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2007/10/29

昨日の続き

昨日ご紹介した「僕の妻はエイリアン」は、ほんとうに労作です。物語は夫側が書いたような書き方をしてあるのですが、実はほんとうの著者は自閉症である妻なのです。相手の気分を察する事が困難である著者が夫側からの視点で文章を紡ぎだすのは並大抵の事ではなかったでしょう。読みやすいように、楽しみながら読めるように工夫してある上に「夫婦って何?」という問いかけにも答えられるような濃い中身の本に仕上がっているのはすごい事だと思います。

著者の生まれ育った家庭は、特に裕福ではなかったそうですが好奇心が旺盛で、見たことのない食材や珍しい果物などがあると高価でも少しだけ買ってきてみなで分け合うような家族だったそうです。ご両親は「人に迷惑をかけること」に関しては非常に厳しかったものの、「人と違うのは良いことだ」と言って筆者を育てたので「他人と違う」ことを理由に怒られた事は一度もないそうです。この親御さんのスタンスが著者にとっては非常に良かったようです。

こんな両親のおかげで、私は周囲の人々とうまくいかず、どんなに居場所のない思いをしていても、自分の生まれ持った異質さそのものが「良くない」のだと、自分を全面否定してしまうことがありませんでした。自閉系人間は、慣れないことや未知のものに対して不安や恐れを感じる事が多いのですが、私の場合、好奇心たっぷりに育ったおかげで(不安は常にありますが)、一人で世界を旅してまわるほどの積極性や行動力を持つ事ができました。広い世界を歩き、見聞を広げた事で、世の中には多様な文化があり、ものの見かたや考えかたもそれぞれに違っていること、それが当たり前なのだということを、実際に身をもって経験する事ができました。

そうやって「物事の捉え方はそれぞれで答えがない」ことを体験した事が、実際の結婚生活をおくる上で大きな役割を果たしたそうです。

自分は自閉症(筆者の診断名は自閉症スペクトラム(障害のグラデーション)で言うと「アスペルガー症候群あるいは高機能自閉症」です)ではありませんが、筆者との共通点がとても多い事に気がつきました。例えば・・・

筆者は自分が直面する問題があると徹底的に自分で調べ、自分で解決手段を見つけてくるのです。アルコール依存症になってしまっても自分で専門病院を見つけてくる。自閉症との診断がついたのも努力して情報を集め、大人の自閉症を診断してくれる専門医を自分で見つけてきているのです。自分も何か問題を感じると本屋へ日参したり、仕事で思うように行かないと競合店を見に行っては、何かヒントをつかんでくるまで帰らないようなタイプでした。債務整理に弁護士なんか必要ないということも自分でみつけてきたことです。

居場所。筆者は社会にもっと関わりたいと願っていて、重度の自閉症の人が通う作業所を夫婦で見学に行った事もあるそうです。ところがその環境では筆者は普通すぎて逆になじめなかったそうです。これは自分にとっての精神科デイケアにあたります。多くの精神科デイケアでは患者同士のトラブルに備えて屈強な男性が職員の中にいたりすることが多いそうです。またデイケアのメニューに強制参加させるところも多いのだそうです。ところが自分は重度精神障害者の範疇の中では普通すぎて浮いてしまいます。話をあわせることやデイケアメニューを消化することにむしろずっとストレスを感じてくたびれ果ててしまうのです。今通っている精神科デイケアはその点とても自由で、プログラム参加は任意です。ナイトケアという名前で18時40分まで時間があるのですが、多くのメンバーは15時半のデイケアプログラム終了時点で帰ります。だから彼らが帰って、多くても10人という環境になってから自分はデイケアに行くようにして、それまでは元気な時は部屋の掃除や洗濯、料理のほか、このブログの更新をしたり記事の下書きをしたりしています。ヒッポに参加するようになってからは日中のヒッポの集まりに参加する事も多くなりました。では自分にはデイケアなんて必要ないのでは?というとそうではなく、一人暮らしということもあって体調の悪い時には料理はおろかお湯も沸かすことができないので、バランスの取れた夕飯をたべられるということや、スケジュールがなくても寝転んでないで出かける先があるということで生活にリズムをつけることができるのです。デイケアに通いだしてから生活の質は確実によくなりました。

仕事をこなす能力は十分あるのに使い物にならないというところも筆者とそっくり。筆者は旅行が大好きで、飛びぬけた情報収集能力で並みの旅行会社の人間よりずっと現地の事情に詳しく、しかも確実な情報を提供できるそうです。英語の能力も人並み以上で、今では小さなつてからつかんだ翻訳の仕事を自宅で自分のペースでこなしているそうです。責任感も人一倍強く、仕事ひとつひとつが全体の中でどういう役割があるかを意識しているそうです。だから単にマニュアルどおりに動くのでなくよりより最適な仕事をこなすことを考えるそうです。ところが場の雰囲気や相手の気分を察する事ができず人の表情も読めない、一度に複数の事をこなす事ができないので組織の中で働く事が不可能なのです。自分も責任感が強く、言語能力が優れているので複雑で分かりにくいことを単純化して相手に伝えるのは得意、しかもお客さんに合わせて物を売ったりするのは得意で、八女の農協勤務時代に50坪くらいの小さなAコープの店頭でお茶の店頭販売をして、新茶が出る直前にもかかわらず日販15万という記録的な数字を出して上司にびっくりされた事もあります。でも朝が弱くてその日にならないと体調が読めない、疲れやすくて途中でダウンしてしまうなど、致命的な弱点を抱えています。この弱点は、先日「あと2年くらい我慢すればなんとか改善するかも」と思ったりもしたのですが、どうもムリっぽい事がまた最近分かってきました。

見た目には障害があることが分からないので、どうしても普通の人と同じ水準のレベルを期待されてしまうことも一緒でした。

でもこの本の筆者さんのように非常に難しい事柄も何とか克服してこういったいい本(重い話はほとんどなく、実に軽快でコミカルなつくりになっています。とても読みやすいです)を仕上げる事ができる、サポートしてくれる人さえいれば十分力を発揮できるという事がわかってすごく励みになりました。

自分の症状が一般的な働ける状態には改善しないだろうと思った根拠もこの本の中から見つけたのですがそれは別記事にしたいと思います。

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