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2007/06/25

「社会復帰」と「社会進出」は違う意味

自分は「社会復帰」と「社会進出」と言う言葉を使い分けています。ずっと「鳩ヶ谷雑記」をご覧いただいている方の中にはお気づきの方もいらっしゃるでしょう。この使い分けについて少し説明します。以下は友人に書いたメールを一部手直しして使いながら記事にしたものです。

自分は丁度6月で8年になる闘病生活のうち6年半は「社会復帰」のためにがんばると言うことをやってきました。資格を取ったりもしましたし、少ない時間ならば大丈夫だろうと考えて曜日や時間に制約のある仕事をしたりしてきました。しかし今から1年半前に「この病気は治すと言う発想でいる限り良くならない」ということに気付きました。(この気付きは鳩ヶ谷雑記の当時の記載に良くあらわれています。興味のある方は2005年11月~12月くらいの過去記事をご覧になってみてください。)現状を受け入れ、この体調のまま「社会進出」を図らなければいけない、それ以外に自分の未来はないと悟ったのです。この考え方は一般にはとても理解しにくい考え方でしょう。しかし、最近の自分の友人Tさんの様子を見ているとそれがよくわかります。Tさんも「社会復帰」を目指して仕事をしたり、治ることを目指してあやしいものも含めて数え切れないほどの治療法を試してきたりしていました。そういうことをしている時のTさんは非常に病的に見えたものです。しかし今年になってからのTさんには目を見張るものがあります。先週の日曜日に有志数人と友人宅へ遊びに行きましたが、ある人が「Tさんは、あしたの仕事はあるんですか?」と言う問いかけに「犬の散歩です」と答えています。お父さんが亡くなってから、お母さんでは引っ張られてしまうほど大きな犬の散歩は今、Tさんにしかできないことです。それをだれも「仕事」とは言わないでしょうし、人によっては「それしかやれなくなってしまったのか」と思うこともあるでしょう。しかし自分にはそれがTさんにとっての大事な「仕事」であることがよく分かるのです。犬の散歩という仕事を通してTさんは見事に「社会進出」を始めました。間違いなくこれからは快復するでしょう。この「快復」は世間一般のいわゆる「治る」ということとは違うのです。

Tさんのことを見ていて、自分は自分の目指している路線が間違いないものであることを再確認しています。社会復帰は一般の人(健常者と言ってもいいでしょう)が「働く」「生活する」と言う枠組みの中に戻ることを言います。これは自分のような慢性うつ病患者、統合失調症や重度の躁うつ病などの精神疾患を持っている人にとって、底なし沼から這い上がるような努力を強いられます。「夢よ、もう一度」と思って、発病前のテンションで仕事したり、そこまで行かなくてもレベルを落としてなんとか健常者が作る「仕事」の枠組みに復帰しようとして、あるいは一度復帰してはまた数ヶ月、ひどいときは採用面接段階で病気の症状が重くなって引き戻されるのです。自分もこれを何度も繰り返しました。今自分の通っているデイケアでも必死にパソコンスキルを習得して、なんとか簡単な事務仕事をしようと努力している人がいます。お父さんが非常に厳しい人らしくて、長すぎる病気療養を「甘え」としか取ってくれないのです。でも症状も安定せず年齢もとっくに30過ぎている彼の就職口は皆無でしょう。経験的にそう思います。だからといって自分はその人に「無駄な努力だからあきらめよう」とは決して言いません。這い上がろうと努力してまた引き戻されて、と言う経験をつむことで「社会復帰」ではなく「社会進出」へむけての模索が始まるからです。

「社会進出」とはなんぞや。これは病気の当事者が自分の病気を丸ごと受け入れて、その中でできることを少しずつ見つけていくことに他なりません。具体的な動きの中で(大事なのは動き続けることです)「自分探し」をまた積み重ねるのです。すると、「これなら自分でもできる」ということが少しずつ見つかってきます。それがたとえ一人でも家族でも、誰かのためになっているとしたら、金銭にはならなくても「仕事」と言っていいのではないでしょうか。自分にとって今の大きな「仕事」はヒッポの活動です。自分が動くことでたくさんの人に影響を及ぼすことができるし、金銭にはならないのですが「人脈」と「人間関係上の場数踏み」という、形には見えない財産がどんどん出来上がっているのです。インドへ行くという決心もこの路線の延長にあるのです。

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コメント

「仕事」=必ずしもお金ではない。

よくわかるなあ。結果として、お金がついてくる仕事が出来るか出来ないかは、運もあるかな。

僕はだから、なんちゃんの言う「仕事」って『人生をその人の歩幅で歩く』ということなんじゃないかなと受け取ったのだけど^^。

投稿: あきゅの | 2007/06/26 11:29

○あきゅのさん
実はこのページを印刷して色々な人に配り始めたのですが、やはり受け取り方が千差万別です。もがき苦しんだ人はその人の体験に照らしながらも共感してくれるみたいです。

結果としてお金がついてくるかどうかは運次第。でも意図的にお金に結びつけることもできそうです。仕事を町のさまざまなすきまからみつけてきては事業化しているのが「べてるの家」ですね。べてるの家のウイルスが全国に広がりだしていて、なんと鹿児島県の川辺町の商店街活性化に役立ち始めているそうですよ。

投稿: なんちゃん | 2007/06/27 14:29

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