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2007/10/30

金属疲労

今日は自閉症の話題から始めてモラルハラスメントへ飛びます。

「僕の妻はエイリアン」の物語の中の妻と夫は、妻に自閉症という診断名がつくまでは、結婚生活がうまくいかないことをそれぞれ自分ひとりで悩んでいたのです。そして自分を責めては落ち込み、相手を責めてはけんかするという繰り返しを続けていたのです。妻は酒に逃げてあるときはアルコール依存症になったりしました。また二次的障害としてうつを発症したりしました。

この二次的障害は物語の中でこんな風に説明されています。夫は技術系の人で、製造マシンの設計・開発が専門のサラリーマン技術者なのです。そこで妻は夫が理解しやすい言葉を日常的に本や雑誌などから捜してきて夫が分かる専門用語を使って説明するのです。

「金属疲労みたいなもんだって考えてみてよ」。僕のために、妻は技術的な問題に置き換えて説明してくれる。「自転車のフレームなんかでもそうだけど、長いこと金属部品を使いこむと、くり返し力が加わる事で、目に見えないぐらい細かいヒビがたくさんたくさん出来てくる。そうして強度が下がって弱くなった状態が金属疲労だよね。最後にはこの疲労が原因で金属部品はバキッと大きく壊れてしまう。二次的障害を起こすって、まあ、そんな感じだと思ってよ」

 自分が自閉系の異星人であると気づかないで生きるってことは、周囲の人とどこか違っている、何かヘンだとずっと感じているのに、理由が分からないまま人生を過ごすってことだ。きっと、不安と緊張で気の休まらない年月がずっと続くんだろう。しかも自閉系の特徴は社会性のなさだ。人との関わりがうまくいかず、人間関係や社会生活で失敗を繰り返す。なのに理由は謎のまま。これじゃ、日常生活がストレスだらけになるのも無理はない。そんな風に人生を過ごしていれば、精神的な疲労がじわじわたまっていくのも当然だろう。そしてついには、心の健康が壊れる事もある。

 長いこと精神の疲れをためこみ、心のエネルギーをどんどん消耗していったら、どんな人だって、ウツや不安といった感情の障害や、その他精神的な症状に悩まされるようになっても不思議じゃない。しかも二次的障害の場合、そもそもの原因の大部分が、自閉系という生まれついての性質からきているわけだから、そこのところは変えようがない。つまり二次的障害として起きてしまった精神的不調は、完全に消し去る事を期待することより、コントロールしながらうまく付き合っていこうと考える方がずっと現実的なわけ。だから精神科医のような専門家に協力してもらい、必要なら薬の力も使って、じっくり取り組んでいくのが一番いい方法なんだ。

さて、この引用部分の中で「そもそもの原因の大部分が実の母親のモラルハラスメントという取替えのきかない原因からきているわけだから、そこのところは変えようがない」と改めるとこれはまさに自分自身のことになります。

自分の母親は、今考えれば「障害」とはいえないまでもコミュニケーションがかなり下手です。うわべだけの普通の友だちならば作れるし、昔からサークルに参加するのは好きで(パンフラワーや体操など)友達も結構いたのです。ところが心のうちをわって話せるような親友がいませんでした。もちろん夫(自分の父)に対してもはじめからそうでした。昔は行き場がなくなっても周囲が見合い相手を見つけてきて結婚しないと社会的に認められないような風潮があったでしょうから、これまたコミュニケーション下手の父親と結婚してしまったのも仕方ないのかもしれません。現代ならあまり起こりえない組み合わせのカップルなのです。

父親は食品会社に勤めていて、とくに若い頃から期待され海外旅行がこんなに誰でもいける時代ではなかった頃から会社の研修でドイツへ修行に出されています。会社では労組の支部長なども経験していて、かなり能力のあった人だと思われるのです。70過ぎても会社関係の人から依頼されて不定期で技術指導などをしていました。完全リタイアしたのはつい最近の事です。ところが家庭内コミュニケーションが異常に苦手で、子ども(自分)に何かものを言う時ももじもじして廊下をうろうろしながらタイミングを計っているような人でした。母親に対するコミュニケーションはさらに下手でした。

