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2007/07/19

昨日のカウンセリング

昨日はカウンセリングを受けてきたのですが、その影響で今日は一日中うなされっぱなしでした。今の自分の病状(波打つ体調ではなくベースの部分の調子悪さ)を思い知らされた気がします。

自分はAC卒業宣言もして次の一歩を模索しているところです。だからカウンセリングで今までのしんどかった事などをはなして「大変でしたね」「よくやっていますね」と言ってもらうのでは飽き足らずカウンセラーを変えてきたわけです。ところが3回目の昨日のカウンセリングでは、自分は「親からの資金援助を絶つために少しでもいいから働く」と言う路線を修正し、「例え半年後に仕事を少しやってみても悪化してつぶれてしまう。許される環境なのだからもっとじぶんの可能性を広げたり、知らなかった能力を開拓したりすることに時間を使いたい。とりあえず年内はそういう方針で行き、その前向きの気持ちの象徴としてインドへ行ってみる」という話をして見ました。

ところが話しているうちにそのことを「現実逃避」と捉えられてしまったようなのです。具体性や客観性についてかなり突っ込まれ、さらにインド行きの準備として自分がやり始めた「かるたの配布」が「インドへいってみる」こととどうつながるのか納得してもらうために「ヒッポってなあに?」と言う説明もしました。つまり一般の人には「かるた(ブログの記事をチョイスして紙媒体にしたもの)を配る」ことと「インドへ行く」ということに整合性が感じられないのです。

漠然と考えていた事を理整然と説明する機会にはなったのですが、まるで職場で営業目標数字を達成するための根拠の説明を求められて、それを順序良く説明しときには突っ込みを入れられてようやく納得してもらえたというような1時間でした。しかも「体力をつけなきゃダメでしょう」ということで「歩行訓練」を日課にするよう提案されました。調子がよくても悪くても時々に応じて歩く、しかも訓練なので行きと帰りの道を同じにする、つまり行きに歩いた分はきっちり帰りも歩くということなのです。この話を聞いている時点で「自分にはムリ!」と即思いました。歩く事そのものには問題ないのですが、家を出ることすらままならない日があるのに毎日やるということはそもそもできません。別の次元のものを求められていると感じました。

そして振り返って考えた時、カウンセラーの話してくれたこと、突っ込んでくれた事が「社会復帰」のためには必要なのだということを改めて感じざるを得ませんでした。社会一般の枠の中で自分が生き抜くことの厳しさを認識しました。そしてそれはムリなので、自分のできることで「社会進出」するという考え方の正しさ、あるいは自分の今のベースの病状においてその考え方がいかに大事かということも痛感しました。

今のスタンスではカウンセリングそのものが無意味になってしまうので、もう一度カウンセリング機関と調整しなければだめでしょう。

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