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2007/09/23

気付き

前の記事にも書きましたが、先週の水曜日鳩ヶ谷福音自由教会の聖書講読に伺いました。この教会は忘れた頃に時折行っています。前回はまだ割りきりがそれほど進んでいなかった頃だと思います。教会ですから日曜日に礼拝があるのですが、午前中なのでなかなか行けません。毎週水曜日の夜に聖書講読会があってここに時折行っているのです。

自分は2つの課題をもって行きました。ひとつは自分の境遇について。金欠だとは言いながら、また仕事をするときのためにとってある教育訓練のお金が少しばかりあります。これの一部を今回のインド行きに充てるのですが、世の中にはとても海外どころではない人たちがたくさんいます。特にデイケアでお会いする方々は生活保護を受けている方が多いです。また旅先のインドでは貧富の差がものすごく激しく、観光地に行くと物乞いをする人たちが付いて回ると聞きます。このあたりが自分の中でイマイチ割り切れていなかったので答えが欲しかったのです。もうひとつは以前何回か参加したカトリック教会の黙想会で、実は自分の知らないところで自分の親しかった友人がシスターからいじめと言うか排除されていたのです。確かにキリスト教会は各地で公的機関がサポートできないような人々に救いの手を伸べる活動をしています。これはカトリック・プロテスタント問わずです。しかしカトリック教会の、組織ありきの仕打ちにちょっと違和感も覚えていたのです。

一つ目の課題はしかし講読の中で牧師様が話してくださいました。創世記の49-28がその日のテーマだったのです。自分の持っている版で引用します。

これらはすべて、イスラエルの部族で、その数は十二である。これは彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らを、おのおのにふさわしい祝福をもって祝福したのである。

この12の祝福というのがその前段に書かれているのですが、いいことばかり言っていないのです。呪われろ!と怒ったりしている。これはしかし父ヤコブから見れば12通りですが、祝福を与えられた12人にとっては与えられた祝福そのものが自分にとっての祝福で、それは比較するものではないということです。

つまり与えられた「そのまんまがいい」ということ。あれ?と思いませんか?べてるのメンバーが絶望の果てに「自分たちには病気がある」と気がついて、今「昆布も売ります。病気も売ります」がいくつもある理念の中のひとつになっている。メンバーそれぞれの状態には多少差があるけれど基本的には「病気を受け入れる」ところからべてるの活動って始まっているんです。他人と比較して自分が不幸だとか、そういう発想はないのです。「彼女(彼氏)がいていいなあ」とかいうのはあるでしょうけどね。そういう「比較の心」に蝕まれている人はべてるにくると「病気が出る」。健康と思われていた人が実は不健康だったと気付かされるのがべてるです。

幸福のヒントがここにあります。「比較しない事」です。

もうひとつの自分の課題に対しては牧師様が「基本的に人は組織と付き合うのでなく人としかつながれない」と言う自分の気持ちを肯定してくださいました。教会と言う組織と付き合うのではなくそこに集う人とつながる事が大事ということ。教会に限らないです。会社でも学校でも個人の信頼関係を抜きにして組織は成り立たないということです。信頼関係の結べない組織は自分から見限ったり、逃げたりしてもいいのです。

こうしてこの日は自分にとって実り多き時間を過ごす事ができました。

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コメント

へえ、またまた驚いた。相当にクリスチャンに入れ込んでるんですね。宗教関連の内容には触れないようにしていましたが、ここまで話しが進むと、しゃべりましょ。私、日本基督教会柏木教会の会員です。プロテスタント系穏健派の長老派教会です。私は積極的には何もしてませんけど。礼拝はたいてい出ています。
http://www3.ocn.ne.jp/~nikkits/
鳩ヶ谷福音自由教会は日本基督教団日本福音同盟(JEA)に属するはずです。だから思考回路が少し変なんだあ(笑)

地上の教会はあくまで被造物たる人間のあつまりである。3人よれば組織となり、礼拝集会は成立する、が、そんなことには関わらず神・キリストは礼拝の場にいたもう、そんなとこですか。お話しの内容では、あくまで人と人との関係性において神の教会というものを説明されたようで、宗教的なものとは、あくまで神と私の内面との関係にあります。内面の問題です。神我と共にいましたもう。と、まあ、こんなとこですか、偉そうに失礼しまっした。
ちなみに妹夫婦はドン・ボスコ系カトリック、父は日蓮宗、たまに創価学会はは。

それと、MIXIも見るのですか?私、アンドロメダばうです。よろしく。めちゃくちゃやってます。

投稿: ばう | 2007/09/23 21:10

○ばうさん
自分は一般の人より多少キリスト教に近いところにいるだけで、そんなに深く突っ込んでいるわけではないのです。がちがちのピラミッド組織であるカトリックといろいろな成り立ちのあるプロテスタントぐらいの認識です。聖書なんか引用したから内部の人間に限りなく近いとお感じになったのかも知れませんが、たまたまこの例が分かりやすいかなと思って引いたので、それ以上の意味を自分が感じているかと言えばNOです。もっと言えば都合のいいところだけ教会に頼ろうとしている部分があります。

mixiはやってはいますが、ブログのほうに集中しているのであまりまめに更新していません。簡単に見つかると思いますので、良かったら探してみてください。

投稿: なんちゃん | 2007/09/24 12:04

すみません。突っ込みすぎですね。
都合のいいところだけ教会に頼る、でOK非常によろしいかと。私もたいして信じちゃいません(怒られるかな?)
ですが、神谷美恵子さんなんていい事書いてマスヨ。
マイミク申請しましたがお受け下さいますか。めんどうかな・・・

投稿: ばう | 2007/09/24 13:17

○ばうさん
mixiのほうはお返事出したのですが、こちらがほったらかしになっていて失礼しました。

信じる信じないは別にして、いろいろと教会にはお世話になっています。いのちの電話がつながらなくて困っていた頃、四谷のイグナチオ教会でいろいろと相談に乗っていただいて助かりました。あそこは神父さまではなくて、たぶん何らかの資格をお持ちのカウンセラーさんがボランティアで相談室を運営されているみたいです。東京のアルコール中毒の自助グループもあそこの部屋を借りていますし(そちらはお世話になっていませんが)、知らない人が多いですがキリスト教会の社会貢献度は高いです。そこに頼る中で自然と信仰の域にまで達する人もおられるでしょう。自分はまだそこまで行っていないというところです。

投稿: なんちゃん | 2007/09/30 00:21

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