が頻繁に起こったり、カルト宗教に入信して身の安全を他人にゆだねたり、自分で自分の命を終わらせたりするケースが多いのは家庭での安全が担保されないから、そこに根本的な原因があるような気がします。但しこれは日本だけのケースではありません。世界的に見ると自分の身を犠牲にして社会秩序を混乱させるいわゆる自爆テロが人々の身近で頻発しています。自爆テロのようなことをする(洗脳されてしまう)人たちが平和な家庭とは縁遠い生活を強いられてきたのだろうことは容易に想像できます。平和な家庭の味を知っている人は、自分の命を差し出して人の平和な家庭を陥れるようなことはしないでしょう。

自分が日本の現状でとても心配している事。それは若い女性の異常な占い信仰です。たまに興味があって「アンアン」などを買って読むことがあるのですが、美しくなりたいという願望をくすぐる美容外科などの広告があふれているのは男性誌も同じで、年頃だったら仕方ないと思います。しかし占いに関する広告のボリュームの多い事にはホントびっくりするとともに考えさせられます。日本で普通に何にも考えずお嬢さん生活をすると、自分のことを自分で決められないようにさせられてしまうということでしょう。本気で自分の大事な人生を他人に、占いにゆだねてしまう。その結果自分で決められない女性のまま結婚してセクハラ亭主、モラハラ亭主の犠牲になってしまうのです。いかに自分で決める力を失っているか。それは「デートDV」なんてことが起こるほどです。結婚もしていない、いつ逃げようと思えば逃げられる恋人関係のうちにDVの犠牲になってしまうのです。愛情=束縛だと思ってしまう。違います。愛情とは相手をより自由に生きる事を容認するものです。なぜなら安心があるから。子どもが親の愛情を感じていればこそ行動範囲を広げていくことができるのと同じように、男女間の愛情もお互いの存在があるからこそ自分が自分らしく外へ活動範囲を広げていける、そういうものなのです。

デートDVに関しては別記事に書きます。セクハラモラハラは過去記事をご覧になってみてください。セクハラも普通に考えられている以上に多様なものがあるのです。

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