ここでどういうことが起こるか。父は職場仲間との付き合いでマージャンを始めます。昔はこれ珍しくないむしろ普通のケース。父は酒が一滴も飲めないしいわゆる女遊びには興味がないタイプなのですが、マージャンだけははまって、徹夜マージャンを繰り返しました。そしてうちに帰れなくなっても電話で母に連絡する事がほとんどありませんでした。

そんな事が続いて母にとっては父の行動が恐れにつながってきました。分からないことからくる恐怖は怒りに転じる事もあります。それで理由なく怒り出すことが増えてきました。が父は常にいるとは限らないわけですから(むしろほとんどいないわけですから)、怒りの対象が子ども(自分)に向くようになりました。もの心ついた頃から自分は訳の分からない事でやたらと怒られていました。さっきまで機嫌が良かったのに、何かの拍子で突然怒り出したりするのです。今考えるとこの怒りの源は父のわけの分からなさからくる恐怖だったと理解できますが、当時は全然分からないのです。ですから常に親の顔色をうかがって縮こまっている幼少期をおくります。母親がそんな感じですから、人間すべてが、機嫌よくしているときでもいつ豹変するか分からないという思いを持っていました。だから友だちの輪にも自分から入っていく事ができず、いつも気がついてもらうのを待っている、そういう小学生時代でした。

自分が中学に入るのを機に父はそれまでの公団を出て埼玉県内に一戸建て住宅を買います。ところが母に父が転居を知らせたのは、すでに物件が決まって後は引っ越すのみという段階になってからのことでした。その前の引越しもそんな感じでした。どうにも自分では物事が進まない状態になって始めて家族に事実を告げるのです。母の恐怖心はますます強くなり、それが自分に回ってくるという悪循環はこのようにしてずーっと続いてきたのです。

母は突然理由なく怒り出して手がつけられなくなるかと思えば、時にはやたらと優しく接してくる時もありました。そして子どもには一人では何もできないと信じ込ませるように、モラルハラスメント的手口を無意識に行使してきました。ですから自分は「ひとりでは何もできないからこの親といるしかない」と思い、二人が居間で離婚の話をしようものなら泣いて反対せざるを得ませんでした。これも日常的な風景でした。自分が就職したくらいの頃から、彼らのコミュニケーションツールは筆談になっていました。自分はこの親を背負って一生を過ごすのかと思い絶望とともに過ごす事もありました。まさか家から出られるとは夢にも思いませんでした。

こういう緊張のほぐれない家庭に育った事が自分の心の中に金属疲労をもたらし、父の大きな金銭問題が発覚してその対処におわれるうちについにバキッとおれて自分はうつ病を発症したのだと思います。

ですから自分のうつ病は元通りに改善するうつ病ではなく、バキッ折れた心とうまく付き合いながら、今出来る事を少しずつ拡げていくしかないのだと思います。ここのところ調子が比較的良いせいで、「ここを無理しないよう我慢して2年位したらかなり状況が改善して働けるかも」と主治医に話したとき、「そうなると良いですね」「でもここのところテンションが高いから気をつけましょうね」という反応がかえってきたのはつまりそういうことなのだと思います。

自分はだからといって社会進出(社会復帰はあきらめていますが)へむけての取り組みを止めはしません。だいたいこれからの自分が予測できるようになった事でむしろ今まで以上に社会進出へのチャレンジをすすめていこうと思います。それにしても、ここに自分の生い立ちを書きながら「これくらい過酷な環境では統合失調症を発病した人だって大勢いるにもかかわらず自分は気分変調症(慢性うつ病)くらいですんでいて良かった」と思いました。一人暮らしでもなんとか自分自身を支えていけるだけの力が自分にはあるし、多分ですがなんとか経済的自立が図れるような仕事をすることもできるようになると思っています。でも「べてる」とはこれからもずっと付き合っていくだろうなという感じがしています。

